2、霊現象にあらず⑧
「きっと、仲の良い男の子と通話でもするつもりだったのかもしれませんね。たぶん時間は何事もなければ、充分な余裕を持って家に帰って、独りになれた十八時頃。なぜこの時間になったかは相手の都合だったのかもしれませんが、彼女としては一刻も早くその相手と話したかったんじゃないでしょうか」
「なぜ、そう言い切れるの?」
九尾が疑問を呈すると、これにも成瀬はあっさりと答えを述べる。
「彼女は動画を撮ってなかったじゃないですか。たぶん、バッテリーを使いたくなかったんですよ。家に帰って充電する時間も惜しかったんだと思います。ちょっとぐらいなら充電しながら使う事もやるでしょうが、長時間の利用となれば、バッテリーの劣化を
『ああ……』
と、悠美が得心した様子で声を上げた。成瀬は更に解説を続ける。
「たぶん、肝試しの直前にその通話相手からとつぜん連絡が来たんじゃないでしょうか。例えば動画の冒頭で、彼女はスマートフォンを
『そっか……』
「本来ならスマートフォンの充電がないと噓を吐いて、バッテリーを節約する事もできました。しかし悠美さんの話では、仲崎さんとスマートフォンの充電を学校でしてるっていう話をしていたんですよね?」
『あ、はい』
「そのとき、自分の充電に余裕がある事を仲崎さんに知られてしまっていた。彼女は照れ屋で自分の恋愛の話をあまり友だちにもしたがらないから正直に言えるはずもない。噓を吐いてバッテリーを節約する事もできなかった。きっと、後からデータを間違って消したとかなんとか適当に誤魔化すつもりだったんじゃないでしょうか」
恥ずかしいから。友だちに
山田は生活安全課の警官をやっていたときに、その事を身に染みて実感していた。そして、その
山田には、たった独りで夜道を自転車で駆けて、廃屋へとスマートフォンを取りに戻った月本の事を、未熟であるが愚かだとは思えなかった。
きっと、忘れているだけで己にも、そんな時代があったのだ。
だからこそ、無事に大人へとなれた自分たちが、彼女たちの気持ちを理解し、その話に
大して仲が良いとはいえなかった妹の話を聞いているのは、そうした責任感もあるのかもしれない。
そして、それぐらいの責任を負っても良いと思える程度には、妹の事が姉として好きなのだ。山田はようやくその事を自覚した。
「成瀬くん」
「何ですか?」
「月本さんが頭部を怪我した直接の原因は? 暗闇で転んだから?」
「たぶんですけど、階段の上り口にあった
『すごい……成瀬さん』
スマートフォンの受話口から、悠美の感嘆の声が聞こえた。すると、称賛を受ける彼に
「ともかく、これに懲りたら、もう心霊スポットなんか行ったら駄目よ?」
すると、悠美は『はい。すいません』と返事をしたあと、おずおずと話を切り出した。
『あ、あの……』
「何?」
九尾が促すと、悠美は語り始める。
『そもそも、バズる動画を撮ろうって話になった切っ掛けが、ゴールデンウィークに月本さんたちが別な場所に肝試しに行った事で、私は行ってないんですけど、そこで撮った動画がけっこうバズって。それで、もう一度、バズる動画を撮ろうっていう話になったんです』
「そういえば、そんな話だったわね。で、その別な場所って?」
九尾が聞き返し、悠美は答える。
『私たちの学校の旧校舎です。そこも心霊スポットとして地元では有名なんですけど、変な物を見つけたらしくて』
「変な物?」
九尾は
『幽霊とかじゃないです。でも、すっごく気持ち悪くて。古い英語の教科書なんですけど。変な落書きがしてあって、ちょっと怖かったです』
その教科書の頁を
「その動画、ちょっと視てみたいわ」
どうやら九尾の鋭利な直感が、今の悠美の話から何かを感じ取ったらしい。彼女が興味を示したところで、成瀬がソファーから腰を浮かせた。
「すいません。そろそろ行きます。
木田とは警視庁捜査一課に在籍する木田
「……また、何か新しい案件かしら?」
山田の質問に、成瀬は首を静かに振った。
「いいえ。前回の件でちょっと」
成瀬は言い残して玄関の方へと向かう。
「それでは。また何かあったら連絡をください」
と言い残して、彼は二階居住スペースから外階段へと通じる扉の向こうへと姿を消した。
それから間もなく悠美との通話を終えて、リビングは静まり返る。
そこで山田は深々と九尾に頭を下げる。
「今回はありがとうございました。私の個人的な相談のために」
九尾は首を横に振る。そして、柔らかく微笑んだ。
「これぐらいなら、何て事はないわ。どんな些細な事でも自分の力が誰かの役に立てるなら
この人も同じなのかもしれない。
彼女にとっては霊能力のない人間など、何も知らない未熟な子供のようなものだろう。
しかし、能力を持たぬ者たちの声に真剣に耳を傾け、その力を役立てようとしてくれている。まるで、それが自分の責務であるとでもいうように。
きっと、それぐらい自分と少しでも関わった人間の事が好きなのだ。だから、彼女の事が嫌いになれない。
「……でも、先生。お酒は、本当にほどほどにしてくださいね」
「あ、はい」
と、九尾は山田の忠告に対して、気まずそうな笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
翌日の十八時頃だった。
自宅リビングのワークデスクに向かい仕事に励む山田万砂美の元に、妹の悠美から電話があった。
彼女によれば月本のトークアプリに、彼女が最近仲良くしている男の子からの連絡が残されていたのだという。それはちょうど、例の廃屋に入ったばかりぐらいの時間に送信されたもので、内容は十八時半頃から通話を
そして、悠美の動画の冒頭にあった仲崎とのやり取りで言及されていた島崎なる友人からのトークはなかったらしい。
以上の事実を、悠美は月本を説き伏せて突き止めたのだそうだ。どうやら成瀬の推理をそのまま語ったところ、月本は潔く
そして、月本は記憶を失ってはいたが、スマートフォンに残っていた彼のトーク内容から、おおよそはあの肝試し当日に何があったのかを悟っていたそうだ。
つまり、あの優秀な後輩が見いだした真相は
『……本当にありがとうね。お姉ちゃん』
話が一段落して、悠美が礼を述べた後だった。
山田はふと彼女に尋ねてみる事にした。
「ねえ、悠美」
『何? お姉ちゃん』
「あなた、何で私にあれこれ相談してくるようになったの?」
『……もしかして、迷惑だった?』
「いえ。ただ、不思議だっただけ。長野にいた頃って、ほとんど私たち、話した事ってなかったでしょ?」
少し間があって、受話口の向こうの悠美は盛大に噴き出す。
『確かに。お姉ちゃん、部活ばっかりで、いつも帰り遅かったよね。何かちょっと、話し掛け
「そう……」
学生の頃は学校の勉強や剣道部の活動に熱を入れていた。それも、新しい家族と距離をおきたかったからである。
そして、どうせならその経験を
「……それで、何で私なの?」
もう一度、質問を繰り返すと悠美は意外な答えを返してきた。
『えっとね。悠可お兄ちゃんに言われたの。何か困った事があったら、お姉ちゃんに相談した方がいいって』
「悠可が……?」
山田は耳を疑った。
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