第3話

 七年振りの王都だった。セドが暮らしていた頃より、遥かに栄えている。王宮へ続く中央通りは馬車が数台擦れ違えるほど広く拡張され、商店の数も増えている。道の至る所に市が開かれており、戦時の物不足が嘘のようだ。何より、人の顔付きが違った。明日にも魔族が攻め寄せて来て、魔物に蹂躙されるかもしれないという切迫感が、誰の顔にもない。皆、今日という日だけを見ている。そういう目ばかりだった。

「隊長」

 西五番街を歩いている時に声をかけられた。オロディアは王宮内に部屋を用意すると言ったが、セドは固持した。西街区に宿を取っており、居場所は知らせてあった。もしかしたらエイラが言っていた事件の犯人が現れるかと思い、暗くなってからも出歩いていたのだ。

「本当に隊長だ。王都へ戻られたのですか?」

「ハルドーラか」

「覚えていてくれたのですか。本当に、お久しい」

 セドがかつて率いていた剣士隊の副官だった。実直な男で、あまり目立たないような平凡な容姿からは想像がつかない遣い手だった。七年前、ハルドーラに全てを放り投げて、セドは山に入った。

「どうです、ご一献。積もる話が山ほどあります」

「いいな」

 ハルドーラに連れられるまま、緑の植えられた露地に面した店に入った。梟亭と傷が目立つ木の看板に書かれていた。静かな居酒屋で、客は他に男が二人いるだけだった。注文を取りに来た中年の女に、ハルドーラが酒と豚肉と言った。

「隊長はこんなとこの方がいいでしょう。気取った店でワインなんか舐めるより」

「そうだな」

 しばらく、セドが去ってからの剣士隊の話をした。数名が退役したが、今もハルドーラが率いているらしい。戦争で最も損害を出したのが、セドを筆頭に敵陣に斬り込みをかける剣士隊だった。あの頃、セドには犠牲者のことを考える余裕がなかった。

 女が大皿に盛られた肉を運んできた。ハルドーラに倣って、セドは骨を掴んで肉に食らいついた。

「旨い。山でこんなものは食えんな」

「そうでしょう。港から入ってくる香草がたっぷり振りかけて、網でじっくり焼いているのです」

「異国の味か」

「まあそうです。でも、隊長が焼いてくれたあの鹿や猪。あれだって負けてなかったですよ」

「あれには山や野で摘んだ草を使った。本当は大蒜が山ほどあればよかったんだがな」

「へえ。じゃあそれも食べてみたいな。大蒜でも何でも、いくらでも用意しますよ。今度、俺たちの詰め所に来てください。みんな、また隊長と飯を食いたいと思ってますよ」

 セドは肉を噛みながら、曖昧に頷いた。自分に、隊員たちと顔を合わせる資格があるのか。腕が立つだけの小僧に過ぎなかった自分が、無謀な奇襲で、どれほどの人間を死なせたと思っているのだ。本来なら、ハルドーラとこうして酒を飲む資格さえ、ないのではないか。懐かしさに誘われた自分が、情けなくなった。

 酒が回ってきたのか、ハルドーラの顔に赤みが差してきた。セドの記憶では、ハルドーラは三十をいくつか超えているはずだ。落ち着いた風格を身に付けている。セドは恨み言のひとつも言われると思っていたが、そんな話は出てこなかった。

 ハルドーラが家族の話を始めた。六年前に妻帯し、今二人目の子ができたのだと言う。

「最初のは男でしたからね。次は、女の子がいいんですが」

「子供か」

「可愛いもんですよ。そうだ、うちにも遊びに来てくださいよ。女房の料理は、なかなか旨いんです」

「どんな、女房なんだ?」

「美人で、気立てがいいんですよ。俺にも子どもにも優しくてね。あと、料理が旨い」

「大戦果というわけか」

「そういうことです」

 笑いながら、酒だ、と店の奥に向かってハルドーラが叫んだ。

 途中まで一緒に行くというハルドーラと連れ立って店を出た。温い夜風に吹かれながら、夜でも灯の消えない王都を歩いた。風に乗って、食い物や人の匂いがした。山に暮らすと、こんなことに敏感になるのだと、なんとなくセドは思った。

 喧噪を抜け、教会のそばを通り、人気の少ない道に入った。

 セドは教会の近くに宿を取っていた。

「この辺りまでだな」

「そうですか」

 目蓋が下がりかけたハルドーラが何か言いかけたとき、異様な殺気に打たれた。一瞬、顔を見合わせ、走り出した。

 さっき歩いてきた道を駆けた抜けた。人の多い広場に出た。

 セドは、一つの路地を見つめた。路地の闇の中から、ぬっと大柄な男が現れた。明かりに照らされた男の顔は、ベールに覆われていた。煌びやかな服を着ている。ベールと服の金刺繍が、歩くたびにちらちらと光った。

 路地の近くを通った女が、男に気付いて、ひっと声を上げた。その声に反応するかのように、よろよろと、男が女へ向かって歩き出した。隠しようもないほどの、禍々しい殺気を放ちながら。

「おい、下がれ」

 ハルドーラが駆けた。女もハルドーラへ向かって走った。

 男が、一瞬消えた。そう思うほど速く、距離を潰したのだ。

 殺気に反応したハルドーラが、女を庇うように前に出て、男に抜き打ちを浴びせた。次の瞬間、風を裂く不気味な音とともに、ハルドーラの右腕が剣を握ったまま宙を飛んだ。

 悲鳴と叫喚が交錯した。セドは全力で駆けた。幅広の剣が、ハルドーラに襲いかかる。跳んだ。跳躍しながら抜刀した。セドの剣が、男の剣をかちりと止めた。

 ベールに覆われた男の顔が、そばにあった。異臭が鼻をついた。思ったとき、弾き合うように同時に距離を取った。

 ちらりと見たハルドーラは、腕を押さえてうずくまっていた。傷を確かめたいが、目を離せるような相手ではなかった。

 セドは、剣から伝わった感触を、相手の力量を、信じられなかった。こんなに強い男がいたのか。いや、いるはずがないのだ。いては、いけないのだ。

 男が、くぐもった声を上げながら斬りかかってきた。今度は真っ直ぐにセドを目がけて。躱すことなど考えられない速さの剣を、何とか剣で捌き続ける。速いだけではない。まともに受ければ、剣を伝って骨まで衝撃がくるような重さを伴っている。技で威力を殺さなければ、腕も剣も一撃で折られる。

 セドが勢いを殺してなお、男の剣は凄まじい余波を起こした。剣の軌道にそって発生した衝撃波が、人も建物も吹き飛ばす。歓楽の雰囲気が充満していた広場は、血と瓦礫の飛ぶ修羅場に変わっていた。

 なんとかして、人のいない場所へ追い詰めねばならない。このままでは、ハルドーラすら死なせてしまう。

 逃げ惑う人混みの中から、不意に小さな影が飛び出してきた。十歳くらいの少年が、ハルドーラの方へ走ってくる。

「馬鹿野郎!逃げろ!」

 叫んだ。鼻先がつんとして、全力で後ろへ跳んだ。セドの頭があった空間を、剣先が薙いでいった。大振りの後で、男の体が開いた。そこへ向かって、セドは突っ込んだ。返しの剣が来る前に、馳せ違っていた。左の脇腹から入り胃の腑まで達した剣は、男の身体を通り抜けた。男が、俯せに倒れた。

 斬った相手を確かめようとした。なぜか、手が、震えた。

 ふと倒れている男の身体の先を見ると、少年がハルドーラのそばで跪いていた。ハルドーラの身体に、少年が手を翳したかと思うと、光が溢れ出した。

 少年とハルドーラのそばへ寄った。回復魔法だった。そして、ハルドーラの切り裂かれた腹が、腕が、すぐに血が止まり、みるみる肉が盛り上がってきた。

 どういう少年なのだ、とセドは思った。高位の僧侶でも、ここまでの即効性は稀だ。明らかに天賦だった。

 う、と一度唸った後、ハルドーラが目を開けた。次には、起き上がった。

「大丈夫か?」

「隊長。あれ、俺の腕、なんであるんですか?」

「この子さ」

 ハルドーラが、少年を見つめた。綺麗な顔をした少年だった。頭に布を巻き、修道院の孤児が身に付ける服を着ていた。地に流れたハルドーラの血で赤く染まっていた。

「お前が?冗談だろう。斬り飛ばされたのに、全然なんともないぜ」

 少年が、俯きながら訥々と喋った。

「その、夢中だったので」

 セドはハルドーラと顔を見合わせた。はあ、とハルドーラが間の抜けた声を出した。

「よくわからんが、ありがとな。命の恩人だ」

「いえそんな。治ってよかったです」

 少年が、俯いたままはにかんだようだった。

「とにかく隊長、あの野郎はどうなったんです?とんでもないやつが王都に紛れ込んでいたもんですよ」

 ああ、といって屍体の方を振り返った時、セドは、また信じられない思いに襲われた。

 屍体が、蠢いている。そう思ったときには、俯せに倒れた姿勢から、跳ねるように一瞬で立ち上がっていた。

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