第21話 鍵

どうしてこの人はそんなところまで気づいてしまうのだろう。

 馬車は一瞬で通り過ぎただけなのに。

 だからこの人はよく仕事が出来ると言われる。改めて再認識をさせられる。


 プジョル様も立ち止まって、わたしに心配そうな視線を投げてきた。


「いまの、見てしまいましたよね?」

 わたしはわざと元気よくプジョル様に尋ねた。

 悲しそうに黙って頷くプジョル様を見て、やっぱりあれは見間違いではなかったと確信をする。

 でも、これで目撃したのは2回目。

 昨夕よりは諦めの境地なのか、衝撃は少ない。


「わたしは大丈夫ですよ。なにか事情があってのことだと思います。普通に考えて不倫は隠れてするものでしょう。それを王城の正門から正々堂々というからには、なにか事情があってのことか、そうでなければ本当の馬鹿かのどちらだと思います」


 わたしは職務中だし、いまから騎士団の担当者と打ち合わせもある。

 こんなところで涙をこぼしている場合ではない。

 こんなところで恋に破れたと涙を溢せば、仕事を愛しているわたしの矜持が崩れる。


 これまでも王城で勤務する人の城内不倫を何度か見てきたけど、みんな人の少ないところで逢瀬を重ねていた。

 倉庫、中庭の木の影、人のいなくなった事務室… 王城の正門は初めて見た。

 正門から堂々と?


 あのセドリック様のことだ。

 ただの馬鹿ではないはず。きっとこれには何か理由がある。

 深い深呼吸をして、震える心を落ち着かせる。


「さすがはシェリー嬢だな。冷静な判断だ」

 プジョル様が安心したかのような安堵の表情を見せた。

「ご心配をお掛けします。でも早かれ遅かれこういう日は来ると思いますが」

「えっ?」

 笑顔で誤魔化す。

「ほら、以前にプジョル様にお話ししたではないですか。わたし達は白い結婚で1年後に子どもが出来ないことを理由に離婚することを視野に入れて、他の女性とお付き合いすることをわたしはセドリック様に勧めていると」

「ああ、あれな。えっ?まだそれ有効なの?そしてお前ら、まだ白い結婚なのか?結婚初夜からもう2か月ぐらい経っているのに?」

 プジョル様の明け透けな質問に思わず赤面してしまったが、「そうです」と何度も大きく頷いた。

 「嘘だろう。俺はてっきりもう。セドリック殿はなにをしているんだ」

 プジョル様が目を大きく見開き、驚きを隠そうともしない。

「とにかく今はわたしのことはどうでも良いので仕事をしますよ」

 

 気持ちを切り替えるためにも驚いてまだまだ尋問したそうなプジョル様を放置して、そこで話しを無理矢理切った。

 プジョル様が不満そうだったのは見なかったことにしよう。



 騎士団との話し合いはつつがなく終了した。

 プジョル様は騎士団の担当者が同期だったらしくて、少し話しをしてから戻られるとのことだったので、わたしだけ先に退席させて頂く。


 1人になると、仕事モードの自分から素の自分に戻る。

 そして、負の思考が沸々と湧いてきて、押し殺していた感情が込み上げてくる。

 

 (わたしでもあんな風にセドリック様に馬車で守られるように肩を抱かれるようなことをされたことがない。一応、妻なのにね)


 自分が情けなくて、悔しくて、初夜の後悔が顔を覗かせて、胸の奥が締めつけられる。


 誰にもいまの顔を見られたくなくて小走りで、寮に駆け込んだ。

 勤務時間中で誰もいない寮の廊下は静まり返っている。

 自室の扉の前で制服のポケットにいつも忍ばせている鍵を乱雑に取り出して鍵を開けようとするのだけど、鍵を持つ手も肩も震えて、上手く鍵穴に入り切らない。


「……う…」

嗚咽を漏らしてしまった。

わたしの頬を一筋の涙が伝う。

それでも涙を拭わずに鍵を開けようと鍵穴をガチャガチャするけど、冷静でないいま、こんな簡単なこともできない。

「…なんで…開けら…な…よう…」

思わず、泣き言を言う。

どんどん頬から伝う涙が一粒だけ、ぽとりと床の上に落ちた。


 鍵を開けようとする手が大きな手と重なった。

 まるでわたしの鍵を持つ手を包み込むように。

 その手がギュッとわたしの手を握り、鍵を開けようとすることを制止した。


 後ろを振り向こうとして、背中が包まれた。


「シェリー嬢、ひとりで泣くな」

 先ほどまで一緒だった声に安心する。

「…う… プジョル様」


 プジョル様がわたしの右手を握りながら、後ろから痛いぐらいにわたしを強く抱きしめた。

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