第23話 反撃開始

 まずはコーヒーから水分を抽出する作業だ。

 集中。両の手の平をコップに向ける。魔法の行使には想像力の影響が大きい。これは、イメージの補強だ。

 操る魔法には二つのプロセスを踏む必要がある。コーヒーと言った混ざりものなら三工程だ。

 まず、水と混じりものを分解する。

 私の魔法は水を操る。操るのが水だけならば精度は飛躍的に上昇するものだ。

 次に、操る対象の限定。ベルゴーの魔法録にもこのような記述がある。炎を操る魔法の扱い方だ。

 操る魔法は、さながら視えざる手。何を掴んで何を捏ね、どのような形に定めるのか。それを決めねば話にならない。そこまで用意して漸く、操る魔法は力を発揮する。

 暫くして少し遠くにあるコップの中から、少し大きな水の球体が姿を現した。あれが、私の操る一掬いの水だ。心許ないが、これしか手段が無い今となっては頼もしくも思えてくる。

 周囲からも驚きの声が上がる。春夏冬にも、一緒に囚われた女たちにも話してはいたが、聞くのと実際に見るのは違うのだろう。


「あ……あれって!?」

私の魔法です。集中してるので……あんまり話しかけないでもらえると」

「す、すいません……」


 水球をゆっくりと、出来る限りの速度で移動させ、私達の元に持ってくる。

 使い慣れていないからか、やはり魂を視る魔法と比べて精神力の消耗が大きい。だが、目的には支障はなさそうだ。

 やがて我々の眼前にまで移動したその水球にイメージを重ね、水球をナイフの形状に変化させる。ナイフと言っても、その質量は一掬いの水。当然中抜きに中抜きを重ねた上、ミニチュアサイズだが。


「春夏冬さん」

「掴めるんよね? これ」

「春夏冬さん……!」

「あぁ堪忍堪忍」


 表面の硬さを操作し、しっかりと握れるようにした水で作ったナイフを春夏冬は手に取り、妙に慣れた手付きで木の檻の我々からしか見えない角度を削り始める。そして、少し力を入れれば檻が外れる程の大きな切れ目を入れた後、春夏冬は隣の檻の女にナイフを投げ渡した。

 これが木の檻でよかった。恐らくは第二階層の木材で作ったのだろうが、鉄檻ならばそもそも脱出など叶わなかっただろう。


「ほいっ」

「ありがとうございます!」


 次々とナイフを渡し、脱出の準備は進められていく。

 この場所の出口は一つ。そして、脱出の機会は一度だけ。

 まずこの場所は第二階層で間違いない。気絶のフリをしていた春夏冬がいてくれて助かった。不可視の結界付近、巨木の足下に空いた洞穴の中である。構造は入口が小さく、徐々に大きな空洞になっている丸型フラスコのような形状である。

 洞穴内の中心には円形のテーブルが一つに、椅子が三つ。普段はそこに見張りの男が一人おり、出口を出た先にはもう二、三人の男がいるという。入口から見て、テーブルの奥に檻が五つ並べられている。その内の一つは、我々の荷物が一まとめにされている荷物置きだ。

 今洞窟内には囚われの身しかいない。簡単に脱出できそうにも見えるが、実際にはそう簡単にはいかないらしく洞窟の入り口付近には取り囲むようにシャドーハンドが密生している。我々が近付けば起動するだろう。脱出は容易ではない。

 全て春夏冬からの情報だ。


「はいっ」

「よし。ほいっと」

「……ありがとうございます」


 春夏冬を挟んで水のナイフは隣の檻に。

 無策で脱出できる程簡単な状況ではない。

 まずこうして各檻全てに破壊工作を施す。まずは檻から出る事、でなければ何も始まらない。

 見張りが戻ってきたら作戦開始だ。何処か一つの檻で一芝居演じ、見張りを引き寄せると同時に全ての檻から脱出して抑え込む。

 例え相手が魔法持ちの男でも、四つの檻の合計人数は十人以上にもなる。ここまで行けば多勢に無勢。私たちが参戦せずとも無力化できるだろうと推測した。


「終わりました」


 隣の檻の合図を受け魔法を解除する。ナイフの形を取っていた水は形を失い、雫となって木の檻の中に落ちた。

 後は見張りの男を待つだけだ。私が意識を失っている間に、女が二人男たちに連れて行かれたらしい。きっと今は嬲られているであろうが、その内戻って来る筈だ。

 私達はじっと、静かに時が来るのを待つ。私ならば足音さえ鳴れば、いくら多くとも大まかな判別は付く。

 そう言えば、レグルスは今はどうしているのだろうか。

 ふと思案を巡らせている内に思い出す。奴らは確か、気になる事を言っていた。


『――男はにはやれねぇからな、さっさと奴に渡そうか――』


 言葉の意味だけを考えるなら、彼らは女を色狂いに提供している。そして、男を別の者に提供していることになる。

 そう、二つ名の魔物である色狂いに餌となる女をやる。それではまるで、色狂いを手懐けているかのようではないか。

 二つ名の魔物は黒い体皮に覆われた、強大な力と知性を有す特殊な魔物。人が手懐けたという記録は無論無い。人間と連携や取引、そもそも意思疎通すら不可能である筈だ。

 中でも色狂いは、二つ名の中で最も残忍と言ってもいい。

 探索者チームの中でも女を含むチームに襲い掛かり、男は弄ぶように残酷に殺害した後、残った女を乱暴に犯し尽くす。そんな報告が残っている。まさに、色狂いの名に相応しい魔物だ。

 だが、奴らの発言はまるで色狂いを利用しているかのようなものであった。それも慣れていそうな様子から、本当に利用しているのであれば一回や二回ではないだろう。

 奴らは、もしかすると色狂いと協力関係を築いているということだろうか。

 だとすれば、どのようにして。


「テルミニ!」

「あ……ちょっと考え事を」


 気付けば、土を踏む足音が複数鳴っていた。重なるものもあり少し分かりにくいが、私を舐めないで欲しい。

 怯えたように細かく刻んだ軽い足音が二つ、そして荒々しく重い足音が四つだ。一際重い足音もある。あの大男だろうか。


「女二人、男四人」

「戻って来たんやな。皆……」


 春夏冬の呼び掛けに全員が頷く。私の渾身の演技力を見せてやろう。

 やがて我々の前に、私の予想した通りの構成で六人がやって来る。

 男たちの気分を損ねぬように、泣き喚くことすら堪えて二人肩を寄せ合う女が二人。服はやはり引き裂かれており、暴れた際に付けられたのかいくつかの生傷が目立つ。

 三人の男の中には、やはりあの大男も含まれていた。目元に気持ちの悪い薄笑いを張り付けて、厭らしい手付きで少女の肌を撫でている。

 ただその口許は、相も変わらず布で隠されていた。


「ひゃっ……」


 男たちは隣の檻の前で静止すると、一人の男が檻を開き少女たちを乱暴に押し込む。少女たちは、遂に耐え切れなくなったのかすすり泣きながら仲間たちの元に擦り寄った。

 元々檻にいた少女は、優しい言葉をかけながら押し込まれた少女を抱き留め、男たちを殺意の込められた瞳で睨み付ける。

 同じような境遇の少女が道具のように扱われ、赦せるはずが無い。なるべく自然に演技し、脱出を気取られぬようにとは言ってあるが、恐らくこれは彼女たちの本心からの行動だろう。

 私だって、己が奥底で炎が猛るのを、抑えるのに苦心しているところだ。


「また遊んでやるからなぁ……次は暴れんなよ?」


 屑共はさえずると、三人が去り一人がテーブルにつく。徐々に遠のいていく三人の足音を尻目に、残った男は足を組みにやにやと薄ら笑いを浮かべて我々を眺めながら、机上のコップを手に取った。


「もう嫌だ!!!」


 水だけを抜き取った濃いコーヒーに気取られる前に。叫び声を上げたのは他でも無い私自身だ。涙袋に涙を溜め、左の瞳だけ涙を頬に伝わせる。

 椅子に座った男の視線が、コーヒーから私に移った。

 冷たい視線は人を人とも思っていないような、無機物を見る瞳。思わず背筋に悪寒が走るが、ここで怯めばこの場の全員が死ぬ。


「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの……! このクソ共! 早く私を出してよ」

「へッ……そうかそうかぁ、そりゃあ大変だなぁ」


 組んだばかりの脚を解き、男が薄ら笑いを浮かべながらゆっくりと歩み寄って来る。

 去っていく男三人にもこの声は聞こえている筈だが、戻って来る気配は一切無い。目論み通りだ。このような状況にはさぞ慣れている事だろう。

 男が近付く度に、後ろに下がるのを忘れない。今の私は、哀れにも犯罪者に捕まったか弱い乙女なのだから。

 私が注意を引いている隙に、隣の檻の女が弄ばれた少女たちにこそこそと説明をしている。困惑している様子ではあるがすぐに理解したようで、我々の方を向き決意に満ちた表情で頷いた。


「よぉし、親切なお兄さんが教えてやろう」

「ひっ……来ないで!」

「こんなに可愛い君はなぁ、愚かにも判断を誤って俺たちに捕まった。ここからどうなるか分かるかぁ?」


 勢いよく檻を掴み、脅し立てるように大袈裟に揺らす。


「こ、来ないで……」

「森で股を開いて、俺たちを慰めてぇ? 後はあの女に引き渡す」

「や、やめ……!」

「運が良けりゃあ、生かして貰えるかもな。……が、運が悪けりゃパクッと、色狂いの腹の中だ!!!」


 男の意識は全て、私を脅かす事に向いている。これだけ叫んでも去った足音が再び聞こえる気配は無く、眼前の男が孤独である事を証明する。

 時間稼ぎはもういいだろう。準備は整った。


「今!」

「は?」


 私の合図と同時に全ての檻の扉が蹴り壊される。私たちの檻を除いて、計三つの檻から女たちが飛び出し向かう先は私の眼前。怖がる私の反応を愉しんでいた、檻を掴む男の下へ。


「なっ、お前ら!?」

「抑えて!」


 私の合図により、鬼の如き形相を浮かべた少女たちが複数人で男に襲い掛かる。体躯の差はあれど数的優位は覆ることは無く、男は短い悲鳴を小さく上げながら、少女たちの恨みを込めた拳により袋叩きにされ意識を闇に落とした。

 どの段階で異変に気付いたのか。入口の様子を見れば、我々の脱出に気付いた男たちが地面に置いていた武器を取っていた最中であった。

 ここから奴らの距離は数十メートルといったところ。少し走れば数十秒とも掛からず来れるような距離だ。


「ッシ!」


 春夏冬が我々の荷物が入った檻を蹴り壊す。

 手早く荷物の中から剣を取り出す。鞘から引き抜き刀身を確認。一度大喰らいに噛まれたせいで、刀身に奴の歯形が付いているのが私のである証だ。ついでに水袋もいつものように腰に携え、蓋を開く。

 私たち以外の者も、各々の武器を取り出し構える。

 か弱い少女とは言え、ここにいるという事は探索者。各々、自衛程度ならば可能だろう。戦闘の準備は整った。


「お前らぁ……駄目じゃあねぇか……」


 大男とその他の男二人と、得物を構える私たちが相対する。

 大男が我々を舐めるように眺め、最後にその視線は私には止まり大男はにやりと下卑た、嘲るような微笑みを浮かべた。

 大男とは少し前以来だ。あの時は油断していたが、今回の私に油断は無い。隙はあるかも知れないが。

 それに、戦意に溢れた仲間たちもいる。


「さぁ、報復と行こうか!」


 私の言葉に、少女たちは力強く頷いた。

 彼女等の絶望、不安、恐怖そして憤怒は、最早希望と闘争心に変わっていた。

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