雨、猫
相原問八
全話
僕は登校中に猫を見かけた。その時は雨が降っていたから、傘を差していた。
一瞬立ち止まって、猫と向き合う。段ボールに入っている子猫。淡い茶色に白い斑点模様。段ボールの前面にもらってくださいと油性のペンで書かれている。
どうしよう。いやどうしようもこうしようもないのだが。学校に持っていくわけにはいかないし、家に持って帰るわけにもいかない。
ごめんねと心の中で謝り、誰か心優しい人が引き取ってくれることを願った。
帰り際、その猫はいなかった。
その猫を心に留めながら幾日が過ぎた。
たまたま休日に猫のいた道を通る機会があった。
どうか健やかに育っていてくれと思いながら傘を差し、道を歩いていると空き地に茶色い塊を見かけた。
あの淡い色は、まさか。
胸がざわめき、背筋に汗が流れた。
恐る恐る近寄ってみると、数日前に見たあの子猫だった。死んでしばらくたっているのだろう。片目はすでに無く、毛並みをかき分けてもぞもぞと蛆虫が湧き、蟻がその間を縫うように歩き、死肉を巣穴に運んでいる。
「あっ……」
虚ろな片目と目が合ってしまった。
僕は声を失い、一歩、二歩と後ずさり、逃げるようにその場から立ち去った。
僕が殺した。僕が殺した? そんなわけがない。あの時、何もできなかったんだ。拾って学校に持っていく? そんなことできるわけがない。子猫を学校にもっていっても追い返されるだけだ。だったら一旦、家に持ち帰るべきだったか? そんなことをしたら親に怒られるに決まっているだろう。だからあの時は何もできなかったんだ。僕のせいじゃない。そもそも誰かが見つけていたはずだろう。僕だけのせいじゃない。
帰り道、いくら考えてもただの言い訳にしかならない気がした。
後日、学校であの子猫のことを考えながら過ごしていると。
「そういえばさ、空き地で猫が死んでたんだよ」「へぇ~どこの空き地?」「ほら学校近くの」「あ~あそこね」「ハエとか蛆が沸いててさ、めっちゃ気持ち悪かったわ」「もしかして捨てられてたあの猫? 死んじゃったんだ。可哀そうにね」
気持ち悪かった。可哀そうにね。その言葉が心に何となく刺さる。そうか。自分だけが勝手になんとかできると思い込んで、自分だけが勝手に絶望しているだけなんだ。
「あれ? どうしたの? 元気ないけど」
落ち込んでいる僕を見かねて友人が話しかけてくれた。
「いや、何でもないよ」
何せ自分勝手に罪悪感を抱いているだけなんだ。相談したところで誰にも理解されないだろう。その辺の捨て猫が死んだくらいでショックを受けているのは自分ぐらいだ。
結局この思いを胸にしまい込んだまま一日を過ごした。
子猫の話題はこの日以来、誰も話さなくなった。
連日、雨が続いている。まるで僕を責めているかのように。
あのうつろな目が、夜な夜な僕を追い詰めていく。
「どうして私を助けなかったの?」
そんな風に問い詰められたらまだましだったのに。
「悪かった」
その言葉を伝えられたらどれだけ心が軽くなっただろう。
でももうそんな言葉を投げかけられる相手はいなくて。
日に日に心に罪の意識が降り積もっていく。
もう誰もあの子のことは覚えていない。僕だけがあの子に囚われたままだった。
ある日、傘をさして外に出た。
あの子に出会った路地へ向かう。
そこにはもう段ボールはなく、ほこりが積もっていた。
そこから公園に向かう。子猫の死体があった場所は草がまだ微かに倒されて、あの子の存在を示していた。
その上にそっと、こぶし大の石を置いた。目を閉じて心の中で手を合わせる。
「ごめんなさい」
とは声には出さないけど、心の中でつぶやいた。
僕だけはあの猫を覚えていよう。
それであの子が救われるとは到底思えないけど、これが僕なりの罪滅ぼし。
空には晴れ間が戻っていた。
雨、猫 相原問八 @aihara8
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