第5話 甲冑の男

「それで? 本題に入ろう。聞きたいことがあるんじゃないのかな?」

 殿下の雰囲気が変わった。

 あのような手紙を寄越すくらいだ。正直、すぐにでも本題に入るべきところだったはずだ。

 それでも本題に入る前に私の身を案じてくれるところは、殿下の優しさの表れである。

「そうね……。私が魔法で治療しきれなかった軽傷のけが人の皆さまを、完全治癒させた……ある人というのは、どなたなの?」

 殿下は特に驚いた様子も無く、あごに軽く手をあてて、少し思案する様子を見せる。

「ふむ。単刀直入に言うなら、優秀な僕の臣下だ。わけあって素性を隠してはいるが、ソフィアが心配しているようなことは何もないよ」

 真面目な顔をしている殿下は、凛々しくて素敵だ。

 いつもそういう顔をしていたら数々のご令嬢が恋に落ちてしまうことだろう。

 もちろん、殿下が普段よくしている柔らかな微笑みを携えたお姿でも、すでに数え切れないほどのご令嬢を落としているのだが。

「そのわけ、というのは?」

 含みを持たせた言い方に、まず直球で尋ねてみる。

「そうだね……。くだんの男に原因がある訳ではない、といえばわかるかな?」

 わざわざそんな回りくどい言い方をするということは、あまり口にするのが適切とは言えない内容だということだろう。

「外的要因だということ?」

「うん。まぁ、彼に原因が全くないという訳でもないが、彼のせいでは無い」

「ふむ……」


 本人も不本意に素性を隠している、ということか……?


 殿下には、これ以上詳しく答える気はなさそうだ。気軽に話せることではないのだろう。

「わかりました。そちらの追及はやめましょう」

「うむ。苦しゅうない」

 よくできましたと言わんばかりの物言いだ。

 嬉しそうににこにこと笑っている殿下は、少し幼く見えてかわいらしい。思わず笑みがこぼれる。

 だが、まだ聞きたいことは聞き出せていないので、殿下をまっすぐに見据えて言った。

「質問を変えるわ。私、魔力切れ寸前で動けなかったところを、黒い甲冑の男の人に助けてもらったのだけれど……そのお方のことはご存知かしら」

「……」

 殿下は、少し驚いた顔をしてから、考え込む表情になる。

 そして、数瞬の後、殿下は腹を括ったような表情をして。

「あちゃ~、接触しちゃったか……」

 と、おちゃらけてみせた。

 何だか気が抜けてしまう。

「まぁ、想定はしていたけれどね」

 殿下は肩をすくめて、軽く息を吐いてから、説明を始めた。

「そうだよ。ソフィアが睨んでいる通りだ。僕の優秀な臣下は、ソフィアが接触した甲冑の男で間違いない」

 ……やはりそうか。

 それならば、私がやるべきことはひとつだ。

「会わせてほしいの」

「駄目だ」

 その甲冑の男に会いたいと申し出れば、殿下に食い気味に断られた。


 えっ……。

 断られるかもしれないとは思っていたけれど、こんなに食い気味にノーと言われるとは思わなかった。


「いくら愛しいソフィアの頼みでも、それは聞けない」

「……どうしてですか?」

 長い沈黙が訪れる。

 言うのも憚られるような、そんなに重要な理由があるのだろうか……。

 妙な緊張感に、呼吸することさえできないでいると、やっと殿下がおもむろに口を開き、ぽつりと言葉を落とした。

「……だって、ソフィアがその男に夢中になって、俺のところに来てくれなくなるだろう……?」

「……は?」

 いけない、間の抜けた声がでてしまったわ。

「ソフィア様、殿下は嫉妬なさっているのかと」

 思わぬ答えに意味が分からずフリーズしている私に、アレクシアがそっと耳打ちした。

「……嫉妬?」

 嫉妬って、あの嫉妬?

 殿下が、私に?

「……な、なんで?」

 仮に本当に殿下が私に嫉妬しているのだとして、なぜそうなるのか全く意味が分からない。

「なぜって、そんなのソフィアのことを愛しているからに決まっているだろう?」

「げっ」

 思わず令嬢にふさわしくない声が出てしまった。

 本当にやめてほしい。

「殿下、お言葉ですが、誤解を招くような言い方は避けたほうがよろしいかと」

「誤解? 僕たちが愛し合っていることに誤解などないだろう?」

「誤解しかありません」

「ああ、敬語は不要だよ、と言っているじゃないか」

 ほんと、何を言っているんだこの人は。

 困った、話が通じない。

 もしも殿下の熱狂的なファンである令嬢たちに誤解されたら、私の平和な日常が終わりを告げてしまう。

「今はきみと僕、それにアレクシアしかいないんだ。誤解されるようなこともないし、いいじゃないか」

 頭を抱える私をよそに、殿下はけろっとしている。

「……まあ、そう、なのかな……?」


 確かに、今は妨害魔法もかかっているし、アレクシアは私のことを分かってくれているし……。


「それだけソフィアのことを愛しているということさ。許しておくれ」

 殿下はそう言ってふわりと微笑んだ。

「……はい……」

 何だかんだ、私もこの微笑みに弱い。

 熱に浮かされたような、くすぐったい気持ちになりながら、次に紡ぐべき言葉を言い放った。

「では、その騎士様に会わせていただけますよね?」

「今の話、聞いてた?」

「え? もちろん……」


 あれ? 予想外の反応だ。


 アレクシアも顔には出ていないが、かなり驚いている。

 殿下など、身に纏っている高貴な羽織り物が片方の肩からずり落ちてしまっている。


 そんなに変なことを言ったかな……?


「それに、騎士『様』って……。僕は泣きそうです」

 殿下から、しくしくしく、という音が聞こえてくるようだ。

「ご身分がわからないし、あんなに強い魔法使い様には敬意を払うのは当然だよ」


 なぜ敬称をつけることに引っかかるのかしら。


 よく分からなくて、首をかしげてしまう。

 そんな私を見て、殿下がふっと笑みをこぼした。

「ソフィアより身分の高い者なんて、そういないけれどね」


 うーむ、そうかしら……?


「あまりピンときてない顔だね……」

 苦笑した殿下も、やはり美しい。

「まあいいさ。どうして、あの男に会わせてもらえると思ったんだい?」


 あれ、やっぱり全然泣いてないじゃない。


 相変わらず百面相がお上手ね、なんて思いながら、質問に答える。

「私がその男に夢中になると殿下が思うくらいには、その騎士様は優秀な魔法使いなんでしょ?」

「ぐっ……」

「それから、その優秀な魔法使い様を派遣するくらいには、あの討伐の最前線は危険だった」

「うう……」

「そのお方の力をお借りするべきときがある、とお考えなのでは?」

「……」

 殿下は真面目な顔になった。普段はわかりやすい殿下も、このお顔の時は、私でも感情が読めない。

「私やアレクシアと、お互いの能力を把握しておいて、ともに来るべき災厄に備えるほうが良いかと」

「それは……もちろん、そうだよ」

 きっと殿下は、そんなこととうの昔からわかっている。

「お願いします」

 状況を知ってしまった以上、最善の手を打つべきだ。

 私は頭を下げた。

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