集いの手紙
シグマが帰ってこないまま無常にも時は過ぎた。あまり心配はしていなかったロルフだが、母 トウランが毎夜、愁を帯びた瞳で空を見上げる姿を見てしまった。くどいようだが、あまり心配はしていなかったロルフだが、急ぎ問題を解決するために、3通の手紙を使い魔の狼たちに咥えさせた。
ーーー
地上15km上空、気侭に漂う積雲の上に、その店はあった。風の国 ボタンイチゲの外れにあるその店は、ドーリア式建築を主流としている王国に反し、黒の煉瓦造りの、2階建の洋館だった。派手な装飾も立て看板もない、地味なポツンとした一軒家。まさか、此処が国一のネオン煌くクラブ midnight Angelだとは、誰も思わないだろう。使い魔の狼は器用に爪を仕舞い込み、木造のドアを7回叩く。すると呼び鈴が宙から降りてきた。ジャンプしたら辛うじて口元に届く距離だったため、狼は2、3度飛び跳ね、漸く重厚なベルの音を聞くことが出来た。ドアが開くと、真っ先に見えたのは地下室へと続く階段だ。碧い光が何処からか差し込む階段を、一段ずつ、慎重に降りて行く。最後の段を降りると、更に重厚な鉄の扉が目の前に鎮座していた。さて、どうやってドアを開けようかと、狼が不安そうに鳴くと、何をした訳でもなく、重苦しい音を鳴らしながら扉が開いた。
狼の目の前には美しい天使がいた。白いタイトドレスを身に包み、ふわふわのローズピンクの艶髪を内巻きに巻いた愛くるしい顔貌は、月夜に輝く夜の天使だった。天使は狼の姿にピンクパープルのアイシャドウで煌めいた瞼をぱちくりとし、驚いた表情をしたかと思えば、すぐに蹲み、視線を合わせて、ふんわりと花のように笑った。
「ギャビン様はVIPルームにいますわ」
進むたびに甘い香が狼の鼻を狂わせ、進行方向を見失いそうになる中、美しい天使 ジェンナは歩幅を合わせ、ゆっくりと狼を導いた。辺りを見渡すと、天使が客に対し、ピンクや水色の飲料水を注ぎ、客はそれを気持ちよさそうに喉を上下に揺らしながら飲んでいる。テーブルは台座を囲い込むように並び、魅惑的な天使たちが、卑猥な衣装に身を包み、嫋やかなお尻を見せ付けるように、ポールダンスを披露している。闇夜に生きる者同士の筈なのに、全て狼が見たことのない景色だった。
「失礼致します。ギャビン様」
心地良い声と共に、ジェンナは白銀の翼が装飾された扉を開ける。マジックミラー越しにポールダンスが見える部屋の中で、美しく甘美な天使たちに囲まれながら、真っ赤なソファで脚を組み鎮座している男の天使がいた。金色の絹のような髪先をくるくると弄りながら、朱を中心とした万華鏡のような瞳は、店内にいる美しい天使たちではなく、一匹の狼が首筋にぶら下げていた手紙を、じっと見つめている。
「ギャビン様、お客様です」
「……ああ、分かってるよ」
「おいで」と、ギャビンは狼ではなくジェンナへと手を差し伸ばす。射るような視線、しかし、その瞳は柔らかく、吸い込まれるようにローズピンクの髪を靡かせ、ジェンナは金色色の美しい天使の膝下にしな垂れる。その様子に、どうして良いか分からない狼はウロチョロと右へ左へと動き回り、とりあえず女天使たちの間で、ギャビンへと必死に鼻を擦り寄せ、手紙を渡そうとする。
「ふふ、擽ったい。…すまない、今受け取るよ」
ギャビンが手紙を受け取った途端、役割を終えた狼は砂が舞い散るように消えた。喧騒とポールダンスに合わせて音を奏でるピアノ、隣で首に腕を絡ませた可憐な天使がキスしようとするのを制し、ギャビンは手紙の封を切り、特徴的な文字の陳列を見て、目を細めた。
「早く帰ってこい、ねぇ……」
「どうしたのぉ?ギャビン様?」
「ギャビン様?」
「ふふ、すまない。私の可愛い天使たち、少しの間、家族へ会いに行ってくるよ」
「えーー!」
「行っちゃうの?」
キャストたちは真白な翼を羽ばたかせながら、不満気にギャビンへと抱きつき、身体中にキスマークを散らしながら、行かないで、と瞳を潤ませる。しかし、それを膝下にしな垂れていたジェンナが制した。太腿に擦り寄り、頬を桃色に染めながら、蜂蜜のような蕩ける瞳でギャビンを見つめ、応える。
「あら、良いですわね。最近は根詰めの日々でしたから、どうかゆっくりと、家族団欒を楽しんで下さいませ」
「……いや、どうやら、そうも言ってられないらしい」
「え?」
触り心地の良いローズピンクの髪を、そっと壊れ物のように撫でながらも、手紙を見る目は険しく、いつもの甘い口調とは程遠い低い声で呟いた。
「使い魔のうち、彼奴は最速の狼を此方に向かわせた。つまり火急の知らせ、ということだろう」
そう言いながら、ギャビンは大きな溜息を吐いたかと思えば、それを伺わせないような美しい笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。それに対し、女天使たちは尾を引くような行動はしなかった。ただ、静かに立ち、立礼する。
「いってらっしゃいませ、オーナー」
「「いってらっしゃいませ、オーナー」」
ジェンナの声が号令となり、店内に居たキャストは全て、ギャビンへと立礼し始める。此処はmidnight Angel 美麗な天使たちの夜の帳が下りるまで、光り輝くクラブである。
「ああ、良い子で待っているんだよ」
ーーー
深海は常に暗闇と共にある。水深300mは超える浮世のような世界はシンプルだ。何故なら、深淵は何人たりとも侵入を拒み、勇気ある学者たちの命を攫っていくから。そんな光の届かない溟海で、泡沫とともに1匹の大きな、それはそれは大きな人魚と、とても小さな、子どもの掌いっぱい程度のウミウシが戯れている。
人魚は深淵を鈍く照らす真珠だった。銀白色の鱗を煌かせ、悠々と揺蕩い、時の流れに身を任せる姿は、誰もが見惚れ、気付いた時には深海へと沈んでゆく。地の底で眠る外航船や商船、錆びた錨と輝きを失った金銀財宝が、それを物語る。
戯れも束の間、人魚はふと、見果てぬ地上へ白魚のような手を伸ばした。突然の主人の行動に何事かと、ウミウシは側足をひらひらとバタつかせながら、人魚の大きな手元で慌てふためく。
「ブルウェラ様、どうされましたか!?」
人魚は何も言わず、小さなウミウシを海上へと押し出そうとする。訳もわからないまま、上昇海流で小さな身体がひしゃげそうになりながらも、ウミウシはぷるぷると身体を震えさせながら、押し寄せる海流が鎮まるまで耐えた。
ようやくウミウシが海面へと打ち上げられた。豆粒のような小さな目に映った光景は、流動雲が浮かぶセルリアンブルーのよな青空だった。そして
「わふっ!」
恐らく、海でいう鮫みたいな存在だろうな、と思えるような牙を持った謎の生物だった。普通ならば、己の知らない謎の恐ろしい生物を見た場合、小さな生き物は脱兎の如く逃げる。しかし、このウミウシ、人魚の手元で護られていることを良いことに、意気揚々と謎の生物へと話し出した。
「こんにちは!わたくしはブルウェラ様の翻訳ウミウシ、サフィーと申します!本日はどのようなご用件で?」
「わふっ!」
謎の生き物こと狼は、首にぶら下がった赤いネックレスを、これでもかというように揺らしている。だが、サフィーには何のことだかさっぱり分からない。そもそも、深海では赤は存在しない色だった。綺麗な色だな、とネックレスをぽぅっと見ていたサフィーだったが、主人の様子がおかしいことに気付く。
【……家に帰らないと】
「え??」
初めて聞く、人魚の慌てたような声に、ウミウシは驚きのあまり触覚を強張らせた。サフィーは深海から出たことはないが、広大な大地と、どれほど手を伸ばしても届かない空について、地上についての話を聞いていた。
そして、ブルウェラが打ち上げられた際に救われたトウランとシグマ、そしてロルフのことや、他の兄妹の話を、何度も何度も、暗記出来そうな程聞いていた。その話を聞くたび、いつしかサフィーは、地上を、ブルウェラが愛した家族が住む地、ジャーマンアイリスという国を見てみたくなった。
ブルウェラが地上に赴くには手間と時間が掛かる。まずは水の国 ニンフィアに赴き通行手形と魔法の脚を手に入れなければならない。
……これは良い機会だと、ウミウシは触覚をこれでもかと言うほど張り詰めながら、第一声を放った。
ーーー
「えー、被告人は死刑に処すー」
「ショスー」
「待て待て待て待て」
太陽を拒む地下帝国 リリィで、本日、裁判が行われていた。裁判官はタコの魔人、どちらが頭か定かではない身体に対し黒いローブを身に纏い、左手には玩具のようなガベルを持っている。一方、手前にいるのは裁判所書記官のミジンベニハゼの悪魔である。黄色い身体へ黒いローブを掛けており、顔が見えているようで見えていない。黒い死魚のような瞳は虚空を見つめている。
裁判所と言っても、それが行わられるこの土地は厳かで静寂漂う場所ではない。辺りは噂を聞きつけた悪魔たちが「血が噴き出るまで引き摺り回せー!」「四肢を捥げー!」と野次を飛ばしている。更に被告人に弁護人もいない、全く公平ではない形だけの裁判。なんなら、裁判員と称される悪魔たちも、壇上とされている巨大な岩の上で「これって何の裁判?」「なんか彼奴、ペドの露出魔なんだろ?」「え、そうなの?俺、国王の裸見たって聞いたんだけど」「えー、裸くらい見ても良くない?」と倫理観も知能指数も低い会話が繰り広げられている。
「えー、被告人は死刑に処するー」
「ショスルー」
「いや聞こえてるからな!?」
「話分かる奴呼んでこい!」と、乱雑に木の十字架へと磔にされた長身のヒョロガリ男が唾を飛ばしながら叫ぶ。しかし、タコの魔人は首を傾げながら、何言ってんの此奴?という雰囲気を身体全体で醸し出している。そして、目の前にあった薄っぺらな冊子を見て、何かに気付いたかのように瞳をパチクリとし、ページを捲り話し出した。
「えー、被告人は……地龍コール様の……ぎゃく…りん?に触れたためー、死刑に処するー」
「ショスルー」
「お前絶対台本あんだろそこに」
裁判官は触手を毛先のように触り、面倒くさそうに溜息を吐いた。どんなに喚こうが死刑は変わらない、この地下帝国では地龍コールの機嫌を損なえば、一族全員血祭り、先祖の墓も掘り起こされ陵辱される。まあ、墓なんて建てる魔族などまずいないが。
そして、そんな哀れな被告人の名はメラニー、皆が口を揃えて優秀な宮廷医師だったと言う男。何でも、薬剤調合もお手の物、種族関係なく診療出来る凄腕敏腕医師。しかし、何故このようなことになったかは誰も知らない。
「国王に会わせろ!この国に流行ってる薬物はやばいんだよ!」
「えー……被告人は……」
「さっきから同じことばっかり言ってんじゃねぇよ!触手ばっか触って……ん?お前、それ触手じゃなくてチン」
「被告人を処刑台へ移送して下さーい」
「クダサーイ」
「待て待て待て待て待て!!!」
メラニーは手首に繋がれた麻縄など関係なしに暴れ、必死に叫ぶ。しかし、薬で脳内を犯された魔人には何も響かない。死刑の準備は滞りなく行われ、側にいたミノタウロスがメラニーを十字架ごと処刑台へ連れていく。
「ちょっ…!?待て!!話を……!あーーーーっ!!!」
一方その頃、裁判所の近くで1匹の狼が手紙を咥えながら切なそうに「くぅん……」と鳴いていたことを、四肢胴体をバラバラにされていたメラニーは知る由もなかった。
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