第7話 薔薇の花

 殿下の招集を受け、情報共有をしてから、数週間が経った。

 いまだ、殿下からの連絡は無い。

 いや、正確には、『愛しのソフィア。どうしてる? 会いたい』みたいなどうでもいい手紙は何回か来ているんだけれど。


 ……暇なんだろうか。


 仮にも一国の王子が、そんなに暇だとは思えないし、思いたくないんだけど……。


 長い廊下を歩いていると、それぞれの教室のプレートが目に入ってくる。

 ここは魔法学校で、私は毎日ここで魔法について学んでいる。

 魔力量に個人差はあれど、この国の人はみんな魔力を持っている。

 日常生活で使う程度の魔法ならば、義務教育で十分教わるのだが、さらに魔法を学びたい者が集う専門学校のようなものだ。

 私は、2年Ⅲ組と書かれたプレートがぶらさがっている教室の前で足を止める。

 教室の扉を開けると、かわいらしいご令嬢が走り寄ってきた。

「ソフィア様〜!」

「おはようございます、ローズ様」

 私はご令嬢に、にこやかに微笑んであいさつをした。

「あ、おはようございます、ソフィア様」

 彼女は挨拶が遅れたことを恥じるように、はにかみながら答えてくれた。

 令嬢らしく笑顔を返せば、ローズ様は眉を寄せた。

「なにやらお疲れのご様子ですね……心配です……」

 しゅん、という音が聞こえてきそうだ。

「ええ、少し父の手伝いをしておりましたの。こうも忙しいと疲れてしまいますね」

 正確にはあのお方からの任務で、毎日のように行われる魔物討伐に同行しているからなのだけれど、そんなことは言えないので、誤魔化しておく。

 まあ、お父様も辺境伯として討伐任務を命じられることがあるし、辺境伯領の治安を守る手助けをしている、と考えれば嘘ではないだろう。

「まあ、そうだったのですね! 魔法学校での勉学だけでなく、お父上のお手伝いもなさっているなんて、ソフィア様は素晴らしいお方ですわ」


 この子、”裏”は感じるけど、なめられたり馬鹿にされたりしているような気はしないんだよなぁ……。


「ありがとうございます、ローズ様。ローズ様も学業に商会の業務に、ご立派だと思いますわ」

 ローズ様は、王都の東側に領地を持つエヴァンス伯爵家の長女だ。伯爵家はエヴァンス商会も営んでいる。領地が近いこともあって、彼女とは幼い頃から度々顔を合わせていた。

 魔法学校に入ってからは、こうして話しかけてくれることが増えた。


 私に探りをいれるためか、ただ仲良くしてくれているだけなのか。


「まあ! ソフィア様に褒めていただけるなんて。嬉しいですわ!」

 ローズ様は本当に嬉しそうだ。

 疑わなければいけない、貴族社会が憎い。

「そうだわ、今度私のお屋敷でお茶会をするのはいかがですか? 私、ソフィア様ともっとお話ししたいと思っておりますの」

「私もです。ぜひご一緒させていただきたいですわ」

 いろいろと探るチャンスかもしれない。

 同じことをローズ様にも思われている気がするけれど。

「まあ! 嬉しいです!! 早速お兄様に相談してみますわね」

 ローズ様のお兄様、か。

 彼はこの魔法学校の3年生で、優秀な魔法使いだという噂がこちらまで流れてくるほどである。

 彼とももっと話してみたいところだ。

「それでは、ソフィア様、またのちほど!」

 ローズ様はそう言って、元気よく、でも令嬢らしく走り去っていった。

「嵐のようなかたね……」

 ローズ様の姿を見送りながら、小さな声とはいえ、思わずつぶやいてしまったその時。


『どちらのかたかい?』


 うげっ……!


 言葉が脳内に直接響くような感覚。

 これは魔力を応用して頭の中でのみ会話する方法で、念話のようなものだ。

『いえ、殿下にご報告するまでもないことですわ』

 私も声の主――アルフレッド王子殿下に、念話でお返事をしておく。

 念話は、念話を使える者ならば盗聴することもできる。でも殿下と私は暗号化と言って、さらに魔力で妨害魔法を張っているので、盗聴できるのはアレクシアくらいだろう。


 いや、あの黒い甲冑の騎士様も、もしかしたら……。


『ええーきみと僕の仲じゃないか。教えてくれてもいいだろう?』

念話これ、疲れるんですよね』

 念話はかなりの量の魔力を消費する。それに加えて妨害魔法もかけているし、繊細なコントロールも求められるので、体力も精神力も消耗させられる。

『そう言わないでおくれよ。まあ気持ちは分かるけれどね、僕も多少疲れる』

『……殿下が疲れるなんて相当ですね。もう少し魔力消費を抑えられないか検討する余地があるな……』

『おや、ソフィアのスイッチを入れてしまったようだね』

 くつくつと喉を鳴らして笑っている。

『それで、王子ともあろうかたがどうしてこちらにいらっしゃるのですか?』

 殿下はまだ教室の外、廊下にいるようだ。

 パニックになっていないところを見ると、魔法で姿を隠しているといったところかな。

 念話をしながら姿も隠しているなんて、相変わらず規格外の魔力制御だ。

『そりゃあ、愛しのソフィアの様子を見にね』

『……』

『無視はやめてくれるかい? これでも結構傷つくんだよ』

『はあ……そうですか』


 何と答えろと言うんだ、この人は。


『わかったよ、真面目に答えると、ソフィアに任務を頼みに来たんだ。まあ、魔法学校の視察も兼ねているけれど』

 なるほど。表向きは学校の視察という公務にしつつ、重要な任務の会議をしに来たといったところか。

『でも、なぜ王子殿下がわざわざこちらに……?』


 いつもなら、私を呼びつけるのに。


『ふむ、理由はいろいろあるけれど、一番はソフィアの学校での様子を見たかったんだ』


 ……え、それが一番の理由……?


『ああ、めったにない機会だからね』


 王子ともあれば、それはそうかもしれないけれど……。


『ふふ』

 殿下は楽しそうに笑っている。

『楽しそうですね……』

『うん、とても』


 本当に楽しそうだ……。


『それはなによりでございます』

『ありがとう、ソフィア』

 綺麗に微笑む殿下のお顔が目に浮かぶようだ。

 思わず笑みがこぼれてしまう。

『そろそろ入ってもいいかい?』

『いえ、そのままお帰りいただけましたら本当に嬉しいですわ』

『うっ……』

『しくしく、ソフィアが冷たい』


 冷たいと言われてもな……。


 ――――!?


『……!』

『殿下!? そちらにどなたかいらっしゃるのですか?』

 本当にわずかだが、一瞬だけ魔力の揺れを感知できた。

 殿下のではない、誰かの揺れを。

『……』

 今度は少し驚きで揺れたようだが、すぐに気配がなくなった

 くっ……魔力の痕跡をたどるには少なすぎるし、短時間すぎる……。

 こんなに巧妙に気配を、魔力を隠すことができるなんて……。


『……驚いたね、この揺れを感知できるとは。安心して、ソフィア。僕は彼のことを認識しているし、悪いやつではないから』

『……』

 殿下が認識している、ということは味方なので、ひとまず安全だと思って良いだろう。

 私は無意識に強ばっていた、身体と頭の緊張を解いた。

『ふふふ、お互い興味津々といったところだね。ちょっと妬けちゃうくらいだ』


 お互い……?

 何者か分からない人も、私に興味を示している……?


 いや、怖いよ。


『おっと、そろそろ行かなくては。じゃあまたね、ソフィア』

『……』


 お、謎の人物も、礼をしてくれた……? みたいだ。

 不思議な方だなぁ……。


「行ってしまわれたわ……」

「どなたがです?」

「わっ」


 びっくりした……!


「ローズ様、驚かさないでくださいませ……」

 殿下が去ったあと、いつのまにか戻ってきていたローズ様に急に話しかけられて、かなり驚いた。

 私が念話をしていたことはばれるはずがないのだけれど、あまりにもタイミングが絶妙だったからドキドキしてしまう。

「あら、驚かせてしまいましたか? 申し訳ありませんわ」

 ローズ様は眉尻を下げて、申し訳なさそうに微笑んだ。

「いえ、考え事をしていたわたくしにも非があります。責めるような言い方をしてしまい申し訳ありません」

 この方は、単なるご令嬢というわけではない、一筋縄ではいかない人物なのだろうけれど、その美しく柔らかい言葉遣いや所作には、心が洗われる心地がする。

 だからこそ、誠意を持ってそう返した。

「い、いえいえ! すべてタイミング悪く話しかけてしまったわたくしが悪いのです! 頭を上げてくださいませ!」

 私が頭を下げると、ローズ様は慌てて、両手を胸の前でひらひらさせている。

 辺境伯令嬢という、自分よりも身分が高いかたに頭を下げさせてしまうなんて……、と聞こえてきそうだ。

 これ以上萎縮させるのも悪いと思い、ゆっくりと頭を上げた。

「ありがとうございます、ローズ様」

「こちらこそ……! 今度絶対絶対お茶とお菓子をごちそうさせてくださいね!」

「ありがとうございます、楽しみにしておりますね」

 私は貴族令嬢らしく微笑んだ。

 彼女は一瞬、あっけにとられたような顔をして、

「はい」

 ふわりと微笑んだ。


 ……薔薇の、花……。


 その笑顔は、薔薇の花のようだと、思った。


 ガラッと教室の扉が開き、このクラスの担任が入って来る。

「席についてください」

 担任の言葉に、それぞれ話に花を咲かせていた生徒たちは、それぞれの席に戻っていく。

「では、またあとで」

 ローズ様はかわいらしく微笑んで、自分の席に戻って行った。

 私は軽く会釈を返し、ローズ様を見送ってから、授業に必要な道具を取り出した。

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