【完結】イピトAIは仮想空間をイネーブルする~未確認AIに高校生活を乗っ取られたら、もふもふワンコが助けに来てくれました。なぜか美少女アサシンに好かれてます~

麻生燈利

イピトAIは解説し、サモエド犬は微笑んだ

Episode1 サモエド犬は微笑んだ






『予期せぬエラーが発生。残高が確認できません』



 それは、スマートフォンのが、エラーになったことから始まった。


 蒼井陽翔はるとは、もう一度レジにバーコードをかざす。やはり結果は変わらない。

 嫌な予感がして、ひやりとした汗が出た。


「他のお支払い方法は?」


 最近現金を使ったのはいつ頃だったか。

 思い出せないくらい前であることは確かだ。

 営業スマイルの店員に向けて、愛想笑いを浮かべながら、制服のポケットに手を突っ込んだ。

 当然、財布は入っていない。


 なるべく迅速にリュックを下ろし、財布を出そうとしたが、そでのボタンがファスナーに引っ掛かり取れない。


 思いっきり引っ張ったら、糸がちぎれてボタンがだらりとぶら下がる。困惑している店員の視線を気にしながら、財布の中身を確認すると、小銭で三十二円。これでは何も買えない。


 仕方がないので深々と頭を下げて、恥ずかしさのあまり一直線に店を出た。






 枯葉だらけの歩道を早歩きし、コンビニが見えなくなると安堵の息を吐く。

 しばらくあの店に行くのは止めよう。


 さすがに落ち込んで徒労感が激しいので、ビルの隙間のベンチに腰を下ろした。死角になっていてちょうどいい。真っ赤になった顔に寒風が当たり、ようやく落ち着いて来た。





 今日は1日中、嫌なことばかりだ。

 そでのボタンはブラブラするし、担任にもあれこれ叱責しっせきされた。


 夏休み明けから代替えで赴任した物理教師が意味不明な曲者くせもので、はるだけ指名して、無理むり難題なんだいめいた設問を答えさせる。


 まだ習っていないような問題で、やれ落ちこぼれだのなんだの言われても、こっちとしたら訳が分からない。


 そこまで言うなら理系クラス志望から文転すると言ったら、なんであの教師は勝ち誇ったような顔をするのだ。思い出すだけで腹が立つ。


 どうやら目を付けられてしまったようだが、これと言って目立つところのないはるには、何故そうなったのか皆目かいもく見当けんとうもつかない。

 個人的に恨みを買っているようだが、いくら思い起こしても会ったことすら無いと思う。



「進路を変更するなら、受験したい大学や学科を先に決めることだな」



 ごもっともです。わかってます。

 受験したい大学と言われても特に無いし、将来やりたいことも思い当たらない。

 だからといって、心配しているとも思えない相手から、説教じみた事を言われても腹が立つばかりだ。

 その上、今日の夕食はカップラーメンでも食べるしかない。



 憂鬱ゆううつな気分で左手をポケットに入れる。

 いつもの定位置。陽翔はるとの安心材料。

 手に握られているのは母の形見の小さな裁縫箱だった。


 陽翔はるとはアルミの箱を開ける。

 糸切りハサミを取り出し、袖のボタンにだらりと繋がっている糸を切った。



――――――パチン。



 陽翔はるとには両親がいない。

 船舶の事故で帰らぬ人になったのだ。


 火災も発生したその事故で、両親は未だに遺体さえも見付かっていない。

 手荷物もほとんど焼失した中で、このアルミの裁縫箱だけが唯一燃え残ったものだった。


 両親の死により幼い陽翔はるとは養護施設に送られたが、後見人として父の親友が名乗りを上げ、陽翔はるとを引き取り遺産も守ってくれた。

 その後は中学卒業まで、父の親友の家族と何不自由なく暮らすことができた。


 父の親友はとても良い人で、両親の遺産は陽翔はると名義のまま手を付けられていない。

 感謝してもしきれないくらいだ。


 陽翔はるとは制服の上着を脱ぎ、針と糸でそでのボタンを縫い付ける。


 母は裁縫が好きな人だった。

 陽翔はるとを膝に乗せ、いろいろなものを作っていた。

 陽翔はるとも自然と興味が湧き、ボタン付けはもちろんのこと、ちょっとしたものなら手作りできる。


 チャッチャと手際よくボタンを付け終え、もう一度スマートフォンを見た。


 圏外で通信エラーが発生している。

 ついでに通話のアイコンにも赤いエラーマークが表示されていた。


「完全に壊れたね」


 もういいやと、スマートフォンを右ポケットに突っ込み、一人暮らしのマンションへ向かった。部屋に帰ってから回線業者に連絡しよう。


 今日も空が青いので上を見ながら歩く。

 顔はよく覚えていないけれど、父と母の思い出の風景はいつでも青空が広がっていた。


 陽翔はるとという名前の由来は、母の名前をプラスして、『未来の青空に飛翔しろ』という意味らしい。

 だから、なるべく顔を上げて歩くようにしている。


 

(せっかくお願いして一人暮らしを始めたのに、おじさん、おばさんに心配掛けたくないし、担任の事にしても自分で解決したい)



 いつものように、本当に何も変わりなく、マンションの入口のタッチパネルに暗証番号を入力する。


 ロックが外れない。

 また故障。いい加減にしてほしい。

 この厳しい社会、こういう事がたまには起きるに違いない。今日は厄日だ。


 そういう事にして、インターフォンで管理人に連絡する。

 いちいち落ち込んでいてはきりがない。


「505号室の蒼井ですが、暗証番号を入れてもロックが解除されません」


 返事の後は、しばしの沈黙。

 時間にすればわずか1分足らずだが、陽翔はるとにはとても長い時間に感じた。


 手持無沙汰でスマートフォンの画面をタップするが、インターネット接続不可メッセージ。

 脱力感が半端ない。


「蒼井様? こちらにお住まいではないようですが、何かお間違いでは無いですか?」



 無機質な女性の声が返ってくる。

 初めて聞く声。今朝までは朗らかな増田さんと言うおじさんだった。陽翔はるとはこの人の事を知らない。


「すみません。増田さんはいませんか?」


 朝晩いつも挨拶している管理人さんなら、すぐに中に入れてくれるはずだ。

 一刻も早くスマートフォンを使えるようにして、どこかに繋がりたいと陽翔はるとは切実に願っていた。


「前任者は移動となりました」


 今朝の挨拶の時に教えてくれても良かったのに。

 最後の挨拶をしたかった。

 今はこの女性に説明するしかない。


「僕はこのマンションに半年以上住んでいます。本当です。確認してください」


「確認しておりますが、ご契約は見当たりません。505号室は蒼井様のご契約ではありません。恐れ入りますがお引き取りをお願いいたします」


 数歩下がってマンション全体を見渡した。

 間違いない。

 部屋のカーテンも陽翔はるとが手作りした青空のカーテンだ。


 必死に説明したが理解されず、挙句の果てに警備員を呼ばれる。

 呼ばれたのは制服を着た屈強の男性で、陽翔はるとの腕を雑に掴み、怖い顔でにらんできた。


「本当にこのマンションに住んでいます。僕に見覚えは無いですか?」


 必死に訴えても聞く耳を持たれず、腕が締め上げられひどく痛い。

 悔しいがひとまず退散した。



「―――どうなっているのだろう」



 いつもと変わらない街並みなのに、一人だけ知らない街に放り出されたみたいだ。


 途方に暮れ空を見上げる。

 昔から空を見上げると元気が出た。

 落ち込んではいるが、気持ちを切り替える。


 育ての親の家は、ここから一駅だけ学校寄りだ。

 定期を使って電車で行けばいい。

 渾身の一撃で前を向き、駅まで歩いた。

 心配をかけるのは嫌だが、こういう時には大人に相談しよう。


 成人していない陽翔はるとでは、悲しい事にできることは限られていた。







✽✽✽







 陽翔はるとの育ての親は、亡き父の親友で林健太郎という名前だ。

 某有名T大学の工学科の教授をしている。

 専攻はロボット工学で、その分野では名の知れた人物であった。


 一緒に育った彼の息子は樹希いつきと言い、同じ歳で大親友だ。


 本物の家族かと言えば、そうではないかもしれないが、少なくとも彼らは陽翔はると邪険じゃけんにすることは無い。

 身元も保証してもらえるはず。

 最後の希望にすがりつくように最寄りの駅を出た。



 しかし、ようやく辿り着いた林の家は留守だった。



 玄関のインターフォンに応答が無い。

 背伸びをして庭を除いても、リビングの窓に明かりが見えない。




 陽翔はるとはなすすべも無く途方に暮れる。

 何時間待てば帰宅するだろうか。

 心細くて泣きそうだ。



「……」


 ――――うっかり忘れていたが、今、思い出した。

 今日の昼休みに樹希いつきが言っていた。

 父の健太郎が学会に出席するため、家族で空港に行き見送りをすると。


 一緒に来ないかと誘われたのに、断ったのは陽翔はるとである。

 

 後悔先に立たずだ。

 家族で食事をしてから、樹希いつき達は近くのホテルに泊まると聞いた気がする。




 ここまで必死で頑張ったが、もう限界だ。

 玄関で力なく座り込む。

 この状況を一人で打開するとしたら、契約している回線業者の窓口に行けばいいのだろうか?


 スマートフォンの通信も使えない現状で、窓口はどうやって探そう。

 人通りの多そうなところを歩けば見つかるだろうか。



 気持ちはしぼむし、辺りは段々と暗くなる。

 街灯が灯っても陽翔はるとは動き出す気になれずうずくまっていた。

 寂しい。そして、お腹も空いた。


 放心して地面を見ていた陽翔はるとの腕に、モフモフっと暖かい塊が触れる。


 モフモフ?

 顔を上げると、左腕が真っ白な綿毛に埋まっていた。



 大きな毛玉の中に、ココア色の小さい耳がピンと立っている。

 くりくりの茶色の瞳。

 まっすぐ陽翔はるとを見て、優しく問いかけるように首をかたむけた。


「わん」


 ふわり、にこっ、もふ。


 長毛種の大型の犬が笑っている。俗に言う『サモエド・スマイル』だ。


「い、犬?」


 よくよく見るとその犬は、通信機器のようなイヤーカフスを装着していた。

 また、毛に埋もれているが、首輪代わりにポーチに入ったスマートフォンをぶら下げている。


 いいなぁ、と見つめていると、スマートフォンが光りチャット画面が表示された。


 陽翔はるとは縋りつくようにスマートフォンを手に持つ。



 >こんばんは。困っているだろうな! オレならこの状況を説明できる。



 ピロンというメロディ音と共に、次々と流れるように文章が表示された。



 ---続く---

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