無気力社畜、異世界転職フェアに放り込まれてみた!(2)

ドラゴン族向けブースの前は、遠目にもわかるほど熱気があった。いや、実際に熱気があった。巨大な換気ダクトが天井で唸り、ブース脇には「ロウリュ禁止」「息を整えてからお並びください」の立て看板。スタッフが金属製のバケツを手に走り、床の耐熱マットを点検する。ライナが目を細める。「中村殿、あれが“火竜(ファイア・ドレイク)”か」灰色の鱗を首周りに残した青年が胸を張った。HOPEと書かれたトートバッグが妙に似合っている。


「俺の名はリオル。炭を灰にするは朝飯前。大型炉心の着火、焼却、溶融、何でもござれ!」


ブースの人事担当が笑顔のまま、最初の言葉を選ぶまでに三秒かかった。「素晴らしいご経験ですね。まずは安全面からのお話を――」


ヴァルが小声で囁く。「戦は火の扱いから崩れる。人事も同じだな」


俺は胸の名札“来場者:一般”を握り直す。視界の端で、リオルの喉元がわずかに赤く光った。緊張すると熱が上がるタイプらしい。


ブースのカウンセラーがタブレットを示す。「“炎吐き”は、こちらのマトリクスで“高温加熱処理”“熱源管理”“炎演出”などに変換できます。ですが前提として、現代日本では“火気の取り扱い”に資格と手順が必須です。労働安全衛生……ええと、こっちがわかりやすいかな。資格一覧」


画面には“危険物取扱者乙四”“高圧ガス製造保安責任者”“ボイラー技士”の文字。リオルは首をかしげ、「資格とは……人族が、炎を吐く前に唱える許しの呪文か?」と真顔で聞く。ライナが真剣に頷く。「うむ。社会の理の巻物に記される契約魔法だ」


カウンセラーは笑って頷いた。「そう、巻物。で、あなたの力を“社会で安全に使う”ための巻物です。すぐ炎は吐けなくても、あなたの“熱”は他にも活かせます。たとえばサウナのロウリュ演出、災害時の臨時加熱設備のオペレーション、パン工房・ピザ窯の火守、溶解塩浴の温度監視、イベントの演出安全管理――」


「サウナ……?」リオルの眼がほんの少し輝いた。「汗をかく戦か?」


「リラクゼーションです。戦ではないです。けれど“整える”という意味では、心の戦を鎮める仕事ですね」


そこへ、背広姿の小柄な女性が名刺を差し出してきた。名刺には“人事・採用/ドラゴン多様性プロジェクト”の文字。「当社、サウナスパ運営と防災デモンストレーションの両輪なんです。火に関わる人たちが“安全”を語る場を作っていて。リオルさん、模擬面接、受けてみませんか?」


リオルは胸板を叩いた。「望むところだ! 我が業火、ここで証明してくれよう」


ヴァルが肩を押さえる。「炎は証明しなくていい。言葉で証明しろ」


簡易面接ブース。人事担当は柔らかな笑みのまま、矢継ぎ早に問う。「志望動機は?」「強みは?」「弱みは?」


リオルは逡巡してから答えた。「我は……熱い。以上」


五秒の沈黙。人事のペン先が止まる。ライナがわずかに前のめりになる。俺は喉が乾いた。やばい、短い。熱いは短い。


ヴァルが椅子の後ろから指を一本だけ立て、小声で促す。「事実、数値、再現性」


リオルは目を閉じ、もう一度口を開いた。「我は熱源を四段階に調整できる。卵を半熟に保つ温、鉄を赤くする熱、砂を溶かす灼、そして……魂を燃え尽きさせぬ温存。戦で負傷者を温める役を担った。炎の圧を調整し、夜明けまで生かし続けた」


面接官のペン先が再び動き出す。「具体的です。“誰のための熱だったか”が伝わりました。では、弱みは?」


「燃えすぎる」


「どう燃えすぎますか?」


「褒められると……吹く。喜びで」


会場のどこかでスプリンクラーの点検札が揺れた気がした。俺は反射的に消火器の場所を確認する。面接官は笑いを堪えつつメモする。「喜びで燃えすぎる。いいですね。では、その時どう制御しますか?」


「呼吸三拍、吐く七拍。鱗の下に冷気を流す。仲間に合図して肩を押さえてもらう」


「合図の言葉は?」


「“落ち着け、リオル”」


面接官は満足げに頷いた。「チームでの制御策があるのは強い。安全は個人ではなく運用です」


横でヴァルが小さく親指を立てた。「運用、という言葉を面接官の口から引き出せた。勝ち筋だ」


次の質問は、予想よりずっと現代的だった。「“火”以外で、あなたが誇れる仕事は?」


リオルは一拍置いてから答えた。「幼い竜の群れの見守り。寝ている間、背中で風よけになった。朝まで、誰一匹も風邪をひかなかった」


面接官は即座に要約する。「“安全配慮義務の自発的履行”。保育・介助文脈でも強い。良いですね」


リオルの顔がふっと明るくなり、喉の赤が穏やかな橙に落ち着いた。ライナが肘で俺をつつく。「よい面接だな。剣を使わずに勝っている」


そこへ、別のスタッフが駆け込む。「人事さん、すみません! 体験型の“疑似窯ブース”、温度が上がりすぎて……」


面接官が顔を上げる。「消費電力の制限か、センサーの誤作動ですね。どちらにせよ“誰かの冷静な熱”が要る……」


リオルの手が自然に上がっていた。「任せてくれ」


俺たちは小走りで簡易ブースへ。見ると、ピザ窯の形をしたデモ機の天井で警告灯が点滅している。インストラクターが焦りで声を上ずらせる。「温度センサーが二重に反応して……」リオルは窯の前に立ち、深く息を吸い、唇をわずかに開く。だが炎は吐かない。逆だ。体内の熱を呼吸で拡散させ、風の流れを変え、窯の排気を一時的に増やした。温度が下がり、警告灯が消える。会場から拍手が起きた。面接官が呟く。「“消すために熱を理解している”……現場が欲しいタイプだ」


デモの後、人事は名刺を差し出した。「一次は通過です。二次では、安全教育の座学と、サウナの“熱と心”の講義を受けてください。ロウリュは“熱を与える”儀式ではなく、“人を整える”技です。あなたの“温存”の経験はきっと役に立つ」


リオルは掌を胸に当て、丁寧に頭を下げた。喉の橙は、夕暮れみたいに優しい。「我は……燃える。だが、燃やすだけが炎ではないと、今、知った」


隣でライナが微笑む。「勇者の焚き火も同じだ。照らすために焚く。焼くためではない」


ひと息ついたところで、別のドラゴン族がブース前で揉めているのが見えた。真紅の鱗を短く刈り上げ、筋骨隆々の男だ。「俺は“焼却処理”に行きたい! 手当の良さは知っている! だが“資格”とやらが邪魔をする!」


人事は慣れた笑顔で受け止める。「邪魔ではなく“橋”です。ここを渡れば、あなたの力は“法に守られる力”に変わる。急がば学び」


「学びは遅い! 俺は速い!」


ヴァルがすっと前に出る。「速さは武器だ。だが武器は鞘に収められねば味方を傷つける。鞘が資格であり、手順だ。君は強い。その強さを“社会”に配備するなら、鞘を合わせろ」


男は鼻を鳴らし、視線を落とした。「……鞘か。わかった。どこから学ぶ?」


人事は即座にパンフレットを差し出す。「自治体の職業訓練で“ボイラー技士”の座学が無料で受けられます。日中が難しければ夜間も。学び始める人を、社会は支えるための財布を用意している」


俺はパンフの“教育訓練給付”の文字を見て、心のどこかで“保険は盾”というヴァルの言葉を反芻した。シェリ(エルフ)が合流し、目を丸くする。「ドラゴンさんたち、みんな親切に教えてもらってる……森では、教えは“口伝”だったけど、ここは紙の道があるんだね」


「紙の道は、迷い人の足跡だ」とヴァル。ライナが「名言だな」と頷く。


午後の終わり、“ドラゴン向け合同説明会”が始まる。壇上には防災産業、食品焼成、エンタメ演出、サウナ運営の各社担当が並び、最初に共通の注意事項を語る。「炎は“特別な力”です。だからこそ“特別扱い”ではなく“標準化”が必要。事故は“誰かの性格”で起きるのではなく“運用の穴”で起きます。あなたの熱を、手順に乗せてください」


その言葉に、リオルの背中が少しだけ伸びた気がした。人事のスライドに、ドラゴン族のキャリアパス例が現れる。“現場オペレーター→安全管理リーダー→設備計画→研修講師”。最後に映った“研修講師”の写真の男は、白髭を撫でながら若い竜の肩に手を置いている。彼の口元は、炎ではなく笑い皺で温かかった。


説明会の質疑。リオルが手を挙げる。「我は時に、褒められると燃えすぎる。そんな我でも働けるか?」


サウナ会社の人事が即答する。「働けます。褒められたときほど“手順に戻る”という合言葉をチームで共有しましょう。“落ち着けリオル”ではなく“手順へリオル”。言葉は習慣になります」


食品焼成の担当も続ける。「パンは急げば焦げ、焦れば台無し。でも“焦げパン”は“ラスク”になれます。失敗の再活用を仕組みにしておけば、現場の心理的安全性が上がる。あなたの熱は無駄にしません」


俺はなぜか、胸が少し軽くなった。焦げパンの比喩が、どこか俺の仕事にも刺さる。会議で焦げた提案書を、差分でラスクにした夜を思い出す。


終演後、ブース裏でリオルが俺たちに頭を下げた。「人族の言葉で、熱を語る術を教えてくれて、礼を言う。次は学びだ。“鞘”を作る」


ライナが拳を突き出す。「次はロウリュの極意を見せてくれ。勇者、汗をかく準備はできている」


「かけ湯をしてからだぞ」と人事の人が笑いながら指導する。ヴァルは就業規則の薄冊子を差し出した。「休憩を取れ。熱の仕事は休憩が命だ」


新宿の夕方、フェア会場の照明がやや暖色に変わる。出口の前で、俺は足を止めた。ドラゴンが人事に“燃える”――それは、豪炎の情熱を“運用”に翻訳すること。燃え上がるのではなく、燃やし方を選ぶこと。俺が会社で覚え始めた“理”と、どこか同じ音がした。


「中村、どうした?」ライナの声に、俺は肩をすくめる。「いや、少しだけ、火加減を覚えたいなと思ってさ。自分の」


ヴァルが横から言葉を足す。「ならば、“手順に戻る”。それで大抵の炎は鎮まる」


会場を出ると、新宿の風は昼より涼しく、リオルの吐息は白くない。ただ、胸の奥で何かが静かに燃えている。征服ではなく、手順で火を扱う――今日、ドラゴンが見せてくれたのは、その当たり前の強さだった。

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