第34話 3ー2 警護の忍び

「ふむ、本当に気付いていたのか。

 作蔵からは初日で気づかれたかもしれませぬと報告があったが・・・。

 何故に気付いた。」


「ほんの少しだけ異質な気配を感じとりました。

 只見ているだけで悪意はないものと思われましたので、或いはお父上が差し向けられた警護役又は監視役ではないかと・・・。」


「その通りじゃ。

 夜の監視はしておらなんだが、そなたが起きている間はな、遠巻きにて警護するようにある者に命じておいた。」


「その方が作蔵と言われる方ですね。」


「いや、監視をしていたのは作蔵自身ではあるまい。

 作蔵の手下の者の筈じゃ。」


「左様でございますか。

 では細索にございましょうか?」


「ふむ、加賀忍びとも、能登忍びとも言うがのぅ。

 そなたに見破られるようでは、大事には使えないか・・・。」


「たまさか気づいただけにございます。

 そのお方の手落ちではございませぬ。」


「ふむ、その人を労わる心根がいいのぉ。

 はて、嫁いだ娘達にそのような心根があったかどうか。

 嫁に行って、たまに戻って来るなり、婚家の愚痴を申す者ばかりじゃ。

 どうも百万石の娘と言う気概ばかりが強いらしい。

 あれでは婿殿が可愛そうじゃ。」


「まぁ、私の姉上様達は、随分と女傑のようなお話ですこと。

 それでは姉上様たちがお可哀そうにございます。」


「まぁ、余り大きな声では言えぬが、いずれも亭主を尻に敷いておるわ。

 彩華、そなたはそのような女になるではないぞ。」


「宗徳様は私が尻に敷けるようなお方ではございませぬ故、御心配は無用です。

 私は手をひかれるままに宗徳様について行くだけにございます。」


「宗徳殿は良き男じゃ。

 見栄えばかりの男は好かぬが、宗徳殿は見栄えも心構えもしっかりしておる。

 そなたの価値は黄金二百貫にも勝ると物を言わずにこの儂に示した。

 商才も豊かの様じゃしな。

 あれほどの男は百年に一人の逸材いつざいやもしれぬ。

 貴賤きせんにこだわらず、さりながら必要な場合は義理を押し通す。

 岡崎藩の内輪揉うちわもめも宗徳殿がいたればこそ丸く収まった。

 そうではないか?」


「申し訳ございませぬ。

 私の口からはその是非も申すわけには参りませぬ。」


 綱紀は笑いながら頷いた。


「よい、よい。

 そなたが口の軽い女子なれば、宗徳殿はそなたを許嫁には選ばなかったはずじゃ。」


「お父上様、どなたかをお呼びになりましたか?」


「うん?

 何のことじゃ?」


「どなたか庭先にて、御待ちのご様子ですが・・・。」


「誰も呼んでは・・・。

 ン、もしや作蔵か?」


 障子越しに声が届いた。


「は、作蔵ここに控えておりまする。」


「そうか、ならば入って参れ。

 彩華に引き合わせておこう。」


 音も立てずに縁側に上がり、静かに障子戸を引き開けた男は三十半ばであろうが、どこと言って特徴のない顔をした小柄な男である。

 男は静かに座ると平伏した。


「作蔵、何事かあったか?」


「いえ、何事もござりませぬ。

 ただ、姫様の技量を確かめに参った次第。」


「ふむ、で、推し量れたか?」


「障子の戸が閉められた部屋の中に居られる方には決して知られぬはずの忍びの業、見事に見抜かれてございます。

 仮に私目が姫様の御命を狙って参ったにしても、縁側に上がる前に気づかれておりましょう。」


「何故に、斯様な振る舞いをするに至った。」


「はっ、理由は昨晩の出来事にござります。

 水戸家で騒ぎが起きてすぐに主殿の四隅に配下を伏せ、残りの者は捜索に当たらせました。

 四囲に配置した者は手下の中でも腕利きの者にございました。

 なれど、その結界の中へ見事に入り込まれたは、我らが不覚にございます。

 本来なれば、その四名の者手打ちにされても致し方なき仕儀なれど、彼らが気づかず、姫様のみが気づいたこと自体が納得できませなんだ。

 賊がよほどの腕利きなれば、あるいは我らに気づかれずに侵入も可能かもしれませぬが、そうした忍びなれば姫様にも気づかれぬ筈。

 それ故に姫様の技量を確かめに仕掛けました次第。

 なれど、最初から忍んで接近しようとしたにもかかわらず、姫様に気づかれてしまいました。

 手前の技量不足か或いは姫様が類稀なる技量をお持ちのいずれかにございますが、この場合、私としては後者と考えざるを得ませぬ。

 それがし、殿がこの部屋に入られた折には五十間ほど離れておりました。

 それからゆっくりとカタツムリのように動いてこの庭先まで参った次第。

 この方法なれば、如何な達人でも気配を感ずるのは難しゅうございます。

 殺気を放てば気づく場合もござりましょうが、某の場合それもございませなんだ。

 何故に姫様に見破られたかそれがわかりませぬ。」


「ふむ、確かに儂も気づかなんだのぉ。

 彩華、何故に作蔵の気配を感じ取った。」


「さて、何故でございましょう。

 自分でもその理由は判りませぬ。

 或いは作蔵殿の私を試そうとする気概きがいが異なる気配を生んだのかもしれませぬ。

 最初に何かの気配を感じ、ゆっくりと移動しているのが何となくわかりました。

 そうしてその気配には殺気は感じ取れませんでしたので、あるいはお父上が事前にお呼びになった方かと思ったのです。」


「なるほど、恐れ入りましてございます。

 この分では姫様の周囲には警護の要が無いかもしれませぬが、万が一を考えるとやはり警護の者は必要かと・・・。

 ただ、姫様の周囲には滅多に男が近づけませぬ。

 殿、近日中に某の末の妹を姫のお側にお付け下さいませぬか。」


「なに、そなたの末の妹というと、・・・かがりか?」


「はい、かがりを加賀の里から呼び寄せております。

 今この屋敷におる手下は男ばかり、身辺警護と申してもかなり距離を空けた配備となっております。

 昨夜のようなことがあれば、万が一の場合は、間に合わぬ可能性もござります。

 曲げて、かがりの登用をお願い申し上げます。」


「何か不穏の動きがあるのか?」


「いえ、今のところそのような兆候は見当たりませぬ。

 ただ、昨夜の賊は明らかに忍び、それも懐に持っていた暗器から伊賀又は風魔の忍びと見ました。

 伊賀者なれば、御庭番の伊賀なのか、あるいは分家筋の伊賀なのかは判然といたしませぬが、伊賀の忍びは仲間同士の結束が強うございます。

 仮に昨夜の一件が水戸家に対する忍び仕事であったにしても、露見して我が藩邸内で死んだことは既にその一族に知れておりましょう。

 しかも藩邸内の噂で姫様が賊を打倒した末の出来事であったことも当然に知られて居るに違いございませぬ。

 忍びにとって生きて捕えられることは、大いなる恥辱にございます。

 昨夜自害して果てた者に関わりある者が、その恥辱を晴らさんがために刺客を送り込むことは大いにあり得る話でございます。

 さらに風魔なれば、事態はより複雑。

 風魔が未だ生き残っているとは信じがたいのですが、仮に風魔なれば、一族を上げて姫様を狙って参る恐れがございます。

 我ら加賀忍びは伊賀者なれば十分対抗できうるものと心得ますが、相手が風魔なれば苦戦を強いられましょう。」


「ほう、風魔とは左程に強いのか?」


「某も戦ったことが無いので、しかとは・・・。

 ただ、先々代のお頭より加賀忍び三十人の精鋭がたった二人の風魔によって殲滅されたと聞かされております。

 そうして風魔に出会ったならできるだけ戦わずして逃げよとも。

 先々代も、更に前の頭より伝え聞いたることにて、加賀忍び三十人が命を失ったは島原の乱があった頃と聞いております。」


「島原の乱は、寛永十七年、・・・・。

 今から七十年近く前の事じゃな。

 風魔が生き残っておると言う風聞でもあるのか?」


「いえ、ただ、水戸家の中屋敷に何故忍びが入り込んだのかが不明にございます。

 幕府の配下であれば御三家の水戸家を伺う理由がよくわかりませぬ。

 小石川にある水戸殿上屋敷なればともかく、隣の中屋敷は主として控え屋敷あるいは蔵屋敷の扱い。

 昨夜は、水戸中屋敷に要人が訪れていた気配はありませぬ。

 御状箱の中継地ではございますが、水戸殿に何か不都合があったとの話もございませぬ。

 尾張徳川家又は紀州徳川家の動きなれば、御幼少の上様側近と大奥が大いに関心を寄せておりまする故、あるいは探索という密命もございましょうが、初代頼房殿以来水戸家よりは将軍家を出さぬと明言された御家柄。

 上様側近も大奥の派閥も水戸殿には注意を向けては居りませぬ。

 何事かあらんとすれば、私怨又は盗みにございますが、御庭番の伊賀者がそうしたことに手を染めることはまずありませぬ。

 伊賀の分家であれば可能性もございますが、その場合は先ずは一人働きにて、おそらくは身内と言えど姫様を狙う愚行は犯さぬと見ております。

 もし伊賀者の公儀御用なれば、仕事は未了にて、あるいは再度水戸殿の屋敷潜入がございましょう。

 小石川の上屋敷周辺に配下を潜ませてございますほか、念のため、中屋敷にも人を入れておりまする故、何かあれば報告が参るかと・・・。」


「あい、わかった。

 で、かがりはいつ参るのかな?」


「姫様御養女の話がありました際に、準備だけはさせておきましたが、斯様に速い時期に藩邸にお入りになるとは思わず、宗徳殿とご一緒に御挨拶に参ると連絡があった日に、加賀へ伝令を走らせました。

 江戸から加賀までおよそ百五十里、おそらくは今頃知らせを受けたかがりが加賀の里を発した頃。

 早ければ今日を含めて四日、遅くとも六日目には藩邸に到着するものと思われます。」


「わかった。

 奥とお雅には儂から伝えておこう。」


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