②
―煌龍もケチだな~。おにぎり一個くらい分けてくれてもいいのに~。—
たかがおにぎり一個のことを根に持つ愛牙こそ、大人げ無い。きっと、嫌な書類整理をやらされたから、余計に不貞腐れているのだろう。
しかし、書類も愛牙がサボった故の結果。詰まるところ、自業自得である。
現在、彼は桃色の色彩眼を駆使して、深紫得探の捜索に励んでいる。
深紫が最期に訪れた場所から探すのが鉄則だが、記録書によるとその記載がわざと消されたかのように載っていない。
この失踪事件には、裏があると踏んだ愛牙は宮中に足を運んだ。
「稲妻様、お久しぶりです。本日は
「まあ、そんなところでして」
いつもの軽薄な性格は鳴りを潜め、毅然とした姿で門番に挨拶をする。
通常、一軍人が帝の一族に会うなど容易にできる筈が無い。しかし、愛牙は邪神討伐第一部隊の副隊長。相応の理由の下、伺いを立て了承が下りたなら謁見を許された。
それでも、その日の内に会うことが許されたのは、定期的に宮中のとある人物に会う機会がある故だった。
「副虹様。稲妻愛牙殿がお眼見えになられました」
「通してくれるかい」
案内の者に通された部屋の奥。現
虹色の色彩眼を唯一有する帝の一族は、名に虹に関するものを付けることが習わしとなっている。
宮中という場を弁えて愛牙は左眼を眼帯で隠している。室内に、黄色と虹色の視線が飛び交った。
「二人だけで話したい。きみは下がってくれないか」
「ですが……」
「隣の部屋には
案内をした男は、愛牙が実弟を殺す可能性を危惧していた。来訪者が何処の誰であったとしても、虹族に忠義を尽くす人間ならばその疑念を抱くのは致し方ない。
しかし、愛牙に対しては特段に闇討ちを憂慮していた。何故なら、愛牙の母は先の虹帝に行動を制限され、無理矢理稲妻家に嫁がされた女性であった。
経緯は煌龍の母の
宮中へ定期的に見えているのも、虹帝より賜った左眼の色彩眼を駆使した諜報活動の報告をする為とされている。しかし、それ以上に虹族に対する御機嫌伺いの意味合いの方が強い。
親子二世代、人生を虹族に翻弄されている。だから、愛牙を含めた稲妻家の人間が虹族に遺憾を抱き、いつしか報復するのではないかと疑うのは致し方ないのかもしれない。
その上、愛牙の場合には虹族に対して己個人とても私怨があった。
しかし、副虹は愛牙は復讐などに囚われて人生を棒に振るうような男ではないと理解している。また、彼には絶対的な信頼を寄せている。正確に言うならば、
隣室へ護衛が控えていたこともあり、案内をした者は持ち場は戻っていった。
「いつも、いつも済まない。こうして、わたしの宮まで足を運ばせて」
愛牙が宮中に赴いた際、彼との面会は虹帝本人ではなく。弟の副虹が担っている。
「相手が副虹様なら、全然苦じゃないよ。寧ろ、偶におしゃべりに来たいぐらい」
隣の部屋で帯刀が揺れる音がする。愛牙が砕けた言葉使いで副虹に話しかけたことが護衛の忠雪の琴線に触れたのだろう。
「忠雪、気にするな。愛牙とは素で話しがしたい」
実のところ、副虹と愛牙は同じ年で、彼等は煌龍も含めて幼馴染であった。
愛牙や煌龍も幼少期に、親の職務上の都合で宮中に連れてこられた際。同年代ということで、副虹の遊び相手をさせられていた。
副虹にとってはじめての気の許せる友人である彼等とは、ありのままでいたいというのが心情だった。あくまでも、周囲に他に人が居ないときや、居たとしても副虹の信用が置ける者であったときだけだが。
「煌龍もこんな風に話してくれたら、嬉しいのだけど……」
「無理無理。覚えているか?俺が副虹様を一度呼び捨てしたときのことを」
副虹と同年齢である愛牙は、煌龍よりも先に宮中に出入りしていた。何度か交流して、親睦を深めた頃。副虹は呼称は付けないで呼んでほしいと、愛牙に頼み込んだ。そして、愛牙が次に副虹の宮へ訪れた日は煌龍が同行していたのだが、事情を知らなかった彼は、まるで自分の方が悪いことをして罰せられるかのように周章狼狽していた。その後、年下である筈の煌龍が愛牙に代わり平伏し、愛牙へ処罰を下さないでほしいと許しを乞うた。
「結局、俺も副虹様も土下座までする煌龍に罪悪感があって、以前に呼び方に戻しちゃったんだよね~」
「そうだったね。でも、わたしとしては、今からでも二人とは普通の友人として話したいよ。
また、呼び捨てで名を呼んではくれないかい。せっかくなら、今度は煌龍にも頼み込んでみようかな」
「ん~。無駄だと思う。今、同じことをやったら、俺は煌龍に処罰される」
以前、冗談で虹帝ものタメ口をきかそうかと言った愛牙であったが、それを聞いた煌龍は温度の低い眼で『処刑される前に、軍を追い出す』と言った。きっと、命だけは救いたいが故の発言だったのだろう。
冗談で言っただけだからと弁明すると、更にゴミを見るような視線を向けられた。
「諦めるしかないのか」
「煌龍は真面目だからな。虹帝へのタメ口を傍で聞くのですら、五年かかった訳だし……」
—でも、少し肩の力を落として、昔みたいに可愛げるある天然発言してほしいんだけどなぁ……ー
普段の言動から、煌龍の方が大人びて見える。調子の良いの愛牙を窘めていることが多いから余計にそう感じてしまえる。
しかし、愛牙の方が二つも年上。幼少期から、お調子者で年下の煌龍に助けられることも多かったが、煌龍も察しが悪く他者の考えを理解できないでいたときは、愛牙が手を差し伸べていた。
相互扶助であった二人だが、成長するにつれて煌龍も目端が利くようになり、愛牙が一方的に彼に迷惑をかけるようになった。
だが、最近になって白彩と婚約した煌龍は、他者との意思疎通、特に女性への接し方で愛牙を頼るようになってきた。
連火家の次の当主として、延いては前途有望な火の神通力の使い手として、害心を抱く人間たちからの圧力に幼い内から耐えてきた煌龍。その結果、自身に向けられる悪意などの類には敏感になったが、邪な感情以外の事柄には依然として鈍感なままだったらしい。
愛牙は幼馴染として、意思疎通の欠如さは心配するところではある。しかし、他者に自身の弱みを見せないよう気を張り詰めていた煌龍が、少しだけ昔のようなあどけない危うさを自分に見せてくれたことを嬉しく思えた。安心感さえある。
―それも、これも、白彩ちゃんのおかげだよなー。—
五歳で母親を亡くし、父親とは仲違いしたまま、姉は連火家より格式が高いところへ嫁いだ。
―一人になった煌龍に、心許せる人が見つかって本当に良かった。—
―だからこそ、俺はあいつの部下として支えないとな。その為に、眼の前の仕事を遂行する。—
「責任感が強いのは素晴らしいことだけれど、煌龍も偶には息抜きを―—」
「副虹様。俺が今日、こちらに赴いたのは、お尋ねしたいことがあったからです」
今、愛牙は邪神討伐第一部隊副隊長として、虹族の副虹に話しかけている。
「何だい?」
「既にわかっておられるでしょう。こんなわざとらしい書類を寄越したのだから。しかもご丁寧に、俺とあなたでしか気付けない暗号で、
愛牙は興味の無い読み物を速読する癖のある。深紫得探の失踪報告書は、彼の読み方で一気に内容を眼を通すと文字が浮き上がるようになっていた。愛牙と副虹だけに共有する伝達方法。
書類の制作は家臣に任せればいいようなものを、副虹本人が書面したのには何か伝えたい意図があるからだった。
「失踪した直前に何処で何をしていたのか、書かれていない上に空白が目立つ。しかも、紫の一族とはいえ、人民一人の失踪事件に虹族の者が介入し、書類も自ら制作した。
ここからは、俺の独り言になりますが、失踪した深紫得探は
愛牙は気付いている。虹帝が紫の色彩眼で秘密裏に何かをしているのだと。
深紫家の神通力の特徴からして、誰かを探す命じたのか。既に勅令は完遂されているのか。
何にしても、そのような事情で呼び出された後に、行方不明となった。
「すまない。わたしはその日、深紫家の者とあってはいない」
「……そうですか」
―会ってはいない……けれど、心当たりはあるってことか。—
実のところ、今の虹帝であらせられる
二人の間に二回り以上の歳の差があることも相まって、虹帝の行動が副虹に伝わらないことは多々ある。だから、宮中にて不穏な動きがあっても、副虹は身動きできないでいる。
今回のように、断片的に愛牙に情報を伝えているのも、これが精一杯だからだった。
「そうですか。申し訳ございません。お手を煩わせて」
「いいんだよ。また、近々会おう。今度は友人として」
「あぁ、そうだな。次は、煌龍を連れてくる」
帰り際、ただの友人として挨拶を交わす愛牙と副虹。
「また、危ない橋をお渡りになって」
愛牙が宮をあとにすると、隣室で控えていた忠雪が副虹に進言する。
「大したことはしていないよ」
「もう少し、御自身の立場を理解してください。紙面衆の者ではなく、私が実弟の護衛を任せられている時点で、あなた様は虹帝に警戒されているということを」
虹族の守り刀である紙面衆が、彼等の護衛役として常日頃側に控えている。しかし、副虹の護衛の忠雪は銀の瞳をしていた。
「きみだって、紙面衆の生まれではないか」
「私は紙面衆の資格が無く、追い出された落ちこぼれです」
紙面衆である為には、彼等だけが所有する瞳の色を持って生まれなければならない。忠雪は紙面衆の両親から生まれたが、瞳は銀の色彩眼であった為、早々に見限られた。
「でも、こうして紙面衆の動きを教えてくれてありがたいよ。愛牙に深紫得探と通じていたのは、虹帝ではなく紙面衆だというのは伝えられなかったけど」
「どうして、わざわざ邪神討伐の者に教えたのですか?今回の件、彼等にはあまり関係のないように思えますが……」
「邪神討伐部隊にはね。問題は、煌龍とその婚約した娘が引き離されかねないからだよ。紙面衆たちが連火家に干渉する気でいるようだから、止めに入りたいのだけれど……」
「それは流石にお止めください。虹帝にそのようなことをしたと知られたら――」
「わかっている。わたしのみならず、妻や子。そして、きみも罰せられかねない」
主と護衛という関係の両者。しかし、副虹にとって忠雪は、
「お内儀と御子息はともかく、私のことは切り捨ててかまわないのに……」
「そんな、悲しいことを言わないでほしい。きみはわたしにとって、大切な人たちの一人なんだ。
だけれど、煌龍もわたしにとってかけがえのない友人だ。せめて、これくらいのことはしたくてね。國家に関わることだから、私自身は何もできなくて、歯痒いけれど……」
「しかし、紙面衆がその娘を欲するのは当然です。彼女が紙面衆に居なければ、國が滅びる可能性があります」
果たして、紙面衆は如何にして煌龍と白彩の仲を引き離したいのか?そして、色無しである白彩が紙面衆に居なければ、國が滅びるとは⁉一体、何のだろう。
「その点に関しては、わたし自身、考えがある。心配しなくていいよ。
わたしは、
副虹は、個人を切り捨て、大衆を守るのではなく。大衆を切り捨て、個人を優先するのでもなく。両方を尊重し、どちらも守りたいという信念を持っていた。
傍から見れば、綺麗ごとでしかない。しかし、そんな彼だからこそ、かつて次の虹帝として持ち上げられたのであった。
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