2、霊現象にあらず②

「どうしたの?」と、記憶の中ではまだ幼かった頃のままの妹の顔を思い出しながら声を掛ける。それから、キッチンの奥の棚にあったカップラーメンを手に取り包装を破いた。すると、悠美のか細い声が受話口から響き渡った。

『……お姉ちゃん、今大丈夫?』

「大丈夫よ。それで?」

『うん……』

 ずいぶんと弱っているらしい。ここまで深刻そうな彼女の様子は初めてだった。年頃らしく恋愛の相談だろうか。そんな風に、のんに妹の悩み事を予想しながら電気ケトルに水をそそぎ始めた。

 すると、水道の音と重なって、予想外の妹の言葉が聞こえてきた。

『お姉ちゃんってさ、幽霊とか信じる?』

「は!?」

 聞き間違いかと思い、山田は水道を止めてもう一度聞き返す。

「何を信じるって?」

『え、あ……』

 少し口調がきつくなってしまい、どうやら妹をしゆくさせてしまったらしいと気がついた山田は反省する。

「ごめんなさい。よく聞こえなかっただけ。もう一度お願い」

 そして、ケトルに水を入れなおし、電源プレートの上に置いてスイッチを入れたところで、妹が質問を繰り返した。

『だから、幽霊とか……お姉ちゃんって、そういうの信じてる人?』

 もちろん、山田は自分が特定事案対策室に所属している事を彼女に話してはいない。しかし、妹の深刻な様子から、単なる雑談だとも思えない。なぜ、そんな話を急にしだしたのか。大いに困惑するも、それを欠片かけらも感じさせないような冷静な声音で答えを返す。

「幽霊はいると思うわ」

『へえ、意外かも。お姉ちゃんって、そういうの信じないタイプだと思ってた』

「で、何なのかしら?」

『うん……えっとね。ちょっと、まってね』

 と、言ってから悠美は黙り込む。どうやら、話を整理しているらしい。その沈黙の向こう側から徐々に大きくなるケトルの湯が沸き立つ音がした。

 山田はカップラーメンのふたを半分まではがすと、かやくとスープの袋を取り出した。キッチン台の引き出しからはしを取り出すと、そこで妹の声が聞こえてきた。

『……あのね、お姉ちゃん、私ね、学校の友だちと一緒に、心霊スポットへ肝試しに行ったんだけど……』

 当たり前だが感心はできない。

 そういった心霊スポットには、本当に人命に関わる危険性をはらんだ場所が存在する事を、山田は特定事案対策室の仕事を通じて知っていた。

 それを抜きに考えても、老朽化したはいきよは物理的な危険性が高いし、権利者とトラブルになる事も考えられる。

「心霊スポットね……」

 その姉の言葉にかいちよくの思いを感じたらしく、悠美は言い訳がましい言葉を並べる。

『うん。いけない事っていうのは解っていたんだけど、その……友だちと、何かそういうノリになっちゃって、その……本当に、今は行かなければ良かったって、そう思ってて……』

 少し間を置いて『ごめんなさい』という妹の小声がスマートフォンから聞こえてきた。それを受けて山田は、いちばん最初に妹から受けた悩み相談が〝せっかく中学になってスマートフォンを買ってもらったのに、友だちができない〟というものだった事を思い出す。

 これに何と答えたのか山田は忘れてしまったが、後日うれしそうに〝友だちが出来て連絡先を交換した〟と報告をもらった事を思い出した。

 今では友人たちとくやっているらしく、学校での人間関係は良好であるらしいが、根っこの部分の引っ込み思案で人見知りをする性格は変わっていない。

 それゆえに、友だちに対して強い態度に出られず、その場の雰囲気に流されてしまったのだろう。

 それはそうと、その心霊スポットが本物で、彼女が何らかの霊障に見舞われているとなると、放っておく事はできない。

「別に怒っていないわ」

 過ぎた事をグチグチと言うつもりはなかった。ともかく、詳細な事情を聞き出さなければならない。

「で、その心霊スポットに行って、どうしたの? 何かあったの?」

 山田は彼女なりにできるだけ優しく話を促し、かやくの袋を破き、カップラーメンの中に入れる。

 悠美はじっくりと言葉を選んでいるようだった。山田は静かに彼女を待った。数十秒ほど沈黙が続き、ようやくスマートフォンから声が聞こえてきた。

『……友だちが怪我をして、入院する事になって』

「そう」と山田が、相づちを打った直後に、かちっ、と音がして電気ケトルのランプが消えた。カップラーメンに湯を注ぎながら、妹に言葉を掛ける。

「古い家屋っていうのは意外と危険なの。大丈夫そうに見えても、目に見えないところが傷んでいたりして、ちょっとした事で倒壊したりする。だから……」

『違うの。そういう事じゃなくて……』

 悠美が一際大きな声を上げたので、山田は目を丸くする。更に彼女は涙交じりの声で言葉を続ける。

『いろいろと、おかしいの。変なの……訳が解らなくて……』

 どうやら、何かあったらしいが、それをどう言い表せばよいのか解らないらしい。

 山田は割り箸とスープの袋を、お湯を入れたカップラーメンの蓋の上に置いた。

「落ち着いて。ゆっくりで良いから何があったか順番に話してみて」

 山田はワークデスクに戻ると、ボイスレコーダーを引き出しから取り出して起動させる。それを通話中のスマートフォンと並べて置いた。

 すると、ようやく記憶を整理できたらしい悠美が、たどたどしい口調で自らの体験を語り始めた。


    ◆ ◆ ◆


 それはゴールデンウィークが終わり、最初の金曜日の放課後だった。

 住宅街のただなかにある公園での事。その一角にあるバスケットコートで「じゃあ、行くよ?」と言ったのは、学校指定の、青に水色のラインが入ったジャージ姿の山田悠美だった。

 悠美はゴールの方に背を向けてスリーポイントライン上に立っていた。その胸元には両手で挟むようにバスケットボールを持っている。

 そんな彼女から少し離れたコート脇の芝生では、腰を下ろしながらスマートフォンを構える二人の少女がいた。

 一人はスクールシャツに学校指定のカーディガン、制服のスカートの中にジャージの長ズボンを穿いており、もう一人は悠美と同じジャージ姿で、首元に掛かるぐらいの髪を右側でサイドテールにしていた。

 カーディガンの方がつきもとゆめと言い、サイドテールの方がなかざきみさきと言った。悠美も含めた三人は、なな鹿中学校の二年一組に在籍していた。

 ともあれ、月本が右手でスマートフォンを構えたまま、悠美に向かって左手を振りあげる。

「いつでもいいよー」

 すると、悠美は目をつぶって深呼吸をし、そのままひざを曲げて、伸び上がりながらバスケットボールを頭越しに放り投げた。

「どう!?」と悠美は、反転してボールの行方を追う。

 バスケットボールはにじのような軌道を描きながら、ゴールの方に飛んで行った。そしてバックボードの右上の角に当たると、有らぬ方向へと飛んで行ってしまった。悠美は「駄目かー」と膝から崩れ落ちる。その様子を見てケラケラと笑うのは月本だった。

「でも、さっきより惜しいじゃん」

 悠美が月本にいた。

「これで、今、何本目だっけ?」

「ちょうど、五十本目」

 と、仲崎が右手を開いて言った。悠美はボールを取りに行く。すると、月本がスマートフォンの撮影を止めて立ち上がり、悠美の方に向かって言った。

「そろそろ、私が替わろうか?」

「いや、私がやるよ。スマホの充電なくなってきたし」

 そう言って仲崎も立ち上がる。すると、月本が意外そうな顔をする。

「え、早くね? 充電なくなるの」

「いや、逆によく持つね」

 と、仲崎が月本のスマートフォンの画面をのぞき込んだ。すると、彼女は得意気に言う。

「私、学校で充電してるし」

「それ、盗電ってやつじゃん」と、仲崎があきれて肩をすくめた。

 そんな会話を交わす二人の元に、悠美はボールを持っていぬのように駆け戻る。

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