第6話
「おい、こんな遅くからどこに行くんだ……?」
「こ、こここれは……失礼しました……!」
返答待たずして振り向きもせず、扉を開けて真っ暗な森へ飛び出した。下はトランクスのままなのでめっちゃスースーする。今の状態で都内を走り回ると大変素晴らしき幸福感を満たせる事になるだろう。
ぬかるむ地面に足を取られながらも、ただ無我夢中で走った。心臓の鼓動が耳の奥で爆発しそうなほど響く。背後からは、追いかけてくるような男の叫び声――いや、罵声――が追いかけてくる。
「戻れぇえ!お前は俺のもんだァア!今夜は可愛いがってやるからな!覚悟をしろおおぉ!!」
深夜な時間帯で静けさ極まる森の中でのめちゃくちゃうるさく叫んでいる。
どう見ても頭がおかしいよ。何で俺の白衣来てるんだよ。おっさんの素肌に着用された白衣を再着用する気も起きない。まぁ元々あれはゴミの様な白衣だ。諦めよう。
それよりはどうやってこの危機を乗り越えてくれようものか。森の奥へ、ひたすらに駆け抜ける。
その時だった。
「ブルルルルル……!!」
昨日遭遇した、あの異様にでかいユエルウサギ――花粉を放ち、俺に言語能力の変化を与えた、あの奇妙な生物が再び姿を現した。ぴくりと鼻を動かし、辺りの匂いを嗅ぐ。そして、森の奥から遅れて現れた白衣姿の男を見つけると、目の色が変わった。
「な、な、!? うわ、やめっ……ぎゃああああああああ!!!」
おっさんの絶叫が森に響く。
おっさんが襲われてすぐにその場から離れて木陰からその光景を見て、一瞬呆然とするが何となくその理由はすぐにわかった。白衣――それには、俺自身の長時間の汗と泥、電マの残り香など、あらゆる意味で強烈な臭いが染み付いていたのだ。
と言うのも発生の元となる俺には来なかったあたり相当臭いというか、蓄積されてたのだろうか、俺自身に見向きもしないで襲いかかっている、と思いたい。
ウサギはその臭いの発生元の白衣に強く反応してるのだろうおっさんの着用している白衣を重点的におっさんに襲いかかっており。まるで「それは俺のだ」とでも言うように。
「……いや、なんか……助かった、のか?」
直後、森の奥へと悲壮感溢れる叫び声を奏でながらウサギによって白衣を引き裂かれ地面に引きずられて森の奥へと連れ攫われていくおっさんの姿が見えなくなるまで確認すると、そっとその場を離れた。
「ウサギ、マジでありがとう……なるべく、肉とか食わないように心掛けるよ……」
そうぼやきながら、森の脱出を目指して、再び暗い森の中を歩き出したのだった。
森を歩くたびに、湿った葉の音が足元でくしゃくしゃと鳴る。昨日のウサギとの遭遇、そしてあの男からの逃亡劇を経て、鷹志の白衣は失われ、今はおっさんからの提供されたボロ布を腰に巻いて何とか体裁を整えていた。
喉も乾き、腹も減った。目的も曖昧なまま、地図に記された川沿いを進む。
そんな折、前方から小枝を踏み割る音が聞こえた。
「何者だ!」
鋭い声と共に、茂みから現れたのは剣を構えた男。鋼の胸当てと肩当てを身につけた、見るからにベテラン風の冒険者だ。隣にはフードを深くかぶった細身の男が立っている。
「……旅の者か?」
「あ、え、えっと、違うんです、あの、服も荷物も盗賊にやられて……!」
慌てて鷹志は説明を始めるが、剣を構えたままの男――「グレン」は目を細めたまま動かない。
冒険者たちの視線が、ボロ布に包まれた鷹志に集まる。彼の情けない見た目に、一瞬警戒と侮蔑が混じる空気が流れる。
「おいおい、こいつ……本当にただの遭難者か?変態の間違いじゃないのか?」
短髪で筋骨隆々の男グレンが、鷹志をじろじろと見ながら言った。
「ま、まあまあ……何かしらの情報を持ってるなら話は別じゃない?」
そう言ったのは背中に大きな弓を背負う赤髪の女性冒険者ミレーヌ。どこかの王都の方言交じりで話す彼女の目は鋭く、判断力に長けていそうだ。あとめっちゃ可愛い。
「ユエルウサギの行方を知っている、と言ったな?」
“ガルド”という大柄な斧使いの男が前に出る。
鷹志は慎重に頷いた。「あ、はい、昨日森の奥で見た。大きな耳と花粉の匂い……。逃げた方向も覚えています」
「……ふむ、情報を持っているのは確かのようだな」
その言葉に冒険者たちの空気が一変した。
今やユエルウサギは討伐対象、しかも討伐報酬は高額。だが、問題はこの鷹志の立場だ。
「俺たちは討伐依頼を受けてる。保護は管轄外だ」ガルトが吐き捨てるように言う。
「ま、でも案内役としては使えるかもね?」ミレーヌが不敵に笑う。「案内すれば、帰りは連れてってあげるかもよ?」
このよくわからない森の中での勝手は大変難しいとここ数日で思っていた次第。
鷹志は頷くしかなかった。
「よし、決まりだ。ちゃんと協力すりゃあ帰りは街へ一緒に連れってってやる」
自分に選択肢などないのだ。
こうして、鷹志は冒険者達と行動を共にすることになった。
鷹志は先頭に立たされ、ミレーヌがそのすぐ後ろ、続いてグレンとガルドが歩く。鷹志は乾いた喉と薄汚れた喉元のボロ布を引き直しながら、昨日ユエルウサギが逃げていった方向を思い出す。
「この辺りです……昨日、あの木を飛び越えて行ったはず……」
鷹志が指差したのは、苔むした倒木と獣の爪痕が残る幹。
ミレーヌがしゃがみ込み、周囲の足跡を確認する。「……確かに、蹄の跡がある。花粉の残り香も少し……こっちで合ってるわね」
「お前、意外と使えるな」ガルトが小馬鹿にしながらも一応の評価をする。
だがその時、遠くの茂みでガサッ、と音が鳴った。冒険者たちが一斉に武器を構える。
「気配……二体……獣よ!」ミレーヌが警告を発し、鷹志は慌てて後ずさる。
現れたのは、二体のモフモフとした獣。だがその大きさと鋭い牙は、ただの小動物ではなかった。森に生息する中型の魔獣“バルトワーグ”だ。
「下がってろ!」バルトが斧を振り上げるが、一体が横から突進。ミレーヌが応戦する隙に、もう一体が鷹志の方へ迫ってきた。
「ひ、ひぃっ……!」
手元に武器はない。電マは使えるが、出せば“異質な何か”として目立ってしまう。鷹志は咄嗟に、ポケットに入っていた草の実を拾い、ワーグの目に向かって投げつけた。
「それっ!」
狙いが外れて地面に落ちた草の実が破裂し、偶然にも刺激臭のある煙があがる。
「キャンッ!」と鳴いてワーグは目を押さえ、怯んだ隙にバルトの斧が振り下ろされる。
やがて両方のワーグが撃退された。
「……あの実を、あのタイミングで投げたのは偶然か?」
グレンがじっと鷹志を見た。
「い、いえ……ちょっと、昔、草野球やっていまして………」
「草野球?ふーん、まあ運がいいのか悪いのか……」
ミレーヌが笑う。「案外、最後まで付き合えるかもね?」
鷹志は冷や汗をかきながらも、少しずつ彼らの中に居場所を見つけつつあった。
陽が傾き始め、森の奥には不気味な影が差していた。鷹志たちは、ミレーヌの提案で小高い岩場のそばに野営地を構えることに決めた。木々に囲まれた自然の窪地で、視界もそこそこあり、背後を岩に守られているため獣の奇襲も避けやすいという判断だ。
「ここなら火を使っても煙が上に抜けやすい。風下に獣の痕跡もない」
ミレーヌは手慣れた様子で地面を整え、焚き火の準備を始めた。
「お前は火の番。……って言いたいとこだが、火打ち石は持ってるか?」
「持ってません……」
「はぁ、何しに来たんだ……」ガルトが呆れた声を漏らす。
それでも彼らは黙々と作業を進め、やがて焚き火の炎がゆらゆらと周囲を照らし始めた。温かい光が、鷹志の汚れた頬にも柔らかく映る。
「……で、お前は野宿とかしたことあるのか?」
グレンが訊いてくる。
「えっと……ネカフェなら……」
「なにそれ」
しばらくは静かだった。だが夜も更け、皆が少しずつ寝袋に入っていく頃――事件は起こった。
――ゴソッ。
薄暗い焚き火の灯の外で、小さな物音がする。
鷹志がびくりと振り返る。
「……グレン、今の聞こえたか?」
「……ああ。おい、鷹志、動くなよ」
ガルドが手をそっと斧に伸ばしながら、周囲を注意深く見回す。
――カサッ、カササ……
次の瞬間、ミレーヌが「あれ」と指差した。
火の外縁に、人影が一つ。
……が、よく見ると、その人影は奇妙だった。鷹志が目を凝らすと、ボロボロのマントをまとい、顔はフードで隠されている。
「旅の者だ……食べ物を、少し分けては……」
ひどくかすれた声。年齢も性別もわからない。ミレーヌの表情が硬くなる。
「……その口調、どこかで聞いた気が……」
グレンが素早く懐から短剣を取り出すと、火のそばに投げた。
刃は影の足元に突き刺さる。
「動くな。お前、森で何してた?」
影は微かに笑うと、フードを外した。
そこにいたのは、――昨日、鷹志の白衣を奪って逃げた、あの男だった。
「へっ……こんな夜に会えるなんて、運命感じるな」
「あ、あんた……返せよ、白衣!」
「やぁだよぉ。これ着るとお前の匂いがして……たまんないんだわぁ……」
男はぞっとするほど嬉しそうな顔をして、ぐいと白衣の襟を引き上げる。
ガルドが目を細めて「こいつ、やばいな」と呟く。
「昨日、ユエルウサギにやられたと思ってたのに……」
ミレーヌは腰のナイフに手をかけた。「警告は一度だけ。今すぐその服を脱いで、ここから立ち去れ変態」
男はふて腐れたように呻くと、舌打ちをしてボロ切れと化した白衣を投げ捨て、闇の中へと消えた。
鷹志は恐る恐る白衣に近づく。だが――
「……くっさ……!」
着る気にはなれなかった。
「まあ、そのままでいい。お前は……そのボロの方が似合ってるしな」
ガルドが苦笑する。
こうして、夜の静寂は再び戻った。
だが、鷹志の中に一つの確信が芽生えた――この世界、まともな奴の方が少ないかもしれない。
翌朝。空は晴れ渡り、木々の間から差し込む光が地面に斑模様を描いていた。冒険者たちは地図と鷹志の情報を頼りに、川沿いを南へと進んでいた。地図には読み取れない異世界文字が並んでいるが、地形の特徴と目印の配置から、ユエルウサギの縄張りとされる開けた草地が近いと判断された。
「ここだ……この先の丘を越えたら、開けた場所があるはずだ」
ミレーヌが立ち止まり、斜面を指差す。
鷹志も息を呑んだ。昨日、あの花粉を浴びた場所と似た匂いが風に混じって漂ってくる。
そして――
「来るぞッ!」
グレンが叫んだ瞬間、草むらをかき分けて、白銀の毛並みをもつ巨大なユエルウサギが飛び出してきた。
その姿は愛らしさとは無縁で、異様な俊敏さと鋭い爪を持ち、鼻先をヒクヒクさせながらこちらを威嚇する。
「戦闘開始! 各自、配置に!」
グレンの号令で三人の冒険者たちは素早く散開。鷹志は後方で震えながら身を伏せる。
「ユエルの動きは速い! 正面からは無理だ、側面を――っく!」
グレンが突っ込むも、ウサギはぴょんと跳ねて回避。そのまま爪を振り抜き、グレンの肩を掠めた。
激しい戦いが繰り広げられる中、鷹志はおとなしく隠れていたが――
「…見つけたぞぁ……」
森の陰から、あの“男”が再び現れた。
昨日の汚れた服はどこかに捨てたのか、今回は全裸に近い姿に木の葉を巻きつけただけの姿で現れ、まるで猟犬のように四つん這いで這い寄ってくる。
「ひいっ!? な、なんで今来るんだよ!? 空気読めよぉおおおお!!」
鷹志は叫びながら後退るが、男は異常な執着心を露わにして迫ってくる。
「逃げるなよ! お前の匂いが、昨日よりもっと強くなってて……フヒ!!我慢出来ねえ」
その声に気づいたガルドが振り返り、目を見開いた。「クソ!、なんだあれ!? 新手か!?」
その瞬間――ユエルウサギが動きを止め、男の存在に気づいた。
一瞬、鼻をヒクつかせたかと思うと、昨日の“香り”が再び記憶を呼び覚ましたのか、ユエルウサギは急に戦意を逸らし、ターゲットを男へと切り替えた。
「へ……?」
ユエルウサギは一瞬の加速で男に飛びかかり、思いきり背中に花粉を浴びせかける。男は快楽とも恐怖ともつかない奇声を上げ、森の奥へと連れ去られていった。
「……なんだったんだあれ……」
鷹志が震えながら呟くと、冒険者たちは呆れつつも再び周囲の警戒に集中。
ユエルウサギはしばらく姿を消したままだったが、男が連れ去られたことで一定の脅威は去り、彼らは戦闘の続行を中止していった。
「ふぅ……なんか、変な意味で命拾いしたな」
ガルドが大きくため息をつく。
「災難だったね」
ミレーヌがたかしの肩を優しく叩く。
「お前、ほんとに何者なんだ……」
グレンが呆れたように鷹志を見る。
俺自身も何故あんなに執拗に追われるのか理解が出来ないよ。たかしはため息を吐いた。
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