第5話 脱出
深い穴に突き落とし、餓死を狙ったであろう状況でしたが、加えて煙に
不死とはいえ、苦しいものは苦しいし、熱いものは熱い。
にわかに焦ってきました。
「と、とにかく、逃げたほうが良……ひゃ! んむー!」
突然、頭上から布を被されました。目の前は白一色。何も見えないし、口元を抑えられてしまったので言葉も発せません。
「むぐぅ~! んな~!」
「少し静かにしていろ」
煙が迫っているなか急に視界を奪われたので不安で仕方ありません。暴れて抵抗を示してしていると、布の上から強く抱きしめられました。
白く見えているのは、ヨーツェ様のマントの裏地のようです。マントを頭から被されたのだと気づきました。
「ぅんむごー! むぅぐーっ!」
恐らくはてるてる坊主のような恰好になっている私が、間抜けな姿のまま声をあげます。体をよじっていると、ヨーツェ様は、あろうことか私をお姫様抱っこにしました。
私を、お姫様抱っこに、しました。
お姫様抱っこに、しました。
………………。
「むぁんねねふのー! (なんでですのー!)」
「黙っていろ。あまり大きく息を吸うな。煙を吸い込むことになるぞ」
そんな声が聞こえて、私は自分の体が浮き上がるのを感じました。
抱かれたまま、上へと昇っていっているようです。
飛んで穴から脱出してくれるのでしょうか。でも、このままだと炎の真ん中に立つことになるような……。
そうなっては、私は火炙りになるみたいなものです。
熱いのはイヤ。あとで蘇るとはいっても、熱いのは本当に苦しいのでイヤです。凝りております。
生身の人間を抱えているのだ、ということをヨーツェ様に思い出してもらうために、足をばたばたとさせました。空気をかきまぜるみたいに。
すると、マントにくるまれていない腰から下に、熱い空気が触れるのを感じます。
熱風が吹き上がってきているのです。
大変な熱さに、思わずヨーツェ様の胸のあたりを叩きます。
てるてる坊主状態なので腕もあまり自由にはならず、強くは叩けません。小さな抵抗です。
「耐えろ、まもなくだ」
ヨーツェ様は、布に覆われた私にそう囁きました。
ぎゅっと、体に回される腕に力がこもります。
乾いた樹の匂いのような、暖かな匂いにつつまれます。
ヨーツェ様の香りなのかもしれません。冥府の神から受ける印象とは違う、優しい香り。
どこかで嗅いだような懐かしい香り。
って、それどころでは無いですわね。
一瞬のドキドキと逡巡。から即座に冷静に戻り、自分を戒めます。
感情が忙しといったらありません。
と、唐突に、
バサッ! と覆いを外されました。
眩しさに目を閉じますが、外の光が瞼をつき抜けてきます。
「高いところが恐ろしいか? 落ちる心配はないが、不安ならば強くつかまっていろ」
耳元の、すぐ近くでヨーツェ様の声がしました。
「わわ!」
思わず声が上がります。反射的に、細く目を開きます。
はためくマントを背に、銀糸の髪と、白磁器の肌。深いアメジストの瞳が近くに迫っておりました。
顔の近さに耐えきれずに、下に目線をそらします。私たちは、そばだつ木々よりもさらに高いところに浮かんでいました。
日差しを浴びた青い草が目に眩しく映ります。
少し離れた場所に、不自然に燃え盛る炎がぽっかりと。私の突き落とされた穴のすぐ近くです。
うーん、人為的です。分かってはおりましたが。
「なによあれ! なんでお義姉様とイケメンが飛んでるの?」
真下の木の陰からキンキンと響く声がしてまいりました。
義理の妹のノーマの声です。
私たちを見上げて、悔しげに叫んでいます。
ノーマの隣には、彼女のお気に入りの近衛師団長の騎士が居ます。
複雑な表情に見えるのは気の
継母であるヨハンナ様は青い顔をして神官長となにやら話し合っていました。
地上にいるのは、その四人だけのようです。
儀式のあとで、四人だけで残ってなにを悪巧みしていたやら、ですね。
「ちょっと! お義姉様を……あの女をここに引きずり下ろしなさい!」
「ノーマ様、お、落ち着いてください。ここは一旦、お下がりください! 得体の知れぬ術を使う相手です、危険です!」
師団長が、顔を引っ掻かれながらも何とかアニカをなだめています。
「神官長! 話が違うわ! 冥府の神は魂を迎えにくるのではないの!? 体を殺し、魂が抜けたところで体との繋がりを切ることが出来ると! そうすれば復活はしないと! ティナはまだ生きて、無能の神に抱えられているじゃない!」
「皇后陛下、落ち着きなされませ……へぶっ!」
神官長が焦った様子でヨハンナ様を抑えようとしますが、狂乱状態のヨハンナ様は止まりません。
彼女が振り回した扇が鼻に直撃した神官長が、間の抜けた悲鳴を上げました。
「お黙りなさい! あれをなんとかしなさい! ティナを殺し、魂だけをあの無能の神にくれてやるのです!」
「ええ、そうですな。無能の神は、ただ花嫁の魂だけを連れていけば良い。そうすれば不死の呪いも解けるでしょう……ティナ皇女を呪いの苦しみから解放して差し上げましょう」
鼻を押さえていた神官長は、ヨハンナ様の言葉を口のなかで検分するように繰り返すと、そう言い切りました。
赤い鼻の下、乾いた唇を舐めてニタリと笑う神官長が不気味です。
「さあ、呪われた皇女殿下に死の安らぎを」
ひやり、と背筋が凍ります。
神官長は決して声を張り上げているわけではありません。
私たちの浮いている地点からも、離れています。
でも、彼の無感情な声音は、私の
「ふむ」
ヨーツェ様は、神官と私を見比べて、そうつぶやきました。
無意識にヨーツェ様の胸に、強くすがりついていたようで、彼の襟を掴む私の手に、そっと手のひらを重ねてくれました。印象よりも温かくて、まるで人の手のようでした。
何やら指示を出している神官長と、動きはじめた若き師団長。彼らを視界のはるか下に置きながら、ヨーツェ様が話しはじめました。
「
それを聞いて私はすぐに思い当たりました。
「本で読んだことがあります。たしか、毒を持つとか」
「そうだ。夾竹桃の煙の香りがしている。この者どもは、お前を穴に落とすだけでは足りなかったようだ。風上で夾竹桃を燃やし、その煙を吸わせて苦しませて殺そうというのだから」
そう言って、スッと地上を指差すヨーツェ様。
指の先には、金切り声をあげるノーマが居ました。
「ヤダヤダヤダ! 今日こそが、お義姉様の最後の日になるはずなのにッ! 穴から脱出するなんてネズミなみにしぶといわよ! さっさと毒の煙で
「ノーマちゃん、どいてなさい。
「念のために神殿より持参したものです。人ならざる物の貫くという矢ですが、果たして神にはどうですかな」
「不吉な死に戻りの皇女よ! 今こそ、死を受け入れ、あるべき姿に戻れ!」
ヨハンナ様も神官長も師団長も、好き勝手言ってくれます。
改めて、殺意がすごいです。
まあそれもこれも、私が死に戻りの呪いの皇女で、しぶとくて、彼らには不都合な存在であるからでしょう。一応、皇位継承権一位ですし。
あとは私の言葉選びが壊滅的に下手で、いろいろと彼女たちの神経を逆なでしてきたというのもあります。
うーん、自分で考えても厄介ですわね、私。
「おい、お前。なぜここまでの敵意を集めている?」
ヨーツェ様も不思議そうです。
「それについては、あとでゆっくりとお話ししますわ。今はあの弓をどうにかしなくてはなりませんわ」
「ふむ。それもそうだ」
ヨーツェ様がなんでもないように頷いたときです。
「死ねッ!」
師団長の咆哮とともに、
ヨーツェ様は、それを一瞥しました。ほんの一瞥しただけなのです。
それだけで、弓は静かに空中で動きをとめました。
さらには、地上の風向きが180度変わりました。
有毒な夾竹桃の煙が、四人を襲います。
「てっ、撤退! 撤退だ!」
ノーマの手を取って誘導を開始した若き師団長の足の間の地面に、空中で静止させられていたはずの弓が突き刺さります。
可哀想に、彼は腰を抜かしてしまったみたいです。
みっともない姿に、ノーマは明らかに引いた顔をしています。自分を守ろうとしていた相手に、そんな顔をしてはいけないでしょう。困った
「こんなところか。さて、冥府に参るぞ、俺の花嫁よ」
ほうほうの体で逃げていく四人を完全には見送らないうちに、私は濃い霧に包まれました。
このまま冥府に移動するのでしょう。
あ、その前に。
「ノーマもヨハンナ様も! その緑色のドレス、カエルにしか見えなくてよ!」
霧の向こうに届くように声を張り上げます。怒声が聞こえて参りましたが、届いたでしょうか。
有毒な染料が使われたドレスを着るのは、国のためにも、お二人自身のためにも、やめて欲しいのですが。
ヨーツェ様が複雑な顔で私を見ていますが、きっと何かを誤解していますわね。あとで説明しようと思います。
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