3-4

 珍しく私の部屋にマナがいた。

 いた、というより、押し入られた、の方が正しいのだけれども、とにかくマナは私のベッドに腰を掛け、私のクッションを抱きしめて、どうにか気を落ち着かせようとしているようだった。

 苛々とした様子でクッションを殴ったり、ルドへの愚痴を小声で呟いている。

「信じられない……ズッケロの実にペペの実を紛れ込ませるなんて……」


 これには私もフォローができないよ、ルド。

 ズッケロの実は甘くておいしいけれど、ペペの実はとてつもなく辛い。そしてこの二つは恐ろしく似た見た目をしていた。

 こっそりつまみ食いしたマナももちろん良くなかったとは思うけれど、ペペの実は本当に辛いのだ。それと知らずに一口で食べてしまったマナに心から同情する。

 マナは未だに涙目で、ルドへの呪詛を吐きながら口の中が正常に戻るのをじっと待っている。


「お水持ってこようか?」

 さっきまでがぶ飲みしていたのでお腹はいっぱいだろうけれど、マナにしてあげられることが他に何も思いつかない。

 マナはちょっと笑って、うなずいた。

「……うん、お願い」

 自室を出てキッチンへ行くと、ルドが料理の仕込みをしている。

 ペペの実をすりつぶして、少量を他の調味料に混ぜ込み、そこへ一口大にした肉を浸していた。

 キッチンに入ってきた私に気づくと、いつもののんびりとした口調で尋ねてくる。

「マナさんの様子はいかがですか」

「すっごく怒ってるし、口の中がまだ辛いみたい。ルド、悪戯にしてもやりすぎだよ」 

 ルドは仕込みを横に追いやると、楽しそうに笑いながら手を洗う。

 それから手際よく小鍋に牛乳とハチミツを入れて混ぜながら少しだけ温めて、ヨーグルト、搾りたてのレモン汁を混ぜ合わせ、仕上げに氷を入れて軽くかき混ぜた。

 即席ラッシーの出来上がりだ。

「お口直しに、お二人でどうぞ」

 にこやかに手渡された二つのグラス。爽やかでまろやかな甘い香りに、ちょっとほおが緩む。

 私はルドにお礼を言いかけて、一瞬、口ごもった。

 この飲み物にもなにか悪戯されてたりは、しない、よね?

 ルドにも私の疑念が伝わったようで、さすがにそこまではしませんよと苦笑いされる。


「うーん、おいしい。おいしいけどさ、もう本当なんなのあいつは!」

 マナが一気にグラスの半分くらいのラッシーを飲み干した。

 私もごくごくとラッシーを堪能しながら、横目でマナの機嫌と口内環境が良くなったのを確認してホッとする。

 マナはいつもの癖で、片手にグラスを持ちながら、もう一方の手で首から下げた小さな袋を撫でていた。

「あの、マナ? 聞いてもいい?」

「うん?」

 おいしそうにゴクリとラッシーを一口飲んで、マナはにこにこしながら小首をかしげる。

「あのさ、その、首から下げてる袋。いつも大事そうにしてるけど」

「ああ、これはね、すごく大事なものなんだ」

 軽い調子で言いながらも、マナは袋を、まるで私から隠すかのように手で覆いぎゅっと握りしめる。

 ここで止めるべきか、もう少し踏み込んでもいいものか、逡巡した。

 マナは中身がほぼ空になったグラスを揺らし、カラカラと氷で音を立てている。

 悩んだのはほんの数秒で、結局私は踏み込んでみることにした。

「袋の中には、何が入ってるの?」

 氷の音が止んだ。

 マナはうっすらと笑みを張り付かせたまま、じっと空のグラスを覗き込んでいる。


「……お兄ちゃん」

「え?」

「あたし、親がいないんだ。二人とも流行り病で死んじゃったの」

 唐突にマナが遠い目をした。

 私は戸惑い、悪いことを聞いてしまったと後悔しつつもマナの言葉の続きを黙って待った。

 両手で持ったグラスがひんやりと冷たい。


「で、家族はもうお兄ちゃんしかいない。たった二人の家族だったのにさ、ずっと一緒だって、いつでもあたしのこと見ているよって言ってくれたのに」

 マナはいったん言葉を切り、グラスの氷をひとかけら口に含む。

 そして、ガリッと噛み砕いた。

「お兄ちゃん、ある日突然、一人で出て行ったの」

 小さな袋を握りしめたマナの手が力の入れ過ぎで少し白くなっている。

 マナは遠い目をしたまま、淡々と語り続けた。

「あたし、捜した。お兄ちゃんのこと、必死になって、捜して、捜して、それでね」

 すっと、マナが私を見る。

 遠く過去を見ていた目が、今現在に戻ってきたようだった。

「やっと、見つけたんだ」


 今まで見たマナの笑顔の中で、一番穏やかな笑顔だった。

 満ち足りたその表情を前に、私はなぜかそわそわとした心持ちになる。

「お兄ちゃんに見ていてもらうため、また一緒だって、もう絶対に手放さないって、そう誓ったんだよ、あたし」

 袋を握るマナの手が力み過ぎて小刻みに震えている。

 それはまるで、『絶対手放さない』という決意がにじみでているようだ。

 

 びっしりと汗をかいたグラスに口をつける。解けた氷で薄まったラッシーは、ぼんやりとした味がした。

 

 マナはどこか晴れ晴れとした様子でニッと笑う。

「だからこれは、私にとって、大切で大切で、絶対手放せないすごく大事なものなの」

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