2-4.獣は一人、さみしくて

 ため息をつく。


 いつまでもこうしているのは不毛だ。意味がない。そう思い、ニオはゆったりと歩き出す。


 帰る気にはなれなかった。せっかくここまで出てきたのだ、少し散歩でもして、気を晴らしたい。


 歩くのはいい。『天城都あまぎと』で暮らしていたときは、唐廂車からびさしのくるまにばかり乗らされていた。行動を監視され、足枷をつけられ、ただ死んでいないことだけを体感する日々を過ごしていたのだ。それに比べ、自分の足でどこまででも行ける事実の、なんと素晴らしいことか。


 足の腱は見事に切られていたが、れいの召喚した神獣シェンショウ鴻鵠コウコクの力で歩行が可能になっただけでなく、素早さすらも取り戻せた。そこは素直に感謝しておく。


(代わりに殺し屋なんて、別の枷があるけど)


 また、ため息。背筋を伸ばし、道の隅っこを進む。


 どうしようかと悩んだ。喉が渇いている。少しぜいたくに、久しぶりに外食をするのもいいかもしれない。格好は長袍チャンパオ姿のため、『天城都あまぎと』側区画に入らなければ問題はないだろう。


 通りを進むにつれ、日が昇ってきたためか、道なりに人気が多くなってくる。提灯ちょうちんの明かりはなく、色合い的には多少さみしいが。


 仙月家がお目付役である『中原省なかはらしょう』区画には、女性が多い。声を張り上げ客を呼びこむ屋台の売り子、ござに座って痩せた野菜を売る女、食堂の準備をする店員。かしましいが、どこか華やかさがある。


 どこの店に入ろうか――と、そこいらに視線をやって悩みあぐねていたときだ。


「あれっ、ニオちゃんじゃねーの」


 聞き覚えのある声に、思わずぎくりとする。


 背後を振り返れば、くたびれたシャツとスラックス姿の青年が、へらへらした笑みを浮かべてこちらに手を振っていた。


「……とおるさん」

「どもー。何、買い物でもしに来たわけ?」

「まあ、そんなところです」


 白い短髪に赤い瞳を持つ彼、とおるが、背筋を丸めて近づいてくる。


「こっちにいるの、珍しいですね」

「そーでもねぇよ? 大姐ダージェやおやっさんのとこにも行くし、オレ様ってば大人気」

「はあ」


 ニオは返答しつつ、どこか冷ややかにとおるを見つめた。


 彼は情報屋だ。別名は『兎』。勇斗ゆうとに紹介されて顔なじみとなった。本人いわく、彼もまた勇斗ゆうとに借りがあり、みやびのために働かされているらしい。


 気の抜けた笑顔と軽薄な口調に、ニオはそれでもなぜか、落ち着きを感じる。


「今日は大姐ダージェのところに用が?」

「うんにゃ。ただナンパしに来た」

「別にみやびの女の子でもいいのでは」

「あー、ダメダメ。みやびの子って基本さ、自己防護意識高いんだ。安月給のオレ様なんかについてくる人間、いないわけ」

「そう、なんですか」

「そーなの。悲しいね。だからこっちにさ。『中原省なかはらしょう』の子たちって元気っしょ。結構好奇心旺盛だし。一夜のお相手にはもってこいなの」


 一を話せば十を返すとおるに、呆気にとられ、目をまたたかせることしかできない。


 へらへらとしていた彼が、糸目を軽く開けた。れたりんごのような瞳と視線が重なる。


「こないだはお疲れさん」

「……どうも」


 まぶたを開ければ、とおるの雰囲気は様変わりする。つかみどころのない、風のような様子になる。


 そんな彼のねぎらいに、曖昧にうなずいてみせた。


 勇斗ゆうとがとおるに、どこまで話しているかはわからない。れいのことを認知しているのかすら、知らない。相棒と一緒にとおると会ったことはなかった。


 警戒している様子を悟られないよう、とおるから視線を逸らすまねはしない。


 すると、とおるの顔がまたもや気迫のない、やる気のない笑顔へと変わる。


「ニオちゃんこそ、長袍チャンパオなんて着てどしたの。大姐ダージェのとこにも行くつもりなわけ?」

「ただの気分転換です」


 相棒がいるかどうか、察知されているのかわからない以上、ごまかす他ない。


 とおるが笑う。糸目がより、細くなる。


「なら、もっと気分転換しない?」

「例えば?」

「明日の朝まで大人のデート」

「お断りします」

「手厳しいねー」


 けらけら笑うとおるを見て、ニオはため息をつく。


 そんな様子もお構いなしなのか、彼は笑顔をより深めた。


「じゃーさ、お茶でも飲まない? ちっと話したいこともあるしさ」

「話したいこと……ですか」


 世間話でもするのだろうか、と考え、すぐにそうではないだろうと思う。


 彼は腐っても情報屋だ。自分から何か、情報を引き出すことを目的としているのかもしれない。だが、その逆もできるだろう。腹の探り合いは苦手だが、とおるから有益な事柄を聞ける可能性だってある。


「わかりました、少しだけなら付き合います」

「おっ。ならバイク取ってくるわ。ここじゃちょっとなー」

「いいです。わたしも行きます、一緒に」

「そ? 近くに駐車してあるんだよな。そんな遠くないから」

「ええ」


 うなずけばとおるが歩き出す。ほんの少し先を行く彼に従い、ニオも再び歩みを進めた。


大姐ダージェに頼まれたって聞いたぜ」

「は?」

「オレのまねごと」


 振り返らずに放たれた言葉に、指が軽く、動く。


「どこ情報です、それ」

大姐ダージェ本人。いやー、ニオちゃん買われてるね、好かれてるなー」

「そうなんでしょうか。あなたの方がしっかりやってると思いますけど」

「あ、そう見える? いや、聞いてよ、大姐ダージェったらよ」


 間髪入れずに答えたおかげか、とおるは、普段言えないであろう鬱憤をぶちまけはじめた。


 適度に相槌を打ちつつ、ニオの頭はめまぐるしく動く。


大姐ダージェ本人から、ということは、昨日の夜か今朝に聞いたことになるけど)


 理屈は合う。だが、それなら彼がここにいるのは、偶然ではない気もする。何かを求めて自分に会いに来たのだとしたら、とんだ食わせ物だ。


「……ってなわけで、オレ様ってば貧乏クジなわけ」

「本当に大変ですね」


 ほとんど話を聞いてないうちに、とおるのものと思しきバイクのところまで辿り着いた。


「ほい、着いた。ニオちゃん、後ろ乗って」

「わかりました」


 安月給ね、と心の中で冷たく思う。個人的なバイクなんてものを持っている時点で、自分より遙かに恵まれていると感じた。


 とおるはバイクにまたがり、エンジンを噴かす。ニオもその後ろに乗った。


 長袍チャンパオの裾を風になびかせる勢いで、バイクが前進する。


 見る見るうちに、今いた場所が過ぎ去っていく。バイクは大通りを避け、小道に入り、洗濯物が干されている路地裏を走った。


 えた匂いはともかく、風自体は気持ちいい。涼風が遠慮なく全身に流れる感触。


 いやなことも、辛いことも、全部消えていきそうだった。今ならあらゆることを許せる気がした。自分を斬った妹。妹をそそのかした兄。他人のことは眼中にない相棒。それどころか、この不条理で血なまぐさい世界だって、愛せそうだ。


 自分のことは狭量だと思う。十七年生きているが、決して慈悲深い生き方はしていない。《偽神ジャンク》として生まれ、格上であり絶対的な存在、ぬえの元で狂った寵愛を受けた。鬱屈していく心を晴らすため、八つ当たりという名の殺人すら行ったこともある。


 兄に仕える巫女を、神主を、禰宜ねぎを、この手にかけた。それでもぬえは何もいわず、ただ微笑みを浮かべていただけだ。「全部わかっている」というような視線のまま。何人かは生き残りがいたそうだが、それらの人間がどうなったのか、知らない。教えられなかった。


(違う。知ろうとしていないだけ)


 兄に見捨てられたとき、はじめて感じた恐怖と孤独。神という存在の気まぐれに付き合わされた悲劇。ここに落とされ、ようやくそれらを心で感じた。肌で感じた。


 ぽっかりと開いた胸の隙間を埋めるように、黒曜こくようが自分の支えとなってくれたが、それは一時的なものに過ぎない。えにし。自分は強い結びつきを求めている。憧れている。


 だから、さやかが羨ましい。れいが妬ましい。あの二人は他人なのに、傍目から見ても強固な思いを通わせている。別に体を許しあうこと、唇を重ね合うことを求めているわけではないが。


(この人もそうなのかな)


 無言の、とおるの背中を見た。一夜の相手を求めているという事実は、彼がさびしいからなのかもしれない。そうだとしても、相手にはなれないが。


「ニオちゃん」

「あ、はい」


 唐突に話しかけられ、少し返答が遅れた。


「オレの邪魔をするようになったら、容赦はしねぇよ」


 冷徹な台詞に、一気に頭が冷えた。風に感じていた心地よさが、瞬時にして氷のつぶてとなって自身の胸を貫く。


「どういう、意味ですか」

「あー。ニオちゃんはもっと賢いと思ってたなー、オレって」


 彼は振り向かない。れいと同じように。すさぶ風が強まり、息が詰まりそうだ。


「オレだってこの地位に就くまで、血反吐吐く思いだったわけよ。それを、ポッと出の人間にお株を奪われてみろって。許せるか? 平然と自分の居場所を取られるなんてさー」


 とおるの言葉は平坦で、普段の明るさなど微塵も感じられない。


 ニオは何も言い返せなかった。ただじっと、彼の背中を見つめることしかできない。


 居場所――妹――奪われた全てのもの。


(同じだ)


 そう、思う。とおるは同じだ。昔の自分と、今の自分と。


 居場所と強い縁を求め、さ迷い、視界の悪い荒野で泣き疲れた子どものようだ。他人からの評価と印象で、自分の価値が決まると思っている幼子。


「何も成長してない」

「えー? 何、聞こえねーって」

「いいえ」


 自分のつぶやきに、内心で自嘲する。


「大丈夫です」


 ばからしい、と思いつつ、甘い声を出した。自分に言い聞かせるように、とおるを安心させるように。


「自分がいるべき場所くらい、わきまえてますから」


 嘘のような言葉を、吐き出す。声は意外と震えておらず、嘘をつくのにも慣れたのかもしれない、とぼんやり思う。


 彼がそれにどう答えたか、記憶にない。ニオの意識はすでに自分へ向いている。


 血と暗闇と孤独の中が、自身の居場所だ。これ以上何を求めようというのだろう。衣食住の保証と、最低限の自由。それがあればいい。


 そう感じて頭で理解して、しかし心の奥底では怖かった。もしかしたら、と口元を歪める。


 人はこれを、さみしさと呼ぶのかもしれない、と。

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