第20 話 それぞれの思い

 後から分かった。山口は、僕にも凛子にも告げなかったが、犯人の手掛かりをきちんと握っていた。それが白か黒か確認しないまま、東京には帰れないと、思っていた。

〝彼女〟は、幾つかの防犯カメラに写っていた。犯行の行われた現場の近くで、ちょうど、犯行が起きたであろう時間の前後に。

 一人目の被害者、岸田佐久也が、自身の歯科医院のユニットの上で殺害されて発見されるまでの間に、付近の防犯カメラに写っていた人物から、疑わしき人物を割り出すことはできなかった。

 歯科医院には、今の時代の当然として、防犯カメラが設置されていた。だが、運の悪いことに、その前日に故障が分かったが、まだ修理されてはいなかった。

 付近の防犯カメラは、幅広くチェックされたであろうが、まだ、年齢も性別も分からない。なにも分からないのだから、これはもう、行動が少々奇妙、だとか、衣類に血痕かもしれないような染みが付いている、だとか、写っては去り行く、すべての人々に、疑いの目を向けたであろう。

 二人目の被害者となる大河内源が殺害され、当然、女性関係や仕事上の関係者など、怨恨の線も調べただろうが、それらしき者は浮上しない。

 再び、殺害時刻前後の、付近の防犯カメラは、念入りにチェックされた。つまり、僕の住むマンションのそばに設置されている、防犯カメラである。

 雑居ビルには、怪し気な名前の店も会社もあったし、マンションも近く、深夜だからと言って、人通りは途切れない。酔っ払いも通れば、深夜にコンビニに買い物に出ることを日常とする、至って普通の若者だって多い。殺害の夜、付近の防犯カメラに写った人間は、あんがい多かったであろう。かく言う僕だって、映っていた可能性はある。

 しかし、二人目が殺害され、同一犯となれば、いかに防犯カメラに写る人間が大勢存在しても、どちらにも写っていれば、当然疑わしき人物となる。

 どちらの場所にも写っていた人物が、存在したというわけだ。

 その人物は、どこか浮世離れした、若い女性だった。どこの誰であるかは分からないまま、次の犯行が起きた。

 三人目として選ばれた警察官は、遺体となって、警察署内で発見された。魔羅を勃起させ、快楽の表情を浮かべたまま、舌を噛み切られて。

 山口は、もはやほんの少しでも疑わしい人物を、無視する状況ではなかったのだろう。

(確かめれば済むことだ。違えば、それでいい)

 今なら、山口の胸の内も、痛いほどよく分かる。

 

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 私、凛子は、派手に見送る二人のトオルの姿が、完全に見えなくなるまで、新幹線の乗降口に立っていた

 二人の姿が完全に見えなくなると、座席に向かい、深く腰を沈めた。

 昔の彼氏と今の彼氏に見送られる悪女感は、けっして嫌いではなかったが、遠くなる二人に、なんだか不吉な予感がして堪らなかった。

 実際は、新幹線が発車すれば、

二人がどれほど大きな声で私の名を叫んでも、そうは聞こえない。

「あーあー、そうよねえ。馬鹿ねえ」

 一人、失笑したのだが、それでもきっと、あの二人のトオルは、周囲の目も気にせずに、私の名前を叫んでいるのだと、始めの内は楽しんでいた。

 でも次第に、新幹線に置いていかれる山口透の表情と唇の動きに、このまま会えなくなるのではないかと、不安になった。

 なぜかは分からなかった。

 昔の彼氏、元カレの徹のことも、今も私に未練があって、号泣するほどだったから、心配ではあった。しかし、三人で一晩を過ごし、彼はもう、大丈夫だろうという気になれた。これで、山口透と結婚しても、きっと谷口徹とは、友人として、長く付き合える。そんな気がした。

 私にとって、今、この先を共に歩んで行きたいのは、山口透だった。山口透は、どんなに明るく逞しく見せても、やはりとても、孤独でいたたまれないものを抱えている人間で、結局私は、そういう人間の傍にいることでしか、自分自身の生きる価値を見出せないのだ。

 私は、私が嫌いだった。

 いかにも、男性の気持ちの分かる、いい女みたいに見せているけれど、実は怖いだけだった。

 なんの力も本当はない。

 仕事は真面目に熟すし、食み出たこともしない。いわゆるお利口さんタイプなのだ。

 人は「それが一番よ!」と言う。

 でも、私にとっては、自分に備わるものが、それしかないのだ。

 つまらない人間だ。

 だから、役に立っている感覚を求める。

 自分が傍にいて、良かったでしょう、と、そんな態度をとる。

 いつかバレるかもしれない恐怖を、いつも感じている。

 嘘を吐いているとか、騙しているとか、ではない。

 ただ、自然体でいる風を装い、実はいつだって、背伸びして、いい女を演出して、時々くたびれて仕方がない。

 だから、谷口徹が病んでいた時間、本当はとても、安心していた。弱い彼を見て、自分の弱さが万が一露見しても、この人ならきっと、理解してくれると思った。

 二人で、傷を舐め合いながら生きるのもいいと思っていた。

 でも、あまりにも闇の深い徹に、しだいに疲弊した。

(弱くてもいい、なんて、甘かった)

 彼を支えられるだけの力なんか、持ち合わせていないことなど、分かっていたのに。傍にいて、役に立っていると思えることだけが、自分の存在価値を否定しないでいられる手段だったから、谷口徹が、私が傍にいる事実に、かえって辛いと零した時に、もうおしまいだと思った。

 山口透に出会ったのは、彼の元を去ってしばらくしてからだった。

 会ってすぐ、同じ匂いのする人だと感じた。彼もまた、人の役に立っていると己が思えることが、唯一生きる手段の人間だ。

 実際は、孤独で人が恋しい。役になんか立てやしない。甘えたいだけだ。厄介者に違いない。どうしてだかきっと、自信の持てない人間だ。

 だから、できのいい人間の、なんでもお見通しみたいな、何もかもよく分かっている、そんな人間の振りをし続ける。

 徹と別れて、透ち出会って、ようやく私にもまた、生きる価値が戻って来たと、喜んだ。

(やっぱり一緒になるなら、谷より山よ)

 乙女チックな思考など嫌い。ゲン担ぎなんかしない。占いになんか頼らない。運命なんて信じない。

 そう見せているだけ。

(なんでもいいのよ。幸せになれると信じられるなら、藁にも縋るわ。おまじないを唱えるわ。だって私には、一人で生き抜く力なんかないもの)

 臆病風に蓋をするこじつけを、私はいつだって探していた。

(今度はきっと、私の化けの皮が剥げても大丈夫)

 思った矢先なのに。私には、山口透の、唇の動きが、読めてしまったのよ。

 単なるジョークには、済まない気がして、背中がぞくぞくする。

(透は、『さよなら』と叫んだ。『凛子、さよなら』と……なぜよ。それは、幸せになれるおまじないじゃない!)

 私は、冷房の効き過ぎる新幹線の座席で、両の掌で顔を覆うと、どうしても流れる涙を、誰にも悟られまいと、肩を震わせないことにだけ、神経をすり減らした。

 東京は、一人で帰るには、喧噪と雑多の、呼吸するのさえ、しんどい町だ。


                           つづく

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