第19話

翌日。

 泉丸書店の近くの公園のベンチにそわそわしながら座り、並川が来るのを待っていた。

「ごめん」

 並川が走って現れる。

「全然いいよ」

 並川が僕の横に座る。

「それで話ってなに?」

「この本の事で」

 並川は鞄から「  」を取り出して、僕に見せた。

「読んだの?」

「うん」

「……そうなんだ」

 意外だった。本当に読むとは思っていなかったから。

「意外って顔してるね」

 疑いの目を向けてくる。

「そんな事ないよ」

 僕は目をそらして答えた。

「してるよね」

「いえ、してません」

「してるよな」

 並川は僕の胸ぐらを掴み、睨みながら言った。

「……はい。しました。嘘ついてすみませんでした」

 どうしようもなくなり自供した。

「素直に言えばいいのよ」

 並川はそう言って、僕の胸ぐらから手を放した。

 はっきり言って恐喝だ。やはり、並川はヤンキーなのか。そして、僕は何を聞かされるのか。様々な恐怖が僕を押しつぶそうとしている。

「……それで話ってなに?」

 僕は恐る恐る質問をした。

「……友晴って居るでしょ」

 並川は少し照れて言った。

「……友晴。あ、一緒にバイトしてる幼馴染」

「そう」

「それで彼がどうしたの?」

「……仲直りしたいの」

 昨日考えたシチュエーションには無かったものだ。なんだか、少しホッとしている自分とがっかりしている自分がいる。

「仲直り?仲良いんじゃないの?」

 僕にはそう見える。

「仲良く見える?」

「見えるだろ」

「何で?」

「何でって。嫌な奴とわざわざ同じバイトする奴いるか?普通に考えて」

 僕だったら嫌いな人と同じ職場なんて考えられない。ストレスの量が倍以上になる。

「そうなの?」

 並川は不思議そうに聞いてくる。

「そうだろ」

 少し考えたら分かるだろう。

「今、ちょっと馬鹿にしたでしょ」

 エスパーかと言いそうになった。

「してないよ」

「したでしょ」

 並川は再び、胸ぐらを掴んできた。これではっきりした事がある。並川はヤンキーだ。

「はい。しました。ごめんなさい」

 僕はすぐに正直に答えた。それが一番賢明な答えだと思うからだ。

「……嫌いじゃないんだ」

 並川は僕の胸ぐらから手をそっと放した。

「そうと思うよ。仲悪くなった理由とかあるの?」

「えーっとね」

「喧嘩とか?」

「……うん」

 一発で答えを当ててしまった。

「原因は?」

「……交換日記」

「交換日記?それっていつぐらい前の話?」

「小学4年生だから10年前ぐらいかな」

「え、10年間ずっと仲直りしてないの?」

 単純に驚いた。そんな長い期間仲直りしないで同じ職場で働くなんて想像するだけで恐ろしい。

「……そう」

「経緯を教えてよ。仲直りする方法を一緒に考えるからさ」

「本当に?」

「うん」

 僕は頷いた。

 並川は深呼吸をして、口をゆっくり開く。

「……私達ね。同じ病院で生まれて、家も近所でずっと一緒にいたの」

「そうなんだ」

「小学生になっても同じ関係で、仲が良いのが当たり前で二人だけの交換日記を始めたの。

始めた頃は楽しくて、早く次が読みたいってワクワクしてた。でも、ある日、交換日記を同級生に勝手に読まれて。それで、その同級生が教室で「二人は夫婦です!イチャイチャしてます。あー恥ずかしい」って言いふらして。私は泣いて。恥ずかしくなった友晴は私に「こいつなんて大嫌いだ」って言って。それを聞いて、私は傷ついて「私も、アンタなんて大嫌い」って言っちゃってさ。それから、喋らなくって、お互い謝らずに今に至るの」

 並川の瞳からは涙がこぼれ落ちそうになっている。

「……そうなんだ」

「馬鹿みたいでしょ」

「そんな事ないと思うよ」

「……そうかな」

「うん」

 僕は頷く。

「それでその交換日記は誰が持っているの?」

「友晴」

 並川は即答した。

「……そっか。分かった。ちょっと考えてみる。二人が仲直り出来る方法」

「……本当に?」

「仲直りしたいんだろ」

「うん。したい」

 並川はぽろっと涙を溢しながら言った。

「泣くなよ」

「ごめん」

 並川は手で涙を拭いた。

「今回だけだからな。特別価格の0円で依頼を引き受けるよ。本当は高いんだから」

「ありがとう!仲直り出来たらお礼してあげる」

「……お、おう」

 なんだか恐怖を感じた。理由はない。ただの直感。

「何よ、その返事」

「何でもない。何でもないよ」

 僕は並川から視線を必死にそらす。

「言いなさいよ」

 並川は僕の胸ぐらを掴み、強い口調で言った。

 僕は確信した。並川はドヤンキーだ。ドヤンキー以外の何者でもない。

「お礼がちょっと怖そうだなぁと思いまして」

 僕は何も隠さず正直に答えた。

「何よそれ」

「……すいません」

「ふふふ」

 並川は笑いながら胸ぐらから手を放した。

 恐怖。恐怖でしかない。まるで、悪魔が笑っているかのようだ。

「お礼ぐらいちゃんとするわよ」

 並川はニコッと微笑んで言った。

「……おう」

 僕は並川の笑顔に少しドキッとした。いい意味と悪い意味で。


 僕と並川は「ペチュ二ア」に向かっていた。

 並川の表情はすっきりしている。

「亜子の連絡先知ってるの?」

「知らないよ」

「教えてあげようか?」

 並川は笑ってからかってくる。

「いいよ」

「本当に?」

「うん。連絡先ぐらい自分で聞くよ」

 僕は堂々と答えた。

「自分で聞けるの?」

 並川の発言に苛立ちを覚えた。

「聞けるよ。当たり前だろ」

「嘘っぽい」

「うるさい」

 そうこうしている内に「ペチュ二ア」が視界に入ってきた。

「そんな態度取っていいのかな?」

 並川は不敵な笑みを浮かべながら言って来る。

「すいませんでしたね。並川さん」

 この上なく憎たらしく言った。

 これが現在の僕に出来る最大限の抵抗だ。

「分かればよろしい。マツマツ殿」

「……は、はい」

 完敗だ。彼女には勝てる気がしない。

「ペチュ二ア」にようやくたどり着いた。

 僕は心身ともにズタボロだ。

「送ってくれてありがとね」

「……どう致しまして」

「あのさ、ちょっといい?」

「なに?」

 僕は身構えた。何が来てもいいように。

 並川は鞄から「  」を取り出す。

「これ返していい?」

「いいけど。もういいの?」

「うん。だって考えてくれるんでしょ」

「まぁ、そうだけど」

「だから、はい」

 並川は「  」を手渡してくる。僕は受け取った。

「たしかに」

 喫煙所の方から視線を感じる。僕はそっと視線を喫煙所に向ける。

 喫煙所にはこちらを睨んでいる友晴君が居た。

 僕は視線を並川の方に戻す。

「それじゃ、またね」

 並川が手を振ってくる。

「うん。また今度」

 僕は友晴君の視線を気にしながら、小さく手を振り返した。

「バイバイ」

 並川は店に入って行った。

 僕は喫煙所の方に目を向けずに来た道で家に帰ろうと歩き始めた。

 迫って来る足音が後方から聞こえる。

 僕は足音を気にせず、いや、全力で気にしながら早歩きで店から離れようとする。

「おい」

 声が聞こえる。

 僕は気づいていないふりをして、歩みを止めない。

「おい、てめぇ」

 肩を掴まれてしまった。

 僕の必死の努力は水の泡になってしまった。

 僕は仕方なく振り向く。

「はい」

 僕を呼び止めたのはやはり友晴君だった。

「手出すなって言ったよな」

 遠目からでも威圧感がある友晴君だったが、間近で見ると鬼のように怖い顔をしている。

「手出してないでしゅよ」

 恐怖のあまり噛んでしまった。痛恨のミスだ。

「どっからどう見ても手出してるだろ。ちょっと面貸せや」

 任侠映画でしか聞いた事のない台詞を言われた。

「え、嫌です」

「なんだと」

 友晴君は僕の胸ぐらを掴み、鬼のような顔を僕の顔に近づけてくる。

 本日4回目の胸ぐら掴みだ。人生で経験する胸ぐら掴みを今日一日で消費しているようだ。もうどうしたらいいか分からない。

 今、まさに生き地獄だ。生きている心地がしない。

「はい。面貸します」

 僕は胸ぐらを掴まれながら、喫煙所に連行されて行く。

 泣きたくなってきた。何も悪い事してないのに。


 喫煙所に着いたが、まだ胸ぐらから手を放してくれない。

「あのですね。誤解です」

 僕は必死に誤解を解こうとする。

「言い訳すんなよ」

 見事に聞く耳を持ってくれない。

「言い訳じゃなくて事実なんです。彼女から相談を受けてただけなんですよ」

「はぁ?何でお前が」

「……何でって言われても」

「早く言えよ」

「……友達だから」

 この答えしかなかった。

「はぁ?お前が友達って?」

 胸ぐらを掴む力が強くなっている。

「はい。それといい加減手を放してくれませんかね。さすがに腹立ってきました。このこと並川さんに言ってもいいんですか?」

 怒りに任せて言ってしまった。

「……悪い」

 友晴君はそう言って、胸ぐらから手を放した。

 僕のTシャツは掴まれすぎてヨレヨレになっている。

 僕は友晴君の行動を見て感じた疑問を解決する為にかまをかけることにした。

「君、並川さんの事好きだろ」

 言った。僕はたしかに言った。

「何言ってるんだよ。てめぇ」

 友晴君の顔は一瞬にして真っ赤に染まった。

 これほど分かりやすい反応をするとは思わなかった。

「……図星」

 僕はつい言葉がこぼしてしまった。

「うるせぇ。悪いかよ」

 友晴君の事を少し理解した気がする。彼は純粋だ。この上なく透き通っている。同い年とは思えないほど。

「悪くないよ。それにたぶん、周りの人みんな気づいてるだろうし」

「はぁ?そんなわけないだろ」

「いや、もろばれだと思う」

 誰がどう見てもそう思うだろう。もし、違う見方があるなら教えてほしい。

「マジかよ」

「マジだよ」

 僕は即答した。

「……そんなに俺分かりやすいのか?」

「好きな子に嫌がらせする小学生低学年ぐらい分かりやすい」

「そんなにかよ」

 友晴君は頭を抱えた。

「そんなにだよ」

「どうしたらいい?」

「……そんなに好きなの?」

「…………」

 友晴君は僕から視線を逸らし、何も答えない。

「そっか、そんなに好きなんだ」

「俺、まだ何も言ってないだろ」

 友晴君の顔は先ほどよりさらに赤くなっている。

「言わなくても分かるだろ。そんなに顔赤かったら」

 僕はこの人に胸ぐらを掴まれて絡まれていた事が疑問に思えてきた。

「俺、そんなに赤くなってんのか?」

「うん。トマトみたい」

「やばい」

「うん。やばいと思う」

「……はぁ」

 友晴君は溜息を吐いた。

「告白とかしないの?」

「……出来ねぇよ」

 友晴君の顔色は落ち着き、辛そうな表情をしている。

 きっと、告白出来ない理由は交換日記の件だろう。

「何で?」

 僕は理由を確かめる為に訊ねた。

「謝ってない事があるんだよ。10年間ずっとよ」

 僕の思っていた理由は当たっていた。

「謝らないの?」

「そりゃ謝りてぇよ。でも」

「でも?」

「どうしたらいいか分からないんだよ」

「早く謝った方がいいと思うよ。じゃないと誰かに取られるよ」

「はぁ?」

 友晴君は僕の胸ぐらを掴んできた。

「僕は取らないから。絶対に。だから放して」

「あ、悪い」

 友晴君はそう言って、僕の胸ぐらから手を放す。

「じゃあ、二択を出すよ。どっちか決めてね」

「何だよ、いきなり」

「いいから。並川さんに謝るか謝らないかどっち?」

「……それは」

「どっち?」

「……謝りたい」

 本音をこぼした。

「……そっか」

「でもよ。どうしたらいいか分からないんだよ」

「……これ」

 僕はさっき並川に返してもらった「  」を友晴君に差し出す。

「何だよ。この白い本」

「いいから」

 僕は強引に手渡した。

「おい!マジックか?どうなってんたよ」

 友晴君は「  」と僕を交互に見ながら驚いている。

「簡単に言うと、その本は今君だけの本になってるんだ」

「俺だけの本?」

「その本には君が手に入れたい事や叶えたい事が書かれているんだ。だから、一度読んで見て考えてごらんよ。どうすればいいかヒントが載ってるはずだから」

「……お、おう」

「本当はその本僕が働いている古本屋の貸本だから料金がかかるんだけど、今回は特別サービスでただで貸してあげるよ」

「……ありがとう」

「どう致しまして」

「……でも、何でこんな事してくれるんだよ」

「分かんない」

 並川に頼まれたからだけではない。

 説明は出来ないけど、友晴君の力になってあげなきゃと思ったのだ。

「分かんない?」

「うん」

「何だよそれ」

「いいだろ。別に理由なんて……あ、もし並川さんに本気で謝りたいと思ったら泉丸書店に来て。力になるよ」

「……おう。ありがとう」

「それじゃ」

 僕はそう言って、その場から立ち去った。

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