応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 掃きだめの鶴とは何かへの応援コメント

    心に深く響く文章でした。
    私はまだ社会に出たことはありませんが、研究室で「掃きだめの鶴」と呼ばれるような存在に出会ったことがあります。

    自分の研究計画を一度は認めてくれたその人が、何年も努力を重ねた末に、突然「意味がない」と言い放つ。正反対の言葉を、堂々と口にする。
    私には、ただ逃げることしかできませんでした。

    だからこそ、最後の言葉に、強く心を揺さぶられました。自分への慰めでもありながら、思わず言いたくなります。
    ――たとえあなたが高みから見下ろす「鶴」であったとしても、
      他人の才能や希望を踏みにじる権利など、誰にもないのだと。

    作者からの返信

    栗パン様

    お越しいただきありがとうございます。

    このエッセイを公開してから、複数の人より同様な体験を聞きました。

    みんな言わないけど、みんな経験していると知りました。

    自分だけでないと思われたなら幸いです。

  • 掃きだめの鶴とは何かへの応援コメント

    私が前職で辞めた直前の上司も、正にこのクラッシャーでした!!
    この上司の部下は殆どがなんらかの「病」に倒れ、チームを壊していましたね💧
    少し、自分事のように読んでしまいました(;^ω^)

    最後の言葉
    私も罪は犯していない
    そう、救われた気がします( ;∀;)

    作者からの返信

    多くの職場が似たような様子なのです。恐ろしいことに、このような構図が日本国内で普遍的だと確信しましたから、エッセイにまとめるに至りました。ただし大きく平均を越えていない一筆ですから高い評価は望めません。

    自分が埋没している悔しさと悲しさ。

    集団内で特別な人間は、真の天才であれ、トラブルメーカーであれ、ドラマを現出させますから、創作に多く描かれます。それに対して埋没している人間については哀歌や残酷物語になりがちでフィクションでは評価を得にくく本数が少ないです。

    本数が少ないと、社会勉強を読書に頼る人には自分が少数派、見えてきます。しかし創作で少数でも実生活では大多数です。大多数の人が如何に在ると生きていけるか考えた末に、あの結語としました。外しいないようでしたら胸をなで下ろします。