第8話

 階段を上ると、来るのが分かっていたかのように、教父が待っていた。

 エイラを腕に抱いていた。エイラの身体からは、一滴の血も流れていない。そういう突き方をしたのだ。

「聖女は、先ほど息を引き取りました」

 黙ったまま、教父はエイラを見つめていた。

「教父様は、ご存じだったのですか」

 じっとエイラを見つめていた教父が、やっとセドを見た。

「まさか。ですが、聖女の中に魔が潜んでいることは、折に触れて感じていました。十年前、戦から帰ってきてから、ずっと。それなのに、結局私には何もできなかった」

「遺体を、どうしますか」

「こちらの部屋へ運んでください」

 教父に促されるまま、少し歩いた先にあった部屋に入った。

「この子が、初めて与えられた部屋です」

 たいして広くもない部屋だった。机と椅子と寝台があり、机の上に、経典と筆記具と、黄色い花が生けてあった。

 寝台にエイラを寝かせた。

「眠っているだけ、ということは?」

「いいえ、残念ながら」

「心の魔に、勝てなかったのですか」

 頷く代わりに、教父の目を見つめた。

「ひとつ、お願いがあります」

「ほう。剣士様の願いと」

「ルインという孤児ですが、私に譲って頂けませんか」

 寝台に横たえられたエイラを見つめながら、教父がしばらく黙った。

「いいでしょう」

「ありがとうございます」

「気付いておられたので?」

「いえ。先ほど知りました」

「そうですか」

 エイラが喋ったと思っただろうか。この教父は、間違いなくルインの正体を知っているはずだ。エイラに協力し、また事実をどうにでもできるのは、教会においては教父しか考えられない。

「その方がいいのかもしれません。それに、あの子は、私にとって複雑過ぎる」

 言葉が見つからず、セドもただエイラを見ていた。エイラは、綺麗なままだった。本当に、眠っているだけのようの見える。

「すみませんが、もう帰って頂けますか」

 エイラを見つめたまま、教父が言った。

 一礼して、部屋を出た。しばらく歩いたとき、背後から慟哭が聞こえてきた。

 サリは先に教会から出ていた。というより、王宮の礼拝堂から転移してきたので、今度は逆に教会から王宮へ戻ったのだ。

 何も言葉は交わさなかった。言葉など、何の意味もない。

 教会から出た。日が落ち始めている。そんなことより、さっきまでの時間が、僅か数時間の出来事であることに、セドは驚いていた。とてつもなく長い時間が経ったような気がしていたのだ。それが、一日すら経っていない。

 探しながら歩いたが、教会の中でルインが見つからなかった。そう思ったとき、修道院の陰に消えていく少年の姿を、視界の端で捉えた。

 追っていくと、修道院の建物の裏側で、ルインが草の上で膝をついていた。

「何してる」

 びくっと身体を震わせたルインの腕に、猫がいた。

「剣士セド様。なんでここに」

「まあそれはいい」

 セドも、ルインのそばで屈んだ。

「猫をどうするんだ」

「この子、足を怪我してたんです。それで」

「治してやったのか」

 う、という声を出して、ルインが俯いた。

「なあ、ルイン。お前、今から俺についてこい」

「どういうことですか?」

「ここを出て、俺と暮らすんだ」

「えっ?どうして急にそんな。嘘ですよね?」

「嘘ではない。教父様とはもう話がついてる」

 立ち上がったセドを、膝立ちのままのルインがぽかんとした顔で見ていた。

「男にはな、何がなんだかわからなくても、いきなり腹を括らなければならない時がある」

「今が、そうなんですか」

「そうだ。立て」

「いや、でも」

「俺に逆らう度胸があるなら、抵抗してもいい」

「えぇ。そんな」

「いいから来い」

 ルインの腕を取って立たせた。歩き始めると、セドが引っ張らなくても、ルインはついてきた。

「あ、服とかどうしましょう。お世話になった皆さんにご挨拶もしてないし」

「まあ追々でいいさ。服の前に、何か食うか」

 食い物のことを口にできる自分が、不思議だった。あんなことがあっても、腹は減るのだ。なんという、浅ましさなのか。

 教会の先は、夕暮れの光線が斜めに差し込む路地だった。そこへ向かって、二人で歩いた。

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