第2話 あのお方

「ん……」

 少しのまぶしさを覚え、ゆっくりと目を開ける。

 何度か瞬きをすれば、見慣れた天井が見えた。


 ここは……? 私の部屋……?


「あれ……?」


 昨日は、どうしたんだっけ?

 家に帰って来たときのことを覚えていないんだけど……。


「おはようございます、ソフィア様」

 寝ぼけ眼で声が聞こえたほうを見やれば、セミロングの茶髪を右肩で緩くまとめた、メイド服姿の女の子が立っていた。

「アレクシア、おはよう……?」

 私の専属侍女のアレクシアだ。


 ううん、すごく頭がぼうっとして、思考がまとまらない……。


 重い身体を何とか持ち上げて、上半身だけ起こす。

「アレクシア、悪いのだけれど、昨日私が帰ってきたときの話を聞かせてくれる……?」

 こういうときに頼れるのがアレクシアだ。私にそう聞かれることを予想していたかのように、昨日のことを事細かに話し始める。

「かしこまりました。昨日さくじつ、ソフィア様はいつものあのお方からの無茶ぶり――おっと失礼、ご命令により、怪我人の治療のため、魔物討伐の最前線に向かわれました」


 無茶ぶりって……。


 アレクシアの言いように苦笑いしてしまう。


 あぁ、そうだった……。


 少しずつ働き始めた頭で昨日の戦場を思い出しつつ、ぼやく。

「あの人、おっといけない、あのお方もあんなところに単独で行かせるなんてちょっと酷いわよね……並の魔法使いだったらどうにもできなかったはずよ……私が生きているのが不思議なくらい」

 苦笑しつつ、ちょっと肩をすくめてみせた私を、アレクシアは感情の読めない表情で見つめる。

 日常生活を送るのに支障が無いくらいには魔力が回復していることを確認し、自分の魔力を全身に巡らせることで自分の状態を探ってみる。


 うん、もう大丈夫そう。


「ちょっと、どころかかなり酷いと思いますが……。それと、ソフィア様が優秀な魔法使いでいらっしゃるからこそ、誰も死なせずに生きて帰ることができたのかと」

 アレクシアの表情は全く動かないが、大真面目にそんなことを言ってくれると、嘘を言っているとはとても思えない。

「ふふ、こんなドジで間抜けな私を、そんなふうに言ってくれるのはアレクシアくらいよ」

 本心からそう言ってくれているのならば、ちょっと嬉しい。


 それにしても、誰も死ななかったのね……。


 もちろん最善は尽くしたし、しっかりと治療をして安定するまで見届けたから、亡くなってしまうことはそうそうないはずだけれど、実際に報告を聞くと安心する。

「良かった……」

 自然と笑みがこぼれた私を見て、アレクシアは優しく微笑み、綺麗な所作で私に向かって礼をした。

「ご無事のご帰還、心からお慶び申し上げます」


 心がこもった“おかえり”の言葉は、嬉しいものだな……。


「うん、ありがとう」

 私が感謝の気持ちを目一杯込めてお礼を言うと、アレクシアが静かに顔を上げる。


 美しいな……。所作が洗練されている。


 きっとたくさん努力してくれたんだろうなと、嬉しさと感謝がこみ上げてきて、頭を下げたくなった。

「いつもありがとう、アレクシア」

 私の言葉を聞いて、アレクシアは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに真面目な顔になり、頭を下げた。

「……もったいないお言葉でございます」

 アレクシアの魔力が少し揺れている。


 動揺してる……。


「ふふ、アレクシアったら、こういうときは『ありがとう』と言うのでしょう?」


 相変わらず、感情を表に出さないようにするのが上手な人。


 かわいく思えてくるけれど、たまには感情のままに、思いっきり喜んだり怒ったりするところを見てみたい、とも思う。

「ありがとう、ございます……」


 かわいいアレクシア。


 以前本人にそう言ったら「お気遣いいただかなくとも大丈夫ですよ」と言われてしまったけれど。

「ええ、これからもよろしくね」

 そんなアレクシアと、これからも一緒にいたいと思う。

「もちろんでございます」


 おお、魔力の揺れが収まった。

 いや、本当に微々たる乱れだったけど、こんなに早く修正するなんて。

 本当に優秀な魔法使いの侍女さんだこと。


 アレクシアについてもらえて、私は幸せ者だ。


 いつまでもこうして平和に過ごしていたいところだけど、まだいくつか気になることがある。

「それで、みなさんのお怪我のご様子は……?」

 少し不安げなまなざしを向ければ、アレクシアがすぐに答えてくれた。

「はい。あのお方からのご報告によりますと、重傷の怪我人はソフィア様の魔法治療で完全治癒しており、軽傷の怪我人はある方が治療され、完全治癒に成功したそうです」

「そ、それは良かったけれど……」


 か、完全治癒?


 たった一日で完全治癒なんて、魔法治療でないと不可能だ。

 魔法治療は人の命に関わる、非常に危険を伴う行為だ。

 魔法のコントロールを誤れば、患者の命が危ない。

 だからこそ、魔法治療を行えるのは、国から許可を得た魔法使いだけだ。

 魔法治療の特許を得た魔法使いは、それだけでかなり有名になるはずだけれど……。

「そんな魔法を使える有名な人が、あの場にいた……?」


 う~ん、記憶にはないけどなぁ……。


 こめかみに人差し指をあててうなっていると、アレクシアが一見何の関係もないことを話し始める。

「ちなみに、ソフィア様はあらかじめご用意されていた転移陣によってお帰りになられました」

「あ、忘れていたわ」

 そうだった。初めはその話を聞いていたんだった。

「今回もちゃんと機能したのね、良かったわ」

 アレクシアがなぜその話を今したのか考えながら答える。

 アレクシアは異常なほど頭が切れる。そのため、彼女の行動には全て意味がある……ことがほとんどだ。


 さすがに、たまに私に持ってきてくれるお花には、深い意味はないよね……?


 アレクシアの真意を探ろうと観察していると、真面目な顔をしている私を見て、アレクシアの眉尻が下がった。

わたくしは本当に心配したのですよ。転移陣の強制送還魔法によって戻っていらっしゃったことはこれまでにも何度かありますが、ここまでお目覚めにならないことは初めてで……。魔力の流れからも、ご無事であることは確認いたしましたが、ソフィア様の身に何があったのかと……」

 魔力の流れは、血液の流れのようなものだ。

 魔力は常に全身を巡っており、その流れを読み取ることで正常な状態かどうか確認することができる。

 本当に心配そうな表情を浮かべているアレクシアを見て「転移陣は私が何度も試して安全と言って大丈夫な水準まで高めたから、危険性はないわ」と言いそうになったのを飲み込む。

「ご、ごめんね、アレクシア」

 心配をかけてしまったことに変わりはないのだ。

「顔を上げてください、ソフィア様。良いのです。悪いのは毎度毎度ソフィア様をそのような危険な場所に送り込むあの人なのですから」

 アレクシアが怒りのあまりあのお方って言わなくなった。かなり怒っている。

「アレクシア、アレクシア、あのお方って言わなくては駄目よ。誰に聞かれているか分からないもの」

 まぁ、妨害魔法はかけているから、外から聞く事なんて相当な実力者でないとできないけれど。

「はぁ……そうですか……」

 敬う気のない人にどうして敬称を使わねばならないのですか?と言いたげな顔をされても困る。


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