第10話
自転車を走らせ、泉丸書店に向かっていた。
河川敷グラウンドの方からは、バットで軟式ボールを打った金属音と子供達の声が聞こえる。
僕は自転車を停めて、グラウンドの方に視線を送った。
「あれ、あの人。この前も居た人だ」
この前すれ違った大柄な男がグラウンドの外から子供達を見ていた。
大柄な男は子供達を見るのを止め、階段を登り、僕の方にやって来た。
「こんにちは」
僕は男に挨拶をした。すると、大柄な男は軽く会釈で答えた。
男は寂しそうな表情をしながら立ち去って行った。
泉丸書店に戻り、小山さんにおつかいの品を渡し、仕事に戻って2時間ほどが経った。
僕はレジカウンターで本の仕分けをしていた。
入り口の自動ドアが開き、男が入って来た。
「いらっしゃませ」
男を見ると、河川敷グラウンドに居た大柄な男だった。
「……久しぶりに見たな」
小山さんは大柄な男を見て、言った。
「常連さんだったんですか?」
「違う……いい選手だったのになぁ。彼のプレーが脳裏に浮かぶよ」
「いい選手?」
「覚えていないのか。東都ジャガーズの何でも屋、江頭剛を」
「……江頭剛。聞いたことがある気がします。ってことは、あの人は元プロ野球選手」
名前には聞き覚えがある気がする。野球ゲームで使用した事があるような気もする。
「あぁ、そうだ。不運の名選手、江頭剛選手だ」
「何で引退したんでしたっけ」
「私の口からは言いたくない」
「え、何でですか?」
「可哀想過ぎるんだよ」
小山さんの表情は普段では想像できないほど辛そうだった。
「……どう言う事ですか?」
「ファンに愛され、ファンに裏切られたと言えばいいかな」
「ファンに愛され、ファンに裏切られた?」
「………………」
小山さんは黙り込んでしまった。
僕もそれ以上は聞けなかった。
僕は本の整理をしながら、時折、貸本コーナーにいる江頭さんの後ろ姿を見つめていた。
貸本コーナーにいる江頭さんは「 」を手に取り、読み始めた。
江頭さんの背中はページを捲る毎に、震えている気がする。
江頭さんは「 」を読み終え、本を閉じて、深呼吸をして息を整え、振り返り、レジカウンターにいる僕の方に向かって来た。
「あのーすいません」
江頭さんが話しかけてくる。
「はい。どうされましたか?」
「この本の最後に書かれている事って頼めますか?」
「大丈夫ですけど、一度持ち帰って考えてもらった方がいいと思います。お金もかかりますので」
「持ち帰っても気持ちは変わりません……だから、お願いします」
江頭さんは頭を下げて懇願してきた。
「……でも」
「受けてあげなさい。私からも頼む」
僕は振り向き、小山さんを見た。
小山さんは真剣な顔をしている。
「……店長。分かりました。引き受けるので顔を上げてくれませんか?」
「あ、ありがとうございます」
顔を上げた江頭さんの瞳は赤くなって、頬に涙がこぼれていた。
「それじゃ、こちらへ」
僕はそう言って、江頭さんと一緒に事務所に向かった。
事務所の中央にある机の両側に置かれているソファに僕と江頭さんは向き合って座っている。
「まず、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「……江頭剛です」
「江頭さんですね。では、ご依頼はどう言った内容ですか?」
「キャッチボールがしたい。息子と一度だけでもいいからキャッチボールがしたいんです」
「息子さんとキャッチボールですか……」
「……はい」
「すいません。失礼な質問だと承知でお伺いしますが、なぜ息子さんとキャッチボールが出来ないんですか?……親子なんですよね」
僕は江頭さんの怒りの琴線に触れないようにとても気を遣いながら訊ねた。
「……それは私が最低な野球選手で、最低な父親だからです」
江頭さんの言葉は僕の胸に大きくのしかかってきた。
「え?」
「私は過去に取り返しのつかない事をして、プロ野球界から追放されました。そして、息子が生まれる前に生まれてくる子供と妻を守る為に離婚をしました。だから、息子は私が父親である事を知りません」
「…………」
言葉を返せない。どんな優しい言葉を選んでも、それは江頭さんを傷つけてしまう。
「妻と別れた直後は子供には会わないと心に誓っていました。けれど、別れた妻から、息子が野球を始めたと聞いた日から、日に日に気持ちが揺らぎ、ついには息子が練習しているグラウンドに向かってしまってたんです。駄目だとは分かっているのに」
「……江頭さん」
僕には江頭さんの気持ちを全て理解は出来ない。なぜなら、江頭さんの気持ちは江頭さんだけの物だから。でも、心に寄り添い、少しでも、江頭さんの支えに、希望に答えたいと思った。
だって、これほど葛藤している人に何も出来ないのは自分自身が悔しい。
「どんな形でもいいんです。一度だけ……一度でいいから、息子とキャッチボールがしたい。させてほしいんです……だから、どうかお願いします」
江頭さんは、立ち上がり、僕に頭を深く下げた。
「……分かりました。だから、顔を上げてください」
「……本当ですか?」
江頭さんは、顔を上げて、声を震わせながら言った。
「はい。絶対にキャッチボール出来るようにします。だから、少し時間をください」
「本当に、本当ですか?」
「はい。本当に本当です。必ず」
僕はそう言って、江頭さんの手を掴んだ。
「……ありがとう……ありがとう」
江頭さんは何度も、何度も、頭を下げて言った。
自宅に帰宅して、自分の部屋のパソコンで江頭さんの事を調べていた。
江頭さんが起こした事件は、暴言を吐いてきたファンに暴力を振るった傷害事件だった。
その頃のネットには、
「死ねよ。犯罪者」
「プロ野球を汚すな。クズが」
「人間的に終わってる。消えろ」などと様々な読むに耐えない書き込みがされていた。
僕は江頭さんがこんな事件を起こすような人だとは思えない。だから、理由が知りたい。
僕は一度、江頭さんの事を調べるのを止めて、スポーツニュースを見始めた。すると、
龍聖のニュースがあった。
ニュースの題名は「大学日本代表の4番。川上龍聖。圧巻の三打席連続ホームラン」と
書かれていた。
僕は気になり、そのニュースを読むことにした。
ニュースの内容は、リーグ戦の試合の結果だった。龍聖は5打数4安打3本塁打1盗塁と言う、ゲームみたいな成績を残していた。それに、ホームランの三本の内二本は、センター方向のホームランだった。
練習に付き合ってやったかいがある。自分のおかげと思えば、優越感にも浸れる。
「……あ、そうだ」
龍聖のニュースを見て、いい案を思いついた。
僕は、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、龍聖に電話を掛けた。
「もしもし、川上です」
龍聖が電話に出た。
「もしもし、高松だよ。頼みたい事があるんだけど」
「頼みたい事?言ってみろよ」
「来週の日曜日。江戸前ライオンズの練習に行こうぜ」
「え、いいけど」
「詳細はまた後日連絡するから」
「お、おう」
「絶対に空けとけよ。それじゃ、切るぞ」
僕はそう言って、電話を切った。
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