第20話 ひねくれた気づかい


「豆腐の角に頭をぶつける、を見られるなんて。ムネアツだよなァ……」


 帰り道、喜之助はしみじみつぶやいた。

 怨霊がぶつかったのは豆腐の角というより平面なのだが、細かいことを言うのは無粋というもの。


「――ぼく、おとうふじゃないもんッ」

「いてッ」


 突如闇からあらわれた豆腐小僧が、お盆で喜之助をベシベシ叩いた。豆腐を使ってしまったので盆が空になっている。


「とうふちゃん、外で出てきちゃ」

「だってキノスケがしつれいなのッ」

「さっきの話、聞いてたんだな! ごめんよぅ」


 怪異にかじられるのどうの、のことだ。怨霊を祓ってからいったん引っ込んだものの、思い出して腹が立ったらしい。

 ところで「くん」が取れ「キノスケ」に格下げされていて遥香はあわてた。喜之助は以前にも崩れそうと言ったりしたから、豆腐小僧もいいかげん怒ったのか。


「悪かったって。何かおごるからさ、許してよ豆腐小僧くん」

「むぅ……じゃあねえ。がんもどき!」


 やっぱり豆腐なのか、という心の叫びは押し殺し、喜之助は了承する。ゆびきりをして闇に溶ける豆腐小僧を見送り、遥香は冷や汗をかいていた。


「すみません、あの子ったら」

「いやいや、俺が馬鹿なこと言ったからだしね」

「喜之助、妖怪に貢ぎすぎだぞ」

「あ。ううぅ……」


 彰良の指摘に、遥香もつい吹き出した。水乞にはラムネ。豆腐小僧にはがんもどき。たいした金額ではないけれど、値段の問題ではない。


「どうせなら人間の女に貢ぎたい……絹子ちゃあん……」


 そんなつぶやきが夜の闇に消えた。




 翌日、仕事の顛末を報告しに喜之助は出かけた。

 その際に遥香から聴取したことには、大食いの怨霊はどうやら付近の店の下働きだったらしい。金を稼ぎ、ぜいたくな飯を腹いっぱい食べてみたいと思いながら、病で死んだようなのだった。


 触れる手から伝わる死者の想い。

 そんなものを受け取っていて大丈夫なのかと彰良は心配だった。遥香など、すぐに泣いてしまうくせに。


「……だいじょうぶ、です」


 問われて遥香は強がった。つらいなどと言えば、怪異を清めさせてもらえないかもしれない。それでは遥香はここにいられなくなってしまう。


「嘘をつくな」


 ほんのすこしためらった遥香の声で、彰良は気持ちを言い当てた。


「嘘なんか」

「替わってやれなくて、すまない」


 謝られて驚いた遥香は、針で指を刺してしまった。


「いッ――!」


 遥香は指先を口に含む。怪我を気づかう彰良のまなざしが、こんどは心に刺さった。


 ひと仕事したし今日はのんびりしていいと言われたのに、遥香は二枚目の着物に取りかかっていた。何もしないなんて、むしろ落ち着かないから。

 藤色の矢絣やがすりは、しっとり落ち着いた色味ながら娘らしい。これも着るのが楽しみだけど、急いだら怪我をしてしまうかも。それにせっかく彰良から贈られたのだから丁寧に仕立てたい。

 気を取り直して針を持とうとする遥香を、彰良は手で制した。真剣な顔だった。


「おまえ、人の心を受け取るのはきついんじゃないのか」

「え……?」

「たて続けに怨霊ばかりだったからな。怨霊になる奴の思い出なんかロクなものじゃないだろう。魔物の方が楽であれば、今後は配慮するよう俺から山代さんに言う」


 考えながら言われ、遥香の心臓はまた跳ねた。トク、トク、と騒がしいのを我慢して首を横に振る。


「ちゃんと、働きます」

「泣きながら働かれても気になる」

「……泣きません」

「何度も泣いただろう」


 その通りで遥香はうつむいてしまった。彰良の前では、たくさん泣いている。

 しかも考えてみれば、出会った時からそうだ。あの日は軍に捕らわれるのかとおびえながら、豆腐小僧を逃がそうと抵抗して涙をこぼしたのだった。

 羽交い締めにされたことを思い出し、遥香の顔が火照る。その赤く染まった耳とうなじで、彰良も鼓動が早まった。

 初めおどおどしてばかりだった遥香。それが今は笑ったり恥ずかしがったり、いろいろな顔を見せるようになった。その表情に彰良はいつも目を奪われてしまう。

 泣いていても笑っていてもいいから、ずっとここにいてくれ。

 言えないが、そう思った。遥香に伝えることはないだろうが。


 遥香を好ましく思っているのは彰良も認めざるを得ない。でもそれは、打ち明けられない気持ちだ。

 彰良は狼の血を引く半妖。いつ魔物に堕ちるか知れない。

 そして、もし子をなすようなことになれば子にも血は受け継がれていく。彰良は自分に流れる呪わしい狼の血を怖れ女を遠ざけてきたのだった。

 遥香のそばにいたい。

 だが手に入れるわけにはいかない。

 その葛藤は、彰良の物言いをひねくれさせる。


「横浜方面支部で扱うすべての怪異をおまえが清められるわけはない。だから仕事は選べ。無理をしてすぐに辞められるのは迷惑だ」


 そんな言い方しかできなくて、彰良は自己嫌悪におちいった。だが遥香はその言葉を良いように受けとめ、すがるように彰良を見つめた。


「私――ここにいていいんですか」

「当たり前だろう」


 彰良が心底からそう言ったのは伝わっただろうか。遥香はとても嬉しそうにほほえむ。二人、見つめ合って――。


「――あ」

「――帰ったか」


 同時に喜之助の気配を玄関の向こうに感じた。


「ただいま!」


 カラカラと玄関を開けた喜之助が大きな声で告げた。急ぎ足で居間に来る。


「……ん? おまえら何してんの?」

「お帰りなさいませ」


 喜之助が帰ってきたのに気づいて、遥香はサッと針仕事を持ち直した。そして縁側からふり向いた風をよそおい喜之助を迎える。

 彰良もわざとらしく遥香に背を向けていた。そこにあった剣をカチリと鳴らして鞘の抜けを確かめるのは、ちょっと苦しいか。

 見つめ合っていて我に返った二人のぎこちなさは、ごまかそうとしても喜之助にバレたようだった。


「なんだよ、喧嘩でもした? 仕事が入ったんだけどなあ」

「仕事? 連日か」


 やや白々しく彰良は喜之助を見上げた。立ったままの喜之助は、めずらしく苦い表情になる。


「魔物だぜ。大きな蝦蟇がまだそうだ」

「ほう」


 蝦蟇。蛙が成った魔物だが、水場があれば町の中にあらわれることもなくはない。先ほど「魔物の方が楽なのでは」と話したこともあり、遥香が祓えればと思った。


「蝦蟇さんは、どこに出たのですか?」


 遥香がたずねたら、喜之助は微妙な顔をした。そしてゆっくり口を開く。


「――太田町、稲荷ヶ岡」

「え」


 遥香は息をのむ。

 それは、遥香が育った場所だった。


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