Episode30 アレナ皇国



 樹希いつき基地ベースに帰ると、関係者全員がノアのスタジオに集まっていた。ノアがいつになく冷静な顔をしている。


 陽翔はるとは顔色が悪く、雫月しずくは張り憑けたような無表情をしていた。



樹希いつき。鈴菜がシアンに誘拐された」



 ENABMDイネーブミッドを装着して上空を見れば、空中に不吉な黒い文字が浮かんでいる。



 ≪鈴菜を返して欲しければ『misora』に来い≫



 こんなことができるのは、ゲームマスターであるシアンしか居ないのだ。


 鈴菜に引き合わせたのもシアンである。

 不安を飲み干して、陽翔はるとたちは『misora』にダイブした。





✽✽✽






 ダイブした先は、崩れた神殿の残骸が白く乾き、水の一滴さえも跡形もなく干上がったオアシスの国だった。

 地図は大陸の西、アレナ皇国を指していた。


 アレナ皇国には聞き覚えがある。フロームのトーナメント戦を一緒に戦った、イシュタルの国だ。

 オアシスが砂漠に飲まれ、サラリとした砂が風に巻き上がり口の中までザラザラする。

 真っ赤な夕焼けが砂漠を照らし、モンスターが潜んでいそうでゾッとするような暗い影ができていた。


 陽翔はるとたちは神殿に入る。

 神殿の他には白い砂しか見えない。


 石造りの水路はひび割れ、装飾を施した壁がこなごなに砕けていた。


 枯れて干乾びた死の世界。

 回廊を進むと立派な石造りの扉が見える。

 中は聖堂だった。





 聖堂の真ん中で長衣の裾を床に広げた白い髪の女性がさめざめと泣いている。


 陽翔はるとはこの女性を知っていた。

 聖国フロームで一緒にトーナメントを制覇したイシュタルだった。



 ≪この国は何も無くなってしまった。すべて砂に消え、領民も去った≫



「イシュタル! 僕だよ。陽翔はるとだよ。しっかりして」


 肩を掴もうとした手はくうを切る。

 実態は無いのだ。


 それは、白龍神を祀った聖堂に残る記憶。

 悲しみが蓄積して見せる幻影だった。


 溌溂はつらつとして美しかったイシュタルはもう居ない。

 確信に近い予感が陽翔はるとの頭をよぎった。


「ハル、今は鈴菜を探すほうが先」

「うん」


 陽翔はると雫月しずくの耳を盗み見た。彼女は心の中まで緊張している。不安そうに震えるときがあった。




 がらんどうの神殿を抜けて中庭に出る。

 そこはひどく荒れていた。


 裏手に回ると、ようやく明かりが漏れる建物がある。

 小さな寺院のような建物だった。

 扉を叩くと一人の男性が出てくる。


「こんな夜更けにどうされましたか?」

「旅をしていたら、ここにたどり着きました。ここ以外には灯りのある場所はありません」



 男性は誠実で好感の持てる印象だった。

 元はオアシスの神殿で最高位を務めていた神官だという。



「災害が発生し、オアシスの水が干上がってしまいました。ここは神の家。身元の無い子供を保護して育てています。結界の外は砂嵐です。旅立たれるにしても、収まるまでこちらで待たれるがいい」


 中に招き入れられると、礼拝堂で子供達が食事をしていた。


 祭壇の奥には細く水が流れる水道があり、石の窪みをちょろちょろと水が流れている。

 ライフラインと言える水は、大きなかめに溜まっていた。


 ろうそくの明かりに照らされた、十人弱の子供がこちらを一斉に見る。


 子供にしては静かだ。

 その中に鈴菜にそっくりな赤い髪の少女が居る。

 但し、高校生の鈴菜では無く、小学校時代の鈴菜だった。

 虚ろな眼差しで陽翔はるとたちを見上げる。


「その少女は母親を亡くし、精神を病んでしまいまして。言葉を無くしてしまったのですよ」


 陽翔はるとは何とも言えない気分になる。

 小学校時代の鈴菜も、一時期は失語症になっていたのだ。


 陽翔はるとは辺りを見渡す。

 気持ちの悪い違和感が残った。


 このRPGに似つかわしくない。

 これまでと話が全く繋がらないのだ。


 印象での直感だが、この事象はシアンが意図したものでは無いと思う。シアンらしくないのだ。


「グレース。アルベール。お客様を客間に案内してくれるかい?」

「はい。アグリ様」


 利発そうな二人が二階の客間に案内してくれた。

 そこには粗末な木のベッドが四組と小さな文机が設置されている。


 アルベールに赤い髪の少女について聞くと、彼女は三日前に訪ねてきた男によりここへ預けられたと教えてくれた。

 誰一人、彼女が今まで何処にいたかは知らない。


 能天気そうに欠伸をしながら話すアルベールと、知的な雰囲気で大人しそうなグレースは、意思があるようなしっかりとした瞳をしている。


 このゲームの中には明らかにAI機能が搭載されているキャラクターとゲームの進行上の登場人物であるNPCとで違いがあった。

 この二人は前者であろう。



 部屋に入るとノアが遠隔ではあるが、赤い髪の少女とイネーブルを試みた。イネーブルは失敗したが、あの少女は鈴菜に間違いは無いと確信する。

 ノアとのイネーブルが遮断されていると、ハッキリとわかったからだ。上位バージョンであるシアンとイネーブルしている。


 どちらにしても今までのシアンのやり方ではない。

 シアンはゲームには真摯に向き合っていた。


 一同に不安が募る。

 樹希いつきが不意に雫月しずくのほうを振り返った。明らかに厳しい表情をしている。


「シアンとイネーブルしているって。なんか知らねーの? お前、鈴菜を嫌っていたよな」


 鈴菜から無表情が消え、悲しそうな顔になる。

 不意を突かれたため、素の表情が出たのだ。耳も悲しそうに下を向く。


「違う、嫌っていたわけじゃ、―――ない」


 嫌ってなんていない。

 陽翔はるとと幸せになってほしいと心から思っている。


 ただ、その時に従者としてそばに、ひかえていなくてはならないと思うと辛いのだ。

 心なんてなければいいのに。

 雫月しずくは涙が出そうになるのを必死に堪える。


「いっくん、いい加減にしなよ。嘘なんて言ってないの、わかってるでしょ」

「ハルは鈴菜が心配じゃねーの?」


 樹希いつきは懸命に怒りを堪えた。

 焦りが募るのを雫月しずくに当たっていると自覚はある。

 雫月しずくが鈴菜に見せた不満が許せないのだ。

 自分が鈴菜に対してここまで熱くなるのも、馴れなくて苛立つ。



雫月しずくに何かできるわけ無いよ。調査中はノアとARリンク状態だったでしょう。それ以外は、外出もしてない」

雫月しずくは関与してない。保証する」

「それでも、方法はあるだろ」


 ノアも樹希いつきを咎めるように両肩を押さえる。

 落ち着くように言われているみたいで、樹希いつきは不快感を抑えられなかった。


「くそっ。なんだよ」




 その時、煩いくらいの金切り声が階下から響いた。


 ただ事ではなさそうな騒めきに、樹希いつきが即座に反応し無駄のない動きで階段を飛び下りる。

 陽翔はるとたちも後に続いた。


 怯えた子供たちが蜘蛛の子が散るように逃げまわり、陽翔はるとたちが来ると一斉にその後ろに隠れる。

 騒然とした礼拝堂には、神官の胸倉をつかむ男が居た。







 ---続く---

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