第17話夢を持つこと

 将来の設計図を考案する。

 先々の懸念をはじき出す過程で、考えるのは、むしろ、考えないことなのだ。

 人生というものは、不可思議なものだ。

 目の前の問題に、着手することを、最優先するけど、クリアしていくのは、いつも、本人の状態と行動と心のあり方に左右されてしまう。

 時間は失っていく。

 しかし、時間を失うという感覚を知ると、人生の工程で、いやに、切羽詰まるのだ。

 ここに、時間と空間のビヨンドウォール感覚がある。

 そして、目標を達成するのは、時間と空間の折り合いをつかせるという現実反応が、ポイント一致する地点で、それを突破して初めて、到来するのだ。

 要は、夢を持つことは、必要なことなのだ。

 現実にのしかかる積載する苦悩や問題を、いかに、押しのけて、目標を得るか。

 夢の前に、その夢と言うものが、あるか。

 と言うことが、解れば、いいが。

 本来、人は、追われるものだ。

 そして、その中で、現実で、成功するために、手段を探す。

 それを総称して、夢を持つという。

 いかにも、後ろ向きだけど、そういうものと考えていれば、自分を肯定し、改善する自分の欠点や欲望の肯定のために、夢と言う言葉で、現実を隠すという心理過程に、どう目を向けるかと言う視座に、現実への価値の投影がある。

 個人的。

 美しい響きと見るか、醜い響きと見るか。

 個人的とは、測る尺度。

 コミュニティと自身の接点と距離と、価値の共有と、居場所をだ。

 居場所を探す時、評価されるべき媒体がある。

 それを他者、コミュニティに要求するのは、自然なことだ。

 しかし、現実が、あるということを忘れては不都合になるのだろう。

 現実とは、能力や才能と見合わないずれを生じる。

 そして、現実とは何なのか。

 障壁のある環境である。

 居場所は、コミュニティには、ない。

 本当は、個人的な世界にある。

 その世界を通じて、コミュニティが発見される。

 夢を持つということは、あくまで、消極的な言葉なのだ。

 では能動的な生き方とは。

 自身を高め続けること。

 果てしなく自分のできることを、自分のできることだけを一生懸命する。

 それから苦悩や問題と言うことは別様態にして、果てしなく努力する。

 突破はある。

 僕らの努力した領域にだけだ。

 そして、集中して他に目もくれずやり続けていれば、心は、充実していて、人生の意味など考えないものなのだ。

 人生に追われる。

 では、言葉を違えて

 それは美しいことじゃないのか。

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