第42話 4ー3 豊後延岡藩にて

 小舟が接舷するとすぐに下から問いかけられた。


「大納言卿宗徳殿御一行とお見受けいたすが、左様にござろうや。」


 伴侍の緒方が舷側から体を乗り出して言った。


「如何にも、大納言卿の御座船にて候。」


「それがし延岡藩御船手おふなて奉行を仕る佐々木典且のりかつと申す者。

 お出迎えに参り候えど、大納言卿及び御正室様を如何にして御船から降ろすか算段が付かぬところなれど、何か良き方索がござればお教え願いたい。」


「御心遣いかたじけなく候、只今よりこちらより縄梯子なわばしごを降ろしますれば、それをばしっかりと保持願いたい。

 最初に荷を降ろし次に人が降りまする。」


 船から小型の船に向かって幅の広い縄梯子が卸された。

 八寸ほどの格子で網目状になった縄梯子であり、幅が二間ほどもある。


 最初に荷物がいくつか降ろされた。

 下で受け取った者は、少し重い荷に驚いたようである。


 次に縄梯子を使って最初に三次が降りた。

 次に緒方が降り、続いてはかま穿いた百合と成美が降りた。


 二人が降りるのを緒方と三次が支えるように手を貸している。

 次いで同じように袴を穿いた彩華が降り、最後に狩衣姿の宗徳が続いた。


 小舟の脇にはさらに二隻の船がもやっており、六人はそれぞれ男女一組ずつに分乗した。

 船はぎ進み、順に桟橋へと向かっている。


 桟橋には、大勢の武家が出迎えていた。

 船が沖で錨を降ろした際には桟橋周辺に数人がいたのを見かけたが、それ以外の者はおそらく番屋で待機していたのであろう。


 宗徳と彩華が乗る船が最初に桟橋に着くと、恰幅の良い五十前後の武家が前に進み出た。


「某、延岡藩国家老正木大二郎にござる。

 此度は遠路はるばると我が藩までようお越し下されました。

 藩主牧野まきの成央なりなかは病にせっており、お出迎えできませなんだ。

 藩主に成り代わり、某が出迎えた次第。

 なにとぞご容赦のほど願いあげます。」


「これはご丁寧なご挨拶痛み入ります。

 藩侯ご不例ふれいなれば無論のこと養生なされねばなりませぬ。

 して御加減の程は如何か。」


「はい、ここ数日来の続く暑さで食が落ちているご様子。

 調理人達も色々と工夫を凝らしてはおりますが、体力の衰えが懸念されます。」


「なるほど、暑気しょき当たりやもしれませぬな。

 されば、これよりお城へ参り、お台所をお借りしたいが如何でござろうか。」


「は・・・、あの・・・、お台所にござりますか?」


「はい、私と奥、それに二人の女御たちで、藩侯の食が進むようなものをお造り申し上げたいのですが如何にござろうか。」


 行幸啓に来たやんどころ無きお人が調理人の真似事をすると聞いて、家老正木は驚きを通り越して呆れていた。

 しかしながら、ここでこのやんごとなきお人にへそを曲げられると、延岡藩八万石が危うくなる恐れもある。


 正木は止むを得ず承諾した。

 一行は、すぐに城下に向かって歩き始めた。


 一緒に降ろされた荷物は、空の駕籠に載せられた。

 もともと客人の為に用意された加護ではあるのだが、炎暑の中、籠の中に押し込められていたのでは蒸し風呂になるので、宗徳も彩華も遠慮し、荷物が運ばれることになったのである。


 宗徳ら一行は、延岡藩士に囲まれて城下まで歩き通したのである。

 城に入ると、すぐに荷の一つを取り出した。


 大きな箱二つであり、一方の中には食材が入っていた。

 最初に行ったのは、人参を含む緑黄野菜を微塵切りにし、南瓜かぼちゃでた。


 南瓜を裏ごしにし、それに千切りの野菜を加え、とっくりに入っていた白い液体と共に一度煮たてた後に、壷に入れ水の中で冷やしたのである。

 およそ半時待ってから、水を替え、その脇にもう一つの箱から白いかけらを取り出した。


 驚いたのは調理方である。

 水により荒熱の取れた壷を、更に氷の小さな塊で冷やし始めたからである。


 この時期、氷などはどこに行っても無い筈である。

 更に城の調理方に頼んで、色とりどりの麺を茹でてもらい、水でぬめりを取った後にやはり氷で冷やしたのである。


 それらを氷の引いたざるにとり、大皿を下に置いて綺麗に並べた。

 麺が小波のように緩やかに波打っており、ところどころに緑、黄色、薄桃色の麺があって、見ているだけで中々に綺麗である。


 麺のつゆは、別の小さな入れ物に入れ、小さな氷を二つばかり入れた。

 更に南瓜で造った汁物のようなものは椀に盛って、三つ葉を飾ったのである。


 それを膳に盛って調理場から運び出させた。

 無論、この前に調理人に毒見をさせている。


 暫くして、膳を持って行った賄い方は笑顔で戻って来た。

 おそらくは二人前ほどはあったはずの麺を全て食べ、なおかつ、汁物のお代わりを所望されたというのである。


 更に台所から椀が運ばれていった。

 それを見送って宗徳たち一行は、翌日に改めてご挨拶に参ると言い残し、城を出たのである。


 軽い荷だけを運ばせ、重い荷は延岡藩への手土産であり、後刻藩侯にお見せくださればよいと告げていた。

 無論、周囲は延岡藩士の厳重な警護がついていた。


 宿泊先は、延岡で一番の料亭「豊後早崎ぶんごはやさき」に決められていた。

 一行が宿となっている料亭に着いて半刻後、大汗をかきながら家老正木がやってきた。


 座敷の縁側に平伏しながら言った。


「先ほど手土産と仰せになった品を改めましたところ、半貫目ほどもある金塊十本、おそらくは千両ほどにもなろうかと思われまするが、当方で受け取って宜しいものやら当惑しております。」


「遠慮なく受け取ってくだされ。

 我ら一行の突然の訪いにて延岡藩の方々にはご迷惑をおかけ申しております。

 そのせめてものお礼にござれば、どうかお気軽に。」


「なれど、それでは余りに過分なるお礼にござります。

 我ら左程のお礼に見合うおもてなしはできませぬ。」


「いやいや、既に使者の言上は届いておるはずじゃが、構えて我らに気を使わずにおいてくだされ。

 予定にもあったように、明日は藩侯にご挨拶を仕り、その後、御城下を散策いたしたく存じます。

 その折はどうぞ警護はくれぐれも控えめにお願い申す。

 私と奥が自由気ままに歩きとうございます故。」


「しかし、何ぞ失礼があっては・・・。」


「そのようなお気遣いは御無用。

 領民の方達とも気ままにお話をしたいと思うております。

 明後日は、行縢の滝むかばきのたきを見物に参りたいと存じております故、どなたか案内をお願いできましょうかな?」


「案内はできまするが、行縢の滝はお城からおよそ四里ほどござりまして、かなりの急な坂道と険しい山道にござります。

 女子おなご連れでは少し難しいかと存じまするが・・・。」


「されば、奥も私もまた連れの者も正木殿が思うておるよりも健脚けんきゃく揃い。

 足元も皮足袋かわたびを用意して整えておきまする故、御心配なく。

 明後日明け六つには、この料亭を出発いたしたいと存じます。」


「うーん、わかり申した。

 なれど、雨模様ならば、土地の者も近づけぬ悪路故、どうかその節はお許しをたまわりたく。」


「はい、確かに承りました。」


 その日料亭の心尽くしの料理を食べて、それぞれの部屋の明りが消えて四半時後、二つの黒い影が、料亭の塀を乗り越えて城下に消えた。

 百合と三次である。


 それぞれに役どころを決めての探索である。

 二人は、一時ほど後に料亭に密かに戻っていた。


 その動静は誰にも気づかれていなかった。

 翌朝四つ中時にお城を訪れ、宗徳と彩華は藩主牧野成央に面談した。


 牧野成央は十四歳の藩主である。

 少しやせており、余り健康そうではない。


 それでも昨日の昼餉ひるげで随分と食も進んだようで、朝もお代わりをしたとのことであった。

 病み上がりと言うこともあって早めに辞去した一行は、城下に繰り出した。


 その日は、警護の藩士達は遠巻きにして様子を伺っている。

 最初に小料理屋に入り、昼餉を食べた後、城下の色々なところを見て回った一行である。


 気さくに町人にも話しかける姿は、ある意味で変わっていた。

 何しろ公卿姿など見たことも無い者達である。


 狩衣、烏帽子姿の宗徳は格好の話題になるとみえ、大勢の人々が周囲を取り巻く。

 それにもまして総髪を髪飾りで背後にまとめている彩華の艶姿も目立つ存在であったし、昨日と打って変わって矢絣の奥女中風の百合と成美も目立っていた。


 相応に美形の部類だからであろう。

 三次と緒方も好男子の顔つきではあるのだが、華やかな女たちの側では目立ちようも無かった。


 延岡城下はひとしきり高貴な旅人の話題で盛り上がったようである。

 翌朝、日の出とともに三人の杣人とまびとの案内で豊後早崎を出立した六人は、行縢の滝を目指した。


 一行の後には、延岡藩士から選抜された四人の若者がついて行った。

 延岡から西へ向かう街道を一里ほど進み、そこからは脇道に入った。


 暫くすると道は途切れ、沢伝いに歩くことになった。

 宗徳達はいずれも底の厚い皮足袋を履き、しっかりとした足づくりをしたうえで、裁付け袴を履いていた。


 腰には竹筒の水筒と腰弁当である。

 手には長さ五尺ばかりの杖を持っているだけである。


 頭には塗傘を被って日よけをしていた。

 沢伝いの道なき道を一里半ばかり上って、ようやく滝が見える場所に辿り着いた。


 行縢の滝は、およそ24丈もの高さから落ちる滝であり、勇壮な景観を見せている。

 その水の流れ落ちる様は、夏の盛りにあって、清涼感溢れるものになっているから不思議である。


 杣人三人と一行六人は、一緒に目的地に着いたが、同行した四人の武士たちは、かなり遅れてしまっている。

 そこで昼餉を食べ、帰りの沢を降り始めると、暫くして、岩場で休んでいる四人に出会った。


 かなりへばっている様子であり、杣人一人が四人に同行することになった。

 上りは迷うことも無いが、元々明確な道ではないので下りは道の知らぬ者は迷うことがあるようだ。


 宗徳達一行は、八つ時までには無事に城下町に降りてきた。

 案内をした杣人である権太ごんたがいみじくも言っていた。


「お前様方は、並みのお人じゃないのぉ。

 山でわしら杣人の足に着いて来られる人を始めて見ただよ。

 おまけに半分は、ビックらするほど綺麗な女子おなごだぞ。

 まんず、杣人の女房でもそれだけの足は持っておらんぞな。」


「さようか。

 お誉めに預かり恐縮至極じゃ。

 今宵は三人で一杯やってくれ。

 これは手間賃じゃ。」


 そう言って宗徳は一両を手渡した。


「とんでもねぇ。

 儂ら領主様から手間賃は頂いているで、そんなものは受けとれねぇ。」

 

 そう言って、慌てて返そうとする杣人に宗徳は言った。


「領主様から頂いたものは領主様の心づけ、これは儂らの心づけじゃ。

 どうか受け取ってくれ。

 今日は滅多に見られぬものを見せてもらった。

 あれこそ眼福というものじゃ。

 案内してくれたそなた達に心から礼を申し上げる。」


 杣人たちは、遠慮しながらも金を受け取って何度もお辞儀をしながら去って行った。

 宗徳達一行は料亭豊後早崎で荷を受け取ってから延岡の港に向かい、家老正木に見送られながら小舟に乗り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る