第17話
自転車を停めて、自転車の籠からチーズケーキが入った箱とコーヒー豆が入った紙袋を
手に取り、泉丸書店に入る。
「いらっしゃい」
小山さんはこちらを見ずにレジカウンターで作業をしながら言った。
「高松です。買って来ましたよ」
「お、買って来たか」
「これで良かったんですよね?」
僕はレジカウンターの上にコーヒー豆が入った紙袋を置く。
小山さんは紙袋の中を確認する。
「そうそう。いつも悪いな」
「人使い荒いですよ」
「どうせ暇だろ」
このクソジジイ。
僕は小山さんの発言に怒りを覚えた。
「イラッとする言い方ですね。まぁ、暇ですけどね」
憎たらしく答えた。
「そう怒るな。皺が増えるぞ」
「まだ気にする年じゃないので大丈夫です。これ領収書です」
僕はレジカウンターの上に領収書を叩きつけるように置いた。
「機嫌を悪くするな。仕方ない。特別に色つけて返してやるから」
「本当ですか?」
「嘘はつかんよ。わしは」
小山さんはそう言って、財布から五千札を取り出し、僕の前に置いた。
コーヒー豆代の四千円に千円足した額だ。
僕の小山さんに対する怒りは何処かへ消え、機嫌が良くなった。
「ありがとうございますー」
僕は五千札を取り、財布に入れる。
「店長が飲む、このコーヒーってウンコなんですね」
「ウンコじゃないわ。未消化のコーヒー豆だ」
小山さんは必死に否定する。
「冗談ですよ。でも、本当に美味しいんですか?」
「美味しいから飲んでるに決まってるだろ。今度少しだけ飲ませてやる」
「遠慮しときますー」
僕は丁重に断った。
「お前じゃ滅多に飲めないんだそ」
「大丈夫です。缶コーヒー飲む方がいいです」
笑顔で答える。
「分かってないな」
「分からなくていいですよ」
「……お前はどうするんだ」
小山さんは突然真剣な表情になった。
「急に真剣な顔してなんですか?」
僕は小山さんの急変に驚いた。
「これからの事を聞いてるんだ。このまま、ずっとここでバイトするわけではないだろ」
「……それはそうですけど。シフト一番入ってる僕に言います?」
「お前だから言うんだよ。お前以外の奴には言わん」
「……え」
小山さんの発言に返す言葉を失った。そして、心の中で驚きと嬉しさが何度も交錯している。
「なぜ、あの本の依頼をお前にしか頼まんか分かるか?」
「……分かりません」
理由は分からない。それに今まで分かろうともしなかった。でも、心のどこかで知りたい気持ちがあったのも事実だ。
「わしが知る若者でお前みたいに他人の為に頑張れる奴はおらんと思ってる」
龍聖に言われた言葉が重なる。
周りの人はなぜ僕の事をここまで評価してくれるのだろうか?
僕自身は評価に値する人間だと思えない。
「他の子もやろうと思えばやれると思うんですけど」
「無理だ。他の奴なら途中で投げ出すかもしれないし、相手の気持ちを蔑ろにする可能性もある」
「……相手の気持ちを蔑ろにする?」
「そうだ。お前は相手の気持ちに寄り添える才能がある」
「……才能ですか?」
才能とは五感で感じられるものじゃないのか。例えば、誰よりも速いボールを投げる人、人を感動させる歌声を持つ人、どんな人でも笑わせる人。そう言う物を才能と言うんじゃないのか。
僕は小山さんの言っている意味が理解出来ない。
「そうだ。だから、お前にしか頼まん。それにわしは、あの本を通して、お前が自分自身を活かせる道を探してほしいんだ」
「自分を活かす道……」
「そうだ」
将来について何も考えていなかったのかもしれない。いや、考える事から逃げていた。いくら、将来の理想の自分を描いても、何かの拍子に簡単に脆く崩れていくのを知ってしまっているから。怖いのだ。また、壊れてしまう自分自身が。
「もし、お前があの本を使って仕事をしてみたいと言うなら、わしは喜んであの本をお前に譲るし援助だってしてやる」
「…………」
何を言えばいいかわからない。
「まぁ、一度考えてみろ」
「……はい」
「でも、道を決めてもすぐ辞めるなよ。人手が足りなくなるからわしが困る」
「……本当自分勝手ですね」
「お前が一番知ってるだろ。この店で」
小山さんは笑いながら言った。
「確かに……それじゃ帰りますね。今日シフト入ってないんで」
「あぁ、帰れ」
「お疲れ様です」
僕は普段下げないぐらい深く頭を下げた。その後、頭を上げて、小山さんに向かって微笑んだ。
「キモい」
小山さんは真顔で言った。
「酷いですよ」
僕はそう言って、店をあとにした。
午後2時頃。
普段と同じでこの時間帯は客数が少ない。店内はクーラーの音が響き渡るほど静かだ。
自動ドアが開き、外から並川が鞄を手に持ち、店内に入って来た。
「どうもー来ました」
「本当に来たんだ」
驚きを隠せなかった。冗談だと思っていたから。
「嘘つくように見える?」
「うん」
正直に答えた。だって、見えるのだから仕方がない。
「うわぁーひっどい。あ、もーう、亜子に言いつけてやろうかな」
並川は鞄から携帯電話を取り出す。
「冗談、冗談。言わないで」
「仕方ないな。許してあげよう」
並川は勝ち誇った顔をしながら携帯電話を鞄に戻した。
「ありがとうございます」
僕は低姿勢で接した方が身の為だと思い、ゴマをするような言い方で言った。
「お勧めの本教えてよ」
「了解いたしました」
「何それ。マイブーム?」
そんなわけないだろと言い返してやりたいが、そんなことしたらどんな反撃が来るか分からないから言うのを諦めた。
「お客様だから」
「そう」
並川はそう言って、漫画コーナーに向かおうとする。
「どこ行くの?」
「漫画コーナー」
「お勧めの本を教えてほしいんだよね」
もしかしたら、並川がお勧めを聞きたい本のジャンルと僕が勧めようと思っていた本のジャンルは違うのかもしれない。
「そうよ」
「本を読むんだよね」
僕は心の中で生まれた疑問を解決する為に訊ねる。
「うん」
「もしかして、読む本って漫画?」
「当たり前じゃん。それ以外になんかある?」
並川は自信満々に答えた。
僕の中の疑問の答えはたぶん合っている気がする。並川は小説を読まない。
「小説とかは?」
答え合わせをするかのように恐る恐る質問をする。
「読まない。活字ムリムリ病」
「活字ムリムリ病?」
初めて聞く病気だ。きっと、並川しか発症していない病気だ。
「症状は頭痛、目眩。そして、眠気が襲ってくる」
「はぁ?」
「つべこべ言わずにお勧めの本を教えなさいよ」
並川は僕の手首を掴んで、漫画コーナーに引っ張って連れて行こうとする。
「ちょっと、タンマ」
「何よ」
「活字ムリムリ病の君でも読める本を紹介してあげるよ」
「え、何それ?」
並川は引っ張るを止めた。
「ちょっと来て」
僕はそう言って、並川を貸本コーナーの「 」が置いてある場所に誘導した。
「これだよ」
「 」を手に取り、並川に見せる。
「何これ。真っ白よ」
「そうだよ。僕が持っていたら君からは真っ白い本にしか見えない」
「はぁい?」
「持ってみなよ」
「え、嫌よ。どうせ、あれでしょ。静電気が発生したりするんでしょ」
「違うよ。いいから」
「嫌よ」
「いいから」
「分かったわよ」
並川は僕から本を受け取った。
「……嘘。何これ」
並川は驚きを隠せていない。
「僕にも、どう言う仕組みになってるか分からないんだけど凄いだろ」
「どんなマジックよ。って、なんでアンタが仕組みを知らないのよ」
「だって、それは不思議な本だから」
「言っている意味がわかんない」
「今、君の目で見えている題名と僕が手にした時の題名は違うんだよ。中身もね」
「信じないわよ。マジックじゃなかったらこれはドッキリよ」
並川は疑いの目で睨んでくる。
「だったら試してみる?」
「いいわよ」
「それじゃ、題名と最初のページの内容を少し覚えて」
「……分かった」
並川は本を開き、最初のページを記憶する為に読んだ。
「覚えたわ」
「じゃあ、本を貸して」
「はい」
僕は並川から「 」を受け取る。
「じゃあ、最初のページを見て」
僕は本を開いて、並川に見せる。
「何も書いてない」
「それじゃ、僕が手にしてる時のタイトルを言うよ」
「うん」
「題名はきっかけ。冒頭の文は「君の手にしたい物の答えは君の中にあるはずだ。だが、
君はそれを探そうとしていない」どう?内容は同じかい?」
「違うわ。全く違う。本当にマジックじゃないの?」
「本当だよ」
僕は「 」を並川に手渡した。
「何これ!面白い。これ読むわ」
「どうぞ」
「これ以外の本も紹介してよ」
並川は子供みたいな笑顔で訊ねて来た。
「小説で?」
「ううん。漫画で」
並川の表情は一瞬で真顔になった。
「……はぁ。了解」
僕は溜息を吐き、漫画を紹介する為に仕方なく、並川と漫画コーナーに向かった。
自動ドアが開く。
僕と並川は店の外に出た。
並川は大量の漫画が入ったビニール袋を持っている。
「ありがとう。面白い本紹介してくれて」
「どう致しまして」
「あ、そうだ。連絡先交換しない?」
「うん。いいけど」
並川は大量の漫画が入ったビニール袋を地面に置き、鞄から携帯を取り出した。
僕もズボンのポケットから携帯を取り出す。
「QRコード出して」
「ちょっと待って」
僕は携帯を操作して、QRコードを画面に表示した。
並川はQRリーダーで、僕の携帯の画面に表示されているQRコードを読み取る。
「OK。あとで連絡するわ」
「了解」
並川は地面に置いたビニール袋を持ち上げた。
「それじゃーね」
並川はそう言って、去って行った。
僕は去って行く並川に軽く手を振った。
店内に戻り、レジカウンターに向かう。
「今さっきの子、彼女か?」
小山さんがニヤニヤしながら聞いてくる。こう言うときの小山さんは面倒くさいし、たちが悪い。
「違いますよ。ただの友達です」
「お前に女友達がいたのか」
癇に障る言い方だ。
「いますよ。女友達くらい」
話が脱線しないように怒りを堪えて答える。
「おらんと思ってた」
「何ですかそれ?僕の事どんな奴だと思ってるんですか?」
感情のままに言ってしまった。
「可哀想な奴」
「失礼じゃないですか?」
「寂しい奴」
小山さんは僕に対して失礼な言葉を積み重ねてくる。
「何で付け加えるんですか?」
「残念な奴」
「……分かりました。店長。僕は今後一切おつかいを頼まれても行きません。それでいいですよね」
「え、それは困る。悪かった」
小山さんは態度一変させ、謝罪してきた。
「嫌です」
僕は突き放すように言う。
「許してくれよ」
小山さんが顔の前で合掌して、両方の掌を擦りながら頼んでくる。
「嫌って言ったら嫌です」
「……小遣いやるから」
「いくらですか?」
「五百円」
少なすぎる。
「話にもなりませんね」
「千円」
もう少し揺すればいい額になるはずだ。
「誠意って言葉知ってますか?」
「あぁぁ!分かった。三千円ならどうだ」
「……いいでしょう。許してあげます」
時給三時間分を数分で手に入れる事が出来た。
「面倒くさい奴だ」
小山さんがボソッと言い捨てた。
「何か言いました?」
「何も言っとらん」
「……そうですよね。あとでお願いしますね」
僕はそう言って、業務に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます