第51話 双鷹 ~エピローグ

 三河国・岡崎城―――。


 ナギは一人、目下に広がる城下町を眺めていた。

 城を中心に整然と区割りされた通りや家が扇状に広がる風景が見える。

 町の中央には大河が流れ、その先には広い外海が広がる。

 

 城の天守から少し離れた建物に庭付きの部屋が二人の為に用意された。

 広くて長い廊下。賓客をもてなす別宅だそうだ。


 岡崎城に入城してすぐ、ミナトとナギは控えの広間に通された。


 さすがのナギも立派な造りの部屋に座らされ少し緊張した面持ちだ。

 何やら着物の袖の中で、玄爺からもらった苦無くないを御守り代わりに握っている。


 岡崎城の城代家老を務める石川数正が、伝八郎たちを伴い二人が待つ部屋にやってきた。


「この度の事。於義丸様を御護りし、よくぞ御役目を果たしてくれた」

「この者たちから、其方の活躍は良く聞いておるぞ」

「家康様も大変お喜びじゃ」


 城代家老から直々に旅の功労を賛辞され、褒賞と言うべき内容が告げられた。


 「家康様が、其方を直参旗本の家臣として召し抱えたいとの事じゃ」


 三吉が目を丸くする。


「すげえぞミナトっ」

「直参旗本といえばっ、こりゃあ大出世だ」


「旗本同士、一緒にやろうじゃねえか」


 と三吉が思わず声をあげ、ミナトの背中を叩く。

 

 そして戸惑うミナトを、半ば強引に殿様である徳川家康が待つという謁見の間に連れて行った。


 ◇◇◇


 ナギは一人、用意された別宅の部屋でミナトを待ていた。


 お茶を運んできた世話役の女中にミナトの事を聞いても知らないと言う。

 見るに、城の内情が慌ただしい。

 城内外から頻繁に運び込まれる荷車。甲冑姿の兵士たちが慌ただしく城門を行き来している。この離れた別宅からでも判る程の慌ただしさがある。


いくさ……」


 ナギは溜息をついた。

 玄爺はナギに対して忍び働きの事はあまり話さない。

 草の忍として存在する忍び隠れの宿。

 忍びの娘として、その事情は理解しているつもりだ。

 時勢に応じて有力大名の配下となり、情報を集めては危険な忍び働きをする。


 草の忍びは所詮は草の者だ。道端に生える草の様に人知れず命を散らす。

 その事はナギが幼い頃より身に染みて承知している。父や母がそうだったように。

 行方ゆくえも知れず、生死も知れず、ましてや存在も隠したまま世間から消えていく存在。

 何も知らぬミナトまでも忍び家業に巻き込んでしまったと心の内に想いつつも、をミナトに期待し願っていた自分……。


 ナギの瞳から涙があふれた。

 ぬぐっても、ぬぐっても涙があふれる。

 

 この先、徳川家の家臣として仕官がかない、住居を与えられろくをもらうだろう。

 武士としてのミナトの新な暮らし。


 忍びの娘と大国の武士。

 二人は生きる世界が違うんだ……。 


 ◇◇◇


「ナギ」「ナギ……」


 ナギは、いつの間にか寝てしまっていた。


 空けた障子の戸口から夕陽がさしこみ、部屋は橙色に染まっている。


「明日の早朝。桑名の旅籠に帰ろう」


 ミナトが優しく微笑んだ。


「でも……」


 ミナトは、また微笑む。


「俺たちの帰る場所は、あの旅籠だよ」


「これからこの国の情勢はどうなるか、全く分からない」

「でも、玄爺がずっと護り続けてきた旅館。そして桑名の町」

「皆が、訪れる旅人たちが俺たちの旅館を望んでいるよ」

 

 ナギが鼻をすすった。


「これ……」

「今回の報酬。こんなに稼いだよ」

 

 ズシリッと重みのある巾着袋をナギの膝の前に置いた。


「それに……」


 ミナトが着物の懐から丁重に包まれた巻紙を取り出して広げた。


「何? それ……」


「家康様から直々の『証文』と『屋号』をもらったんだ」


「えっ『証文』と『屋号』?」


 それは『あさひや』と流調で綺麗な文字が並び描かれた紙。


 ナギが目を丸くする。


「これで。二人で商売をやっていこう」

「新たな商売だよ」


 ミナトが右手を差し出した。


「ミナトぉ……」


「うちぃ。うちぃぃぃ」

「わっあぁぁぁぁぁぁ」


 ミナトが差し出した手をすり抜けて、ナギの体がミナトの胸の中に飛び込んだ。


 勢いに押され態勢を崩し、二人はもつれながら広い畳に転がった。

 

 高い梁の天井が見える。

 腕の中には、大声でうれし泣きするナギがいた。


 ◇◆◇◆ 双鷹


 早朝―――。

 遠い水平線の先が金色に白み始めていた。


 荷を背負ったミナトとナギは城の別邸を出て、城門の前にいた。

 

「ミナトっ……」


 少年の声がした。

 まだ幼さが残る声。しかし、その声は力強くが通った武将の声だ。


 ミナトたちは声の主に振りかえる。


 そこには、開いた内門の前に立つ於義丸の姿があった。


「もう行ってしまうのか?」


 ミナトは声の主に深く御辞儀をする。


「於義丸殿。名残りは惜しいが、そろそろ御暇いたします」


「父上が残念がっておったぞ……」

「ミナトに当家への仕官を断られたと言って」


 門の前に立つ於義丸が、あごを上げて両手の拳を握りしめた。


「―――私はっ。私はっもっとじゃ」


「ミナトからは、色々と学ばせてもろうた」

「だが、まだまだ学びたりぬっ」


 小さな体躯の於義丸。

 その後ろには四人の若侍が控えている。


「本当に帰るのか?」康勝が問うた。


「帰りの道中。ナギと二人で東海道の宿場町をゆっくり巡るつもりです」


「俺の初仕事にしては、少々、荷が重かったですが……」


 と頬を上げ笑う。


「今度、旅籠うちに来る時は」

「もっと風光明媚な旅を案内しますよ」


「美味い飯、美味い酒を用意しています」


「ああそうだっ」

「今度、うちの旅籠でもウナギを料理を出そうと思います」


 と口元を上げ片目をつむる。


「おおー。それはいい」

「あの山里で喰ったウナギの味は、一生忘れらんものになったぞ」


「ミナトっ」

「私は、もっともっと馬の扱いが上手うなって、そなたの所に駆けていくぞ」


「於義丸殿っ。待ってますよっ」


 ミナトが右手を高くかかげ、手を振る。


「康勝殿っ。伝八郎殿っ。新太郎殿っ。三吉っさんっ」


「今度の旅っ。良い旅でしたかっ?」


「ああっ。良い旅だったぞっ!」


 皆が一斉に右手をあげた。


 ミナトが背筋を伸ばすと深く御辞儀をする。


「ミナト。お前は本当にぶれない奴だなっ!」


 皆、笑った―――。

 


「では、そろそろ行こうか。ナギ」


 ミナトが手を優しく差し出す。

 ナギはうなずくと、その手を重ねた。


 城門の石畳を並んで歩く二人。

 二人は城門の外で振りかえった。


 まだ二人を見送りに立っていた五人に、また御辞儀をした。


「本当にっ。本当にっ良い旅であったぞ」

「私は一生忘れんっ!」


 於義丸が数歩、前に歩み出し、大きく手を振った。



 城を去っていく二人の後ろ姿はしだいに小さくなってゆく―――。

 三河の海を染めはじめた金色の朝日の中に、二人の姿はゆっくりと消えていった。



「おい、伝八郎よ」


「何だ?」


「ミナトは、あの男が言っていた『蒼鷹』だと思うか?」


 腕を組んで立つ康勝があごをさしやった。


「ふっ。それはわからん」

「なにせ、ヤツ自身が覚えてないのだからな」

 

 と伝八郎は口元でニヤリと笑う。



 それは、京都から三河国までのわずか七日間の短い旅路。


 時は刻む。旅は夢幻の如くなり―――。



 ◇◆◇◆ エピローグ


 織田信長が本能寺で討たれて数日後。天下の情勢は思わぬ方向へと動き出した。

 三河国・岡崎城に帰還した徳川家康は急ぎ軍備を整え、明智光秀の討伐の為、京へと軍を進める。

 しかし、中国地方で毛利軍と対峙していたはずの織田軍の重臣・羽柴秀吉が京へと取って返し、明智光秀を討ち果たした。


 この知らせを尾張国で聞いた徳川家康は軍を退き返し、領主が空白となっていた信濃、甲斐国に進軍。その地を獲得した。

 これにより三河、遠江、駿河、信濃、甲斐を領土とした家康は名実ともに大大名となる。


 織田の重臣たちは己が勢力を保ったまま、次の天下人となるべく織田家の跡目争いの内戦が起ころうとしていた。


 

 ◇◇◇

 

 波の凪いだ静かな伊勢の海辺。

 青紫色に染まる天と海を二つに分ける水平線から金色の光が滲む。


 店の入り口から出てきた娘が、軒先に暖簾を掛けた。


 七月の乾いた潮騒の風に『あさひや』の文字が揺れる。

 

 黒髪を束ねた法被姿の娘は、明ける朝空に向かって大きく両手を広げた。



 *** 忍び隠れの居候 ―蒼鷹外伝― おわり。***

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