第18話「安息」

 時刻は19時を過ぎ、既に暗くなってしまった雪道を滑って転ばないよう気をつけながら歩く。目的の民宿はこの駅から歩いて10分くらいだろうか。都心部で徒歩10分と聞くと、何故か結構距離があるように感じてしまうが、ちょっと都心から離れた山間地帯や海沿いなんかで同じ時間を聞くとそうでもないと感じてしまうのは何故なのだろう。まったくもって不思議である。それともこの感覚は僕だけのものなのだろうか。


 見慣れた景色を目の前に雪道を歩く。歩道は地元の住民が雪かきをしてくれているお陰で歩きやすくなっていた。とは言えここは日本の中でも雪国と称される地域で有名だ。油断をすると足を取られそうになる。足元に注意しながらもまわりの景色を眺めつつ、僕は宿に向けて一歩一歩と近づいていた。


 「しかしアレだな。ユキってもんはこうも遠くに来ないと見られないモノなのか?」


 不意にそんな声が僕の頭の中に響く。不思議なもので雪が降りやすい地域と降りにくい地域、全く降らないと言っても過言ではない地域が日本にはある。一般的には北の方が雪が振りやすい地域とされているが、僕の住んでいる都心のほうでも降らない事は無い。ただ確率が低いだけだ。降ったら降っただけ交通網が麻痺するというオマケつきではあるが。


 別にこの地域を田舎という言葉で片付けるわけではないが、都心に比べてやはり夜道は暗い。街灯の数もその一因ではあるが、何と言っても建物が違う。都心は高層ビルが建て並び、ある地域では眠らない街とまで称されるところもある。職場が集中している事もあり、夜遅くまで電気が点いているから自然と明るくなっているのが常だ。それに比べると今僕が居るこの雪国では、高いビルも無ければ夜遅くまで仕事をしている会社も無い。夜が更けていくと共にどんどん闇夜に包まれていく。これが都心とそれ以外の地域の違いではないだろうか。


 そんな事を考えながら歩いているともう民宿は目の前だった。僕が想定しているより幾分か遅れはしたが無事に到着する事ができた。何年振りにこの民宿に来たのだろうか。記憶がフラッシュバックする。ここには僕の人生の中でも相当の領域を占めるであろう思い出が詰まっている。ふう、と一息吐いてから懐かしい木造の戸を引く。ガラガラといういつもは聞かない少々うるさい音と共に戸が開かれた。


 こんばんわ、お久しぶりです。と少し大きめな声で一言発すると、長い廊下の角を曲がりパタパタとスリッパの音を立たせながら懐かしい人物が僕の元へやって来た。オバちゃんだ。


 「いんやー!あれまぁ!でっかくなっちまったなぁ!」


 オバちゃんは僕の足の先から頭の先まで何往復も見返しながらそう言った。当然と言えば当然だ。僕がこの宿に最後に来たのはおそらく15年以上前になる。特にオバちゃんは僕自身が記憶の無い頃から僕のことを知っている。言わば孫みたいなものだ。親と一緒に来ていた頃も、自分ひとりで来れるようになった頃も、この宿にバイトに来ていた頃も、すべてこのオバちゃんにお世話になっているのだ。オバちゃんは変わりませんね、と声をかけて、本当に変わってないなと心から思った。いつまでも元気だ。というかいつまでも元気でいて欲しい事に変わりは無い。


 民宿の玄関とでも言えば良いだろうか、引き戸を開けて入ったすぐの場所は横に長く伸びており、たくさんの靴やスキーブーツが置けるように広めにスペースが取られている。長く伸びた左側の先にはちょっとした階段があり、その先はスキー板やストック、ブーツなどを置いておくスペースになっている。僕が現役バリバリでスキーに熱中していた高校時代の頃を思い出すと、このスペースは何組ものスキー板と、次の日に向けて板にワックスを塗っている大人で溢れんばかりだった。それが今となってはスキー板も数組、ストックやスキーブーツは殆ど無く、逆にスノーボード一式が目立つようになっていた。とは言え、やはり置いている数が昔に比べて異様なほど少ない。


 「立ち話もなんだぁね。はやく上がんなさいよ!」


 ボーっと荷物置き場を眺めている僕を急かすように声をかけられる。靴を脱いでからいったんそこらにあるサンダルへ履き替え、靴入れに履いてきた靴をしまう。普通より幾分か高い、膝の高さくらいある玄関の段差を上がり、用意してくれたスリッパに履き替える。このスリッパもまったく変わってない。変わった事と言えば、少しスリッパが小さく感じた事だ。要するに僕が成長したという事なのだが。


 見慣れているはずの食堂へ向かう廊下に何故か違和感を感じた。目線の高さが違うのだ。昔は見上げるようにしていたスキー場のポスターや、丁度半分までが曇りガラスになっている戸などが幾分が小さく見えた。とは言え昔と変わってない。懐かしさがこみ上げるばかりだ。オバちゃんに続いて食堂へ入る。食堂は1階の大部分を占めており、ここで大体50人くらいは座って食事が出来る。長いテーブルがずらっと並び、まさに読んで字の如く川の字のように3つの島に分かれている。


 「おおお、こりゃナンだ。お前のカイシャ?だっけか?それぐれぇは広いな。」


 懐かしさのあまり一瞬こいつの存在を忘れかけていた。不意に声をかけられて少し驚いてしまった。会社のフロアの方が実際にはもっと広いのだが、パーテーションなどで区切られているため、大体今見ているスペースがいくつかに分かれている感じだった。そうだな、本当は会社はもっと広いんだけどな、と心の中で返事をする。


 オバちゃんに連れられて食堂に入った僕を懐かしい数人の顔見知りが迎えてくれた。全員親父のスキー仲間だ。当たり前と言うか残念なことにと言うか、みんな大分歳を重ねていて、何と言うか、老けていた。逆に言えば僕も老けていっている事にはなるのでみんなから見た僕もそれなりには大人になったという印象を受けただろう。そんな僕の考えを察知したかのように、でかくなったなあ、なんていう声がそこらから上がる。差し入れに持ってきた日本酒を袋から出しみんなの前に差し出すと、おおーと歓声が上がり、大人になりやがってこのやろう、と言われた。


 とりあえずみんなと酒も飲みたいのだが一旦荷物を置いて落ち着きたい。いつも泊まっていた部屋が空いているかを聞き、空いているという返事を貰ったので2階へ上がる事にした。みんなに一度挨拶をし、懐かしい階段を上がっていく。小さい頃はこの階段を一人で上り下りできなくて泣いた事を思い出した。階段を上るにつれて階下の喧騒が静かになっていく。僕はいつも泊まっていた部屋まで向かうと扉を開けた。入室して電気を点ける。そこには昔と変わらない懐かしい光景が広がっていた。部屋の真ん中に炬燵。障子つきの窓。灯油のストーブ。全く変わってなかった事に満足しつつ、荷物を放り投げる。


 上着を脱いでハンガーにかけ、荷物から電子タバコを取り出す。幸い夕飯はいただけるようだったので、ありがたくいただく事を伝えてから2階に上がってきた。一服してから1階に戻ってみんなの輪に加わろうと思った。


 そういえば宿に着いてからあいつをほったらかしにしていた。余裕がなかったわけではないが、懐かしさや感慨深さが勝ってしまって相手を全くしていなかった。電子タバコを一度大きく吸い込んで吐き出してから周囲に目を向ける。布団の上で体育座りでもしているかと思ったが、窓の前でじっと外を見つめているヤツの姿がそこにあった。僕が開けた障子に軽く手をかけながら微動だにせず窓の外に視線を向けている。電子タバコを今一度大きく吸い込み、吐き出した後に僕は頭の中で問いかけた。


 「なんなんだよこのユキってのは…何のイミががあるんだ?なんで空から降ってくんだ?」


 僕の予想の半分は当たっていたが半分は外れた。外れた、と言うよりは当たり前の事なのにそんな事考えたことが無かったと思わせる質問だったからだ。僕もそれなりに人生を生きてきてはいるものの、何で雨が降ってくるとか雪が降ってくるのか、そしてその意味に関してはほぼ考えたことが無かったと言っても過言ではない。天気という概念を当たり前のように受け入れ、雨が降れば傘を差す、晴れていれば太陽の光を浴びて気持ち良いと感じる。それが当たり前すぎてそれ以前の事には全く興味や関心が向かなかった。


 住んでいる次元の違いはこういった当たり前の事にかなり敏感だと僕は思った。こいつと付き合いを始めてからというもの、当たり前の事を毎日毎日聞かれていた。対する僕からも、じゃあオマエの世界はどうなんだよ、と聞いたことがあるが答えは予想したとおり、というか殆ど同じだった。


 「俺らのセカイにはそういうのは無ぇ。オマエらが特殊なんじゃねぇの?」


 というわけだ。それはそうだ。今僕が生きている世界は僕らが基準なのだから。そこに違う次元の生命体が飛び込んでくれば勝手が違って当たり前だし、逆の立場になっても同じ事だ。じっと外を見つめる生命体の背中を見つめていたらなんだか切ない気分になってきた。こいつは言ってしまえば一人ぼっち状態なのだ。干渉できるのが僕だけだから僕以外には頼れる人間が居ないと言う事になる。そもそもの思考回路が違うのだろうが、僕がその立場になったらどうにかなってしまいそうな気がした。こいつも自身の孤独と戦っているのだとしたら、と考えたら何とも形容しがたい気分になってしまったのである。


 だがそんな事を考えていても仕方が無い。僕はこいつとの契約に乗った以上はこいつと(僕が)死ぬまで付き合いを続けなければならないのだ。そんな事を頭の中で展開していたら窓際から水を刺された。


 「そんな細けぇこたぁいいんだよ。それよりアレだ、下のヤツらのところへ行かなくてイイのか?」


 僕からしてみれば全く細かい事ではなく大事だとは思うのだがこいつがそう言うのだからその程度の事なのだろう。吸い終わった電子タバコを充電器へ戻し、1階へ向かうことにした。扉を開けてスリッパに履き替える。扉を開けた途端に階下からにぎやかな声が断続的に聞こえてくる。みんなそれなりに盛り上がっているようだ。遅ればせながら僕もその宴に参加するため、背後に生命体を従えて階段を下りていった。


 階下では先ほどの盛り上がりからさらに盛り上がっており、僕が姿を見せるとみんなが早くこっちへ来いと口々に言ってきた。総勢10名程と、全盛期の頃の半分よりも少ないメンバーになっていたがどの顔も懐かしかった。僕が成長している事もあって、僕より年上のみんなはより一層老け込んでしまっていた。それでもスキーがしたくて毎シーズンこの場所へ足を運んでいるというのだから僕も見習わなければならないと感じる。あれやこれや言われながらど真ん中の席を開けてもらったので会釈をしながらそこへ腰を下ろす。早速グラスを渡されてビールを注がれる。空きっ腹に少々きついかと考えたが、場の雰囲気を見たら飲まずにはいられなかった。


 懐かしい話に花を咲かせながら、オバちゃんお手製のキムチや野沢菜、この地方独特の郷土料理をつまむ。どれも懐かしく、そして変わらない美味しさがあった。昔を懐かしむようにその味を噛み締める。というところで僕の背後の存在を忘れてはならない。こいつは以前、居酒屋で焼き鳥という新発見をした際に勝手に僕の手元から料理を奪い取った前科(?)がある。こんな密集地帯で同じことをやられたら、いくらみんな酔っているとは言え、怪しまれてしまうだろう。そう思った僕は、箸で少し多めに料理を取り、一口分を口に入れてから、箸を少し肩の方へずらす行動を取った。即座に感じ取った生命体はそれを食べる。出来るだけみんなの死角になるように少し背もたれに体を預けたり、何気ない行動をしながらこいつに食物を与えていく。時には手づかみで少し余分に取り、その手を椅子の横あたりに下ろして直接手渡ししたりした。


 食料を与える度に僕の耳と脳内には五月蝿い声が響き渡る。もう慣れたと思っていたがそんな事は無かった。周りには酒の力で気分の良くなった大事なスキー仲間の先輩方がワイワイと談笑している。その会話を耳に入れながら応答しつつ、生命体のリアクションにも頭の中で応答しなければならない。場が場なだけに今回ばかりは難易度が高い。夜はまだまだこれからと言う浅い時間帯ながら早速頭が痛くなりそうな展開だ。生命体に気を遣いつつ、周りのみんなにもそれ以上に気を遣う。はっきり言って疲れる。これはさすがに解散するまで持ちそうに無いなと思ったその時、一つ忘れている事を思い出した。


 宿に来る前に会った、中学の同級生の事だ。折角久しぶりに顔を合わせたというのに何も連絡しないのはさすがにどうかと思う。頭も疲れてきたところだったので、ちょっと野暮用で、とみんなに伝え、一旦この場を離れることにした。まだ休暇1日目だし、明日からも時間はある。今日この場所でみんなとの時間を目一杯楽しみたい気持ちもあったが、少し休憩を入れたいというのが僕の本音だった。じゃあちょっと失礼します、と言い席を立とうとすると「おいオンナだぜ絶対そうだぜ!」「生意気な!」などと笑い交じりに野次が飛んできた。まぁ女である事に間違いはないので、そんなとこですかね、と一言伝えた上で申し訳ないです、という意味も込めてみんなに向かって頭を軽く下げてから自分の泊まる部屋へと足を進めた。

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