第46話 桑名宿② 義侠
数日前。
伊勢国・亀山城―――。
軍議の広間に、この城を預かる北畠家の重臣たちが集まっていた。
伊賀国を制圧した功績により、北畠家当主こと織田信長の次男・北畠信雄は、所領であった伊勢国に加え伊賀国をも所領に加えていた。
主街道に接する国境の城を預かるのは、城代家老の長野十膳。
北畠家の御家騒動で織田方に味方した旧北畠家の重臣であり功労者の一人である。
「さすがは徳川家随一の剛者と名高い、本多忠勝じゃ」
「槍を突きつけられた時は肝を冷やしたぞ」
「いくら手勢が少ないといえ、一騎当千の者ばかりであったの」
集まって重臣たちは、先日の出来事を思い返す様に話す。
部屋の外では黒装束の若い男が膝を折り、集まった重臣たち下知を待っていた。
「しかし、良い情報が手に入ったの」
重臣の一人が膝を打って歓喜した。
「徳川家の嫡男である於義丸がこちらの手の内にあれば、徳川家との交渉の場に使えよう」
「信長公亡き後、次の天下を担うのは我が主君である信雄様だ」
「徳川家には、我が主君である信雄様の後ろ盾、いや先陣となって戦うてもらおう」
「ふふふっ。大手柄じゃ」
「そなたは伊賀衆の生き残り。織田家の忍びとして取り立てるよう信雄様に推挙いたすぞ。天下を取ったすえには、そなたを伊賀衆を束ねる統領として存分に活躍してもらうぞ」
黒装束の男は深く頭をたれ、礼を言う。
若い忍びであった。しかし衣服の内から見え隠れするしっかりとした肢体、赤い布を幾重にも首に巻いた姿は、「上忍」の風格を漂わしている。
「すぐに奴らの包囲網を張るのじゃ」
「絶対に於義丸を逃がすなよ」
「そなたら残った忍びを集めて参戦せよ」
「はっ!」と若い忍びは返事を返す。
その身は脱兎のごとく跳び上がると姿を消す。
「儂らも出るぞ」
「大切な於義丸君を御迎えにな……」
「よいか皆の者」
「儂らは今だ織田家にとっては外様だ。よいか決して織田の譜代臣に侮られるなっ」
「信雄様が京へ出兵している今こそ、伊勢国を預かる留守居役として準備万端、信雄様の御帰りを御待ちするぞ」
◇◆◇◆ 義侠
陣屋の門前―――。
刀を抜いた康勝と陣屋から現れた武者の男が刃を合わせていた。
そこに三吉が加わる。
三吉の手槍が武者の一太刀を薙ぎ払う。
陣屋から次々と現れる兵士たち。
武装をした兵士たちが長槍を構え槍襖の様に三方に展開する。
その後方には鉄砲を構えた兵士たち。
「ちょっとあんたら。いい加減にしなさいよっ」
押し黙っていたナギが大声をあげる。
「玄爺っ。ごめんなさいっ!」
ナギが懐から袋を取り出し、袋の中身をぶちまけた―――。
赤や黒や黄色の粉が風に舞い、風下に陣を敷く敵兵士たちの方へと流れていく。
「…………」
兵士たちの声が悲鳴に変わる―――。
隊列は乱れ兵士と兵士たちがぶつかり合い、敵陣は一瞬にして崩壊し惨状と化す。
「えげつなっ」三吉が思わず声をもらす。
ナギが恨めしそうに歯を噛んだ。
「玄爺の御土産にと買った調味料が台無しになったっ」
「人に、まぶしてやったって感じぃっ」
皆が無言でナギを見た。
次いで、両手で頭を隠すように覆うミナトを見た。
「皆っ。今のうちに逃げるぞ」
「待てぇっ。貴様らっ」
風に舞う調味料の粉たち中から声がする。
武者の男が顔を覆いながら鬼神の顔で現れ出た。
「きさまら卑怯だぞっ」
「それでも武士かっ」
「がっはっはっは」康勝から笑いが起こる。
「バカを言えっ」
「膳者を装って、我らに罠に掛ける」
「そのうえっ。この少数にその多勢」
「どちらが卑怯じゃ」
「それになあっ!」
「貴様らの様なっ主君を裏切る輩にぃ。振るう剣はないわ!」
武者の男は刀をさげ、大股で歩いてくる。
「こうなったら一騎討じゃあ」
と大声を張り上げる。
「儂はっ。北畠家臣。日置次太夫」
「勝負せいっ」
大きな体に鎧武者姿。
鬼にしか見えぬ風体である。
そして、地面につきそうに長い刃の斬馬刀。
「日置兄弟の一人か?」
伝八郎が言う。
「北畠家でも兄の大善と並ぶ剛の者」
「そして主君を裏切った大罪人がっ」
伝八郎が珍しく激しい口調で、目の前に立つ武者に浴びせかける。
「儂が闘う」
伝八郎がいつになく肩を怒らせ熱い言葉を吐いた。
◇◇◇
二人の男が激しくぶつかり合った。
剣と剣。体と体が激しくぶつかる。
三合、四合と刃が交差する。
相手の動きに合わせ左右に走り、また二人は交差する。
日置次太夫の振る長い刃が風を斬る。
伝八郎が野兎の様に跳び、蛇がもたげた鎌首の様に鋭い刃を斬り下ろす。
「りゃああああああ」次太夫の太刀筋が地面から鋭利に伸び切り上げる。
「ふんっ」伝八郎の頭上に構えた太刀が、真一文字に斬り下ろした。
キイィィィーンと金属が鳴る音と一緒に次太夫の長い刃が斬り折られ空に舞った。
「ヒュゥゥゥー。あれが永井の太刀割りかっ」
「初めてみたぞ」
と三吉が尖らせた口から細い息を鳴らす。
◇◇◇
「伝八郎っ引くぞ!」
馬に跨った康勝が、日置次太夫に馬上から槍の一突きを喰らわす。
「大将っ退却だ」
「於義丸様の下知じゃぞ」
さらに馬立ちになった三吉の槍の一突き。
次太夫が身をよじり槍突きをかわす。
突き出された槍先が兜をかすり、飾りが吹き飛ぶ。
「ぬあぁぁ」
半身の姿勢から、突き出された槍を折れた刀で叩き斬った。
三吉の髭面が笑う。
「次太夫。良い腕だっ」
「今度、合った時は俺と試合うぞっ」
「わっはっはっは」
新太郎が引いてきた馬に跨ると伝八郎は馬の背に飛び乗った。
「待てっ貴様らっ」
「逃げるかっ」
「決着がついてないぞ」
「城代様は返すよっ」
いつの間にか捕らわれ拘束されていた長野十膳が、ミナトの手から押し返される。
「次太夫! 何をしておるかっ!」
「早く奴らを追え」
「逃がすなっ。必ず捕らえよ」
「追うっ」
「この決着は必ずつける」
日置次太夫がよろめきながら声をあげ、長野十膳に近ずく。
折れた太刀を投げ捨てる。
ヒュン。一瞬であった。
長野十膳の腰に差した太刀を逆手で抜くと、そのまま肩口へ袈裟がけに斬り下ろした。
「貴様あぁぁぁ」
「何を……こんな事をすればどうなるか解っているのか……」
「我ら一族郎党……」
「叔父上。許せ」
「俺はもう我慢できぬ」
「主君を裏切り、織田家に刃向かう仲間たちを殺すなど」
次太夫の握る太刀が、横一閃に薙いだ。
短い悲鳴を上げ、十膳の身体が地面に倒れ込む。
「叔父上には、もうこの太刀は必要なかろう」
「俺が亡き御館様の愛刀を引き継いで、叔父上の代わりに
と、刀の血ぶりをすると十膳の腰の
おもむろにその太刀鞘を自分の腰に差すと、額の前に右手をたむけ、目の前の十膳を
「…………」
次太夫は馬の手綱を取り跨った。
そして馬を走らせ、その姿を消していった。
◇◇◇
高い大木の枝から一部始終を眺めていた黒装束の若い男が笑う。
そして東へと去っていくミナトたちを遠目に眺めた。
「俺が描いた絵図が台無しじゃないか」
「やっぱり只者じゃないな。あの二人……」
「悪いが、兄ちゃん姐ちゃんたちを利用させてもらった」
黒装束の男は両の手を組み目を閉じると、忍び言葉を唱える。
「後は、安土に向かっている信雄か……」
その目をカッと見開いた。
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