旅の二人組

 その昔。大陸極東の地は、人ならざるもの達が支配していた。人の子らは昼夜その存在に怯え、贄を捧げるなどして媚びながら、穴ぐらに住む鼠のような暮らしを送っていた。

 ある時、人の子の中に、勇敢な一人の若者が現れた。彼は数多の妖魔を討ち斃し、種族ごと現世から葬り去った。こうして人の治める地を拓いたその若者は、功を称えられ、英雄として人々に祀り上げられた。

 彼を祖とする一族を代々宗主に戴くのが、清華帝国である。

 繁栄と衰退を繰り返しながらも、千年に近い歴史を刻んできた。賢君の誉れ高き先帝の御世に建国以来の繁栄を見せ、今や、北方の異民族や南方諸国を属国として従える大国となっている。



 都の浄安が州都を兼ねる中央の土州を筆頭に国内の領域は五つの州に分けられ、都から、中央を除いた各州に向けて街道が整備されている。が、整備というのも州都に入るまでの道程の話。辺境地域に向かう部分は人通りが少なく荒れていて、険しい山道や鬱蒼とした森を通る部分も存在する。


 特に北方・水州街道の末端は、寂れた貧しい村々を繋ぐ。もとより、浄安を出てすぐの水湧き踊る山脈を越えた先は、気温が低く土地が痩せた不毛の地。水州は、騎馬を操る異民族に度々蹂躙されてきた。戦火に荒れた辺境が、獣や賊の多く出没する危険地帯だということは道理であった。


〜*〜*〜*〜


 その、水州街道を進む二人組の旅人。

 一人は、大きな箱形の包みを背負った男。そして、付き従って歩くのは、黒い水晶レンズの眼鏡を掛けた少女だった。

せんせい、お疲れではありませんか? 少し休憩にしましょうか」

「ああ、そうですね」

 少女の声に、男が応じる。二人は路傍の岩に並んで腰掛けた。男は包みを背から下ろして、ふうと息をつく。少女はそれをじっと見つめて、言った。

「それ、重いのでしょう。持ちますよ」

「大丈夫。そんなことより、喉が渇いていませんか?」

 あっさり流されて、頬を膨らませる。少女は再三同じことを提案しているのだが、いつも話をうやむやにされて終わっていた。

 とはいえ、指摘された通り喉が渇いていたので、差し出された竹水筒は素直に受け取っておく。

 バキ、と音がした。

「あ」

 少女の手に渡った途端、竹水筒の一部にひびが入り、みるみるうちに広がってゆく。そのまま真っ二つに割れ、バシャリと水音をたてて地面に落ちてしまった。

「……っ! すみません!」

 少女は青褪めるが、

「おやおや。相変わらずの力ですね」

 男の方は慣れた様子で笑う。

「新しいものを作りましょうか。貴方は水を汲んでください。向こうに川があったでしょう」

「は、はいっ!」

 男は来た道を少しだけ戻った場所にある竹林へ、少女は川へ向かおうとしたところ。

「おめえら、持ってるもの全部置いてけやあ!」

 大ぶりの湾刀を振りかざして、髭面の大男が突進してきた。

せんせい!」

「おやおや。これはまた、典型的な盗賊ですね」

 連れが呑気な台詞を吐く傍らを走り抜け、少女は迷いなく盗賊に向かっていく。

 そして、飛び上がった。

 盗賊は目を剥く。それもそのはず。

 高く高く、少女は飛び上がったのだ。自身の背よりも高い、盗賊の頭上まで。

 そして、蹴りを入れた。

 弾みで捲れ上がった裳。そこから覗いた細い脚に、どれ程の力が眠っていたのだろう。一撃で、盗賊は昏倒して路のど真ん中に倒れ伏す。

 しゅた、と着地した少女に、一部始終をただ見守っていた男は声をかける。

「助かりました。いつも、すみませんね」

「いいえっ! お役に立てて、嬉しいです! そんなことより、喉渇いちゃいました。早く行きましょう!」

 少女が無邪気な仕草で男の袖を引く。

「はいはい」

 男は苦笑交じりで素直に引っ張られていく。

 何事もなかったかのような態度。だが、分かれて作業しようとしていたのをやめて二人で行動しようとするくらいには、少女はまだ警戒を解けていなかった。男の方も、それを察して少女に付き合っている。


 やがて川辺に着き、少女は桶いっぱいに水を汲む。

 清く冷たいのが一目でわかる、キラキラと揺蕩う水面。

 我慢ができず、口をつけようとすると。

「いけませんよ」

 少し離れた場所で焚き火の準備をしていた男が、すかさず言う。

「ちゃんと煮沸しないと。お腹を壊してしまいます」

「このくらい平気ですよ。わたし、丈夫なので!」

 少女はぷいっとそっぽを向く。男は溜息をひとつ。

「駄目です」

「え〜」

 結局言いつけを守って水を火にかけ始めた少女は、焚き火の番をしている男の隣に腰掛けて頬杖をつく。

「――なんで、駄目なんですか」

 少女はぽつりとつぶやいた。

「もっと、せんせいのお役に立ちたいのに」

 めらめらと燃える火の赤さが、黒水晶の上を鮮やかに踊る。が、その奥に隠れた、真っ直ぐな瞳の色には決して敵わない。

「鬼、だから?」

 そう。少女の瞳は紅かった。それは人ならざるものの証。

 鬼。人間に滅ぼされず、唯一生き残った種族。

 少女が村で不遇な扱いを受けていたのも、これが理由だった。男が、この少女に目をかける理由も。

「わたしが鬼だから、信用できないんだ! さっきみたいに力加減を間違って、何か壊されたら大変だから! こんなやつに荷物持ちなんか任せられないって、そう思ってる!」

「違いますよ」

「何も違わない!」

紅玉こうぎょく

 男が少女の名を呼んだ。先程までは苦笑していた目が、真剣にまっすぐ、少女の瞳の奥まで透かすように覗き込む。

「自分の出自を蔑んではいけないと、何度言えば理解してくれるのですか」

「だってぇ」

 少女・紅玉は反抗を試みるが、語尾が萎んでしまう。紅玉は、この男から名を呼ばれるのにめっぽう弱かった。

 ――気味が悪くなんかありません。貴方の瞳は綺麗だ。

 熱っぽい台詞が蘇ってきて、カアアと頬が上気する。

 何年も前のこと! 幼子相手に他意なんてあるはずない! 叫び出しそうになりながら首を振るのをこらえる。動揺を悟られてはいけない。

 川面から反射した光で、帯の上に重ねた飾り紐の珠にきらりと輝きがよぎる。

 二人が出会ってすぐのこと。彼は少女の瞳の色を褒め、それにちなんだふたつの贈り物をくれた。紅玉という名と、紅玉ルビーの飾り紐。貴方の瞳の色はこの宝石の色なのです、という、これまたくらくらする言葉を添えて。

 当の本人は、自信がない年下を励ますために教え諭した、くらいの認識のようだ。無自覚なのが、余計にたちが悪い。 

「私は貴方を信用していますし、頼りにしています。守りたい、という気持ちもあります。だからこそ、余計に負担をかけたくない」

 彼の言葉はまっすぐだ。だからこそ、いつも紅玉はやりこめられてしまう。

「この荷を私が背負うのは、私なりのけじめです。ですから、ご理解いただきたい」

 だが、この男は時々こうやって遠くなる。紅玉との間に一本の線を引く。紅玉は少しの寂しさを抱えながらも、この線を超える勇気を持てない。

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薬売りの逃げ道中 村崎沙貴 @murasakisaki

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