相沢歓喜

 転校というのは僕にとっても初めての経験だった。これまで思いを巡らせもしなかったことだけれど、既に成立している集団の中に放り込まれてそこに馴染んでいくというのは、もしかしたらかなり難易度が高い行為なんじゃないだろうか。

 小田に連れられるようにして教室に入った僕に寄せられたのは、好奇と値踏みが入り混じった名状しがたい種類の視線だった。クラスメートの人数はだいたい三十人ほど。その全員から、濃度は違えど関心を向けられている。

 自分はあまり人前に立っても緊張しない性格だと思っていたけれど、身体も、口も、思うように動いてくれなかった。何度か言葉に詰まりながら自己紹介をして、ぎこちない姿勢のまま中途半端に頭を下げると、まばらな拍手が起こった。三十人の誰とも目を合わさないまま、僕は指定された自分の席へと向かった。

 クラスメートと友好的な関係を積極的に築いていきたい、という思いは抱いていないはずなのに、それでも、現在進行系で生きている自分が誰かの関心や好奇心に耐えうるようなアイデンティティを持ち併せていないという事実は、僕を落ち着かない気持ちにさせる。けれど、そんなこともいずれ気にならなくなるのだろう。父が亡くなってからというもの、僕のあらゆる感性は鈍り、麻痺してしまっていた。

 窓際から二列目で先頭からは三列目という全方位からの目に留まる席で内容がなに一つ頭に入ってこない授業をやり過ごして、昼休みを迎えた。僕はすぐに僕はバックパックを持って席を立った。あらかじめ小田に、昼休みに落ち着いて過ごせる場所を聞き出しておいたのだ。

 一年の教室がある校舎の裏側に藤棚があって、そこなら人もあまり訪れないだろうとのことだった。たしかに現地はこの時間は日も当たらずジメジメとしていたし、木製のベンチは塗装が剥げてそこらじゅうがささくれ立っている。わざわざこんなところに移動して飯を食うような生徒もいないはずだった。

「俺も混ぜてーや」

 コンビニで買っておいたおにぎりの包装に手をかけようとしたそのとき、背後から声がした。驚いて振り向くと、同じ制服を着た、僕よりも上背がありそうな男子生徒だった。

 その顔には、なんとなく見覚えがある。たしか、隣の席に座っていたやつだ。教室では会話もなかったけれど、どうやら僕を追いかけてきたらしい。彼は僕の返事も待たずに、ベンチの空いている席に腰を下ろした。

「そのおにぎり、セブンで買ったん? 俺もおにぎりはセブン派やねんけど、通学路にないんよなぁ」

 そうやって一方的に話してから、彼はコンビニの袋からチャーハンのおにぎりを出して、頬張っていく。

 教室にいたときには気づかなかったけれど、香水かスタイリング剤か柔軟剤なのか、彼からはバニラのような甘い匂いがする。肌は綺麗で、身だしなみにもそれなりに気を使っているのがわかった。

 にも関わらずどこか警戒してしまうのは、その距離感と聞き慣れない関西弁のせいだろうか。

「名前、未来っていうんよな? 俺はカンキ。アイザワカンキ。よろしく」

 おにぎりを持っていない左手を、彼はこちらに差し出してくる。どうするか迷った末に、僕も自分の左手を差し出した。そして、そこでようやく僕は、事前にもらっていたクラスメートの名簿を眺めていたときに相沢歓喜という名前があったのを思い出した。

「歓喜は、他に友達がいないのか?」

 直感だけれど、歓喜はこういったあけすけな物言いで気を悪くしないタイプだと思った。案の定、彼は「未来って意外と毒舌やな」と笑い飛ばした。

「おらへんおらへん。いや、マジやで? 俺も未来と同じで、今年の春に転校してきたんや。最初はクールキャラでいこうとしてたんやけど、関西人やのに変にスカしてるって思われたんやろな、ほとんど誰も話しかけてこおへんかったわ。で、そっからキャラ変もできんと今に至るって感じやな」

「なるほど」

「未来はどうなん? 今のその感じがなんか?」

「俺は……これが素だよ」

 急な質問に、僕はよく考えないままそう答えた。

 素の自分。そんな物があったとしても、それはもう葬られてしまったものだ。

「ええなあ、憧れのクールキャラや。ちなみに、どっから来たん?」

「東京」

「マジか! うわ、これは仲良くなるしかないやん。いや、まさかここに来て東京のツレができるなんて思わんかったわ」

 よろしくな、一人はしゃぎながら肩を叩いてくる歓喜に、僕はやはりよく考えないまま頷いた。

これから、過去のことを色々と詮索されることもあるかもしれない。そう考えると億劫に思う気持ちもあるけれど、こうも友好的に接してくれる相手を撥ね退けてしまえるほど、僕は孤独を求めてはいないのだろう。その証拠に、登校してからずっと続いていた息苦しさが、今は僅かに和らいでいることに気づいた。

 自分の中途半端な姿勢が、つくづく嫌になってしまう。

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エンブレイス 有希穂 @yukihonovel

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