👧 👧 空色のお姉さん

 どうやらここが目的もくてき地のようです。

 三階ての立派りっぱ建物たてものの入り口です。屋上から、宣伝せんでん用のおおきなまくがかかってのんびりゆれていました。


   デパートは何でもそろふ吉四六きっちょむ

        哺乳瓶ほにゅうびんからしりこ玉まで


 「そろう」ではなくて「ふ」だということは短歌なのでしょうか。ですが、ふららちゃんにはあまりいできばえのようには思えませんでした。

「ここでテケレッツを売っているのですか?」

 ふららちゃんは、できるだけ小さな声でたずねてみます。だって、おじいさんのことはべつきらいではありませんでしたが、げんだけはされたくなかったものですから。

「そうとも、テケレッツでも、アジャラカモクレンでも、何でもそろっている」

 千里眼せんりがんさんが普通ふつうに答えてくれたので、ふららちゃんがほっとしかけたその時です。ふたりの前にいたひとりのわかいおねえさんが、デパートの入り口で急にバタンとこけたかと思うと、万歳ばんざいしたままズルズル流れてやってました。

「おねえさん!わたしにつかまって」

 ふららちゃんが急いでおねえさんの万歳ばんざいしている両手をつかまえてあげます。千里眼せんりがんさんも、ふららちゃんがいっしょに引きずられて行かないように後からしっかりき止めてくれました。もちろん、こうなることもずっと前からわかっていたにちがいありません。

「ありがとうございます」

 おねえさんは用心深く立ち上がると、いずみのようにき通ったやさしい声で、ふたりにお礼を言いました。

「助かりました。つい考え事をしてしまったものですから … 」

 おねえさんはすてきな空色のドレスを着ていました。片手かたてに小さな手かごを下げています。

「赤ちゃんのころからすべってばかりいたので、きょうはキュウライソを買いにたのです。さっきからこれでもう七回こけました」

 きっと、よほどゆめ見がちな人なのでしょう。

「そんなにたくさん考えることがあるのですか?」

「実はさっきも、待ち合わせていた友達ともだち喧嘩けんかしてしまって、そのことばかり考えていたものですから …」

 そう言ったとたん、またあぶなくすべりそうになります。ふたりは両側りょうがわからおねえさんをはさむようにしっかりささえておいてあげなければなりませんでした。

「ほら、あれがその友達ともだちです …。仲好なかよしだったのに、喧嘩けんかしてしまったので、これでもう、おわかれです …」

 見ると、少し向こうの方に黄緑色の帽子ぼうしをかぶったひとりのおにいさんがおりました。でも、かれときたら、転んでは立ち上がり、また転んでは立ち上がりを何度も何度もくり返しながら、どんどん遠くへすべり去って行くところだったのです。まっすぐこちらを見つめて、悲しそうに何かをさけびながら、空色おねえさんに手をさしのべたままどんどんはなれて行きます。

「さっきまでは水色ぼうでしたのに、もうすっかり黄緑色になってしまいました …」

「水色の帽子ぼうしが黄緑色に?」

 ふららちゃんは首をかしげます。

「まわりの人たちをよく見てごらん」と、となりで、予言者よげんしゃさんがヒントを出してくれました。

 言われた通りしばらくまわりの人たちを観察かんさつしていたふららちゃんは不思議ふしぎなことに気がつきました。ふららちゃんたちのすぐ近くにいる人たちは全員、 男の人も女の人も、おとなも子供こどもも、青や空色やスミレ色の帽子ぼうしを頭にのせていて、また、そこから少しだけはなれた所にいる人たちはみな、あまり青くない緑色や黄緑色の帽子ぼうしをのせています。そして、そこよりもう少し遠くにいる人たちの帽子ぼうしはどれも黄色やもも色やさくら色で、うんと遠くにはなれた人たちの帽子ぼうしは赤やざくろ色や夕け色ばかりだったのです。しかも、少しだけはなれた所にいる人たちはみな、こちら向きにゆっくりふららちゃんたちからはなれて行く途中とちゅうで、少し遠くにいる人たちはもっと速足でこちらを向いたままはなれて行き、うんと遠くにはなれた人たちときたら、もう、とんでもない速さで三人から遠ざかりつづけているではありませんか。

「”去る者は日々にうとし”と言ってな」と、千里眼せんりがんさんがつぶやきます、「ひとたび心がはなれてしまうと、あとはおたがい、しんじられない速さで遠ざかって行ってしまうものなのじゃ」

 それで、ふららちゃんはわすれないうちにいそいで生徒せいと手帳を取り出して、”去る者は日々にうとし”とメモしておきました。

 「… ほら、もう、あんな所まで …」

 本当です。こうして話している間にも、おにいさんはずいぶん遠くまではなれて行ってしまい、帽子ぼうしの色も、黄緑色から、もう、黄色にわりかけていました。このままだと、そのうち坂の地平線にみこまれて行ってしまうにちがいありません。

「なぜ喧嘩けんかしたのですか?」

 ふららちゃんはたずねてみました。

「実は … この子の名前のことで意見いけん対立たいりつしたのです」

 そう言って、空色さんはバスケットのがねをはずすと、中から何か黄色いものを取り出しました。

「わ!」

 ふららちゃんは思わずさけんで、目を大きく見開きました。

 だって、それは、ちっぽけな可愛かわい子猫こねこでしたから!

「この間、迷子まいごでいたところを拾ったまま、まだ名前がなかったんです」

 子猫こねこは自分のことを言われているのがわかるのか、「ミ」とひと言だけ答えて、おねえさんとふららちゃんの顔を見比みくらべています。

「わたしは『菊花きっか』にしたかったのです。だってきくの花びらみたいにきれいな黄色だし、それに今はちょうどきく季節きせつですもの」

 本当にかわいい小菊こぎくのようなうすじまです。

「なのに、かれったら金色だから『キンタ』がいって言うんです。女の子なのにそんなのへんだと言ったら、絶対ぜったいへんじゃないとかれおこって喧嘩けんかになってしまいました」

 ふららちゃんは、思わず、もしわたしに「与平よへい」とか、「金吾朗きんごろう」とかいう名前がいていたら、みんなはわらうかしら?と想像そうぞうしてしまいましたので、たして、また、こけかけました。

「何とかしてあげられないものかしら」

 ふららちゃんはため息をついて首をかしげます。

 何だかとても残念ざんねんです。なかかった人たちがはなればなれになって行くなんて、悲しくて、正しいことではないような気がします。人はいつでも仲好なかよしでいなければ … 。—— 人も、ありんこも、アザラシも …。

 そうだ、こういう時こそおじいさんにたずねてみましょう。

「ねぇ、千里眼せんりがんさん。ふたりはもうこのまま会えなくなってしまうのですか?」

 ところが、千里眼せんりがんさんは「どうじゃろう …」と、空を見上げてしまいました。

 どうやら、このかんじんな時に、近くのものごとが急に見通せなくなってしまったようです。

「三万年以内いない出来事できごとがぼやけておってな。だが、ここは、とりあえず先に用事をすませてしまおう。そのうち、また、ぼちぼち見えてくるはずじゃ」

 こうして三人(と一匹いっぴき)は、黄色帽子ぼうしのおにいさんのことは一度わすれることにして、それぞれの買い物をしに、デパートの中へ入って行きました。




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