第7話

日差しが強い。

 熱に体力を奪われているのが分かる。

「熱いー」

 生えている木々の影で少しはましに感じるかと思っていたが、さすが猛暑日。そんな甘い考えを意図も簡単に捻り潰してくる。

 木陰に一度入り、地面に座って、リュックの中からスポーツドリンクが入ったペットボトルとタイムカプセルの場所が記された地図を取り出した。

 地図を地面に広げ、スポーツドリンクを飲みながら場所を確認する。タイムカプセルが埋まっている場所まではまだ距離がある。

 自然と大きな溜息が漏れる。夏を舐めていた。夏が苦しいものだと言う事を忘れていた。

 僕は今日この山に夏の恐ろしさを再確認させられた気がする。

 僕は立ち上がり、ペットボトルをリュックに戻し、地図を小さく畳んで、ズボンのポケットに入れ、再び歩き始めた。

 立花さんが書いてくれた地図には、タイムカプセル周辺の木に×印をつけていると書かれている。

 僕は歩きながら、一本、一本、木を確認する。しかし、中々、×印が書かれた木が見つからない。50年も前の事だ。その×印は消えている可能性の方が高い。

 途方に暮れそうになる。だが、逃げ出す事は出来ない。立花さんと奥さんとの思い出のタイムカプセルを見つけるまでは。

 僕は折れそうな心を鼓舞しながら、×印が書かれている木を探し続けた。

「もしかして」

 ×印が書かれた木を発見した。

 僕はリュックを地面に置き、リュックから小さなスコップを取り出し、×印が書かれた木の周辺を掘り始める。

「結構硬いなー」

 力を入れて掘るが中々進まない。木の根っこが邪魔したりして、思ったように掘れないのだ。

「何されてるんですか?」

 背後から女性の声が聞こえる。

 僕は振り向き、幻聴じゃないか確認する。

「こんにちは」

 幻聴ではなかった。女性が立っていた。

「こ、こんにちは」

「何されてるんですか?」

「えーっと、探し物です」

「探し物?」

「はい。知り合いのおじいさんのタイムカプセルを探してるんです」

 仕事でタイムカプセルを探しているとは言い辛いし、説明するのには手間がかかる。

「そうなんですか……」

 女性は長袖のジャージ姿で、眼鏡をかけている。

 キャップを被っていて、後ろ髪は括って、キャップの後ろの穴から出している。

「手伝ってもいいですか?」

 予想もしない言葉が飛んで来た。

「いや、ご迷惑になると思うので大丈夫ですよ」

 気持ちは嬉しい。けれど、見ず知らずの人に一緒に探してもらうのは気が引ける。

「お願いします……駄目ですか?」

 女性は僕に歩み寄り、力強く言った。

「え……わ、分かりました。それじゃ、お願いします」

 勢いに負けてしまった。押しに弱いのは僕の悪い所だ。

「はい」

 女性は笑顔で返事をした。

「これ使ってください」

 僕はリュックから、予備のスコップを取り出し、女性に手渡した。

「ありがとうございます。どこを掘ったらいいんですか」

「この木の周辺をお願いします」

「分かりました」

 僕と女性は、×印が書かれた木の周りを掘り始めた。

 やはり、一人で作業するより捗る。一人なら1時間かかるのが半分の30分で済む。

「結構掘りましたね」

 女性はそう言って、ジャージの左腕の方を捲くり上げ、手首に付けているテニス選手が使用するような長いリストバンドで顔の汗を拭った。

「……そうですね」

 顔には出さないが焦っていた。これだけ掘って出てこないなんておかしい。

 僕は焦りを振り払うかのように、スコップで地面を掘り続けた。すると、カチンと金属と金属が当たる音が聞こえた。

 僕は確かめるようにもう一度、音が鳴った場所をスコップで掘る。

 再び、カチンと金属と金属が当たる音が聞こえる。

「なんかある」

「え、本当ですか」

 僕はスコップを近くに置き、音がする場所の土を素手で払った。

「あ、あった」

 土を払った場所には長方形の金属の箱が埋まっていた。

「やった!」

 女性は嬉しさのあまり飛び跳ねている。

 僕はタイムカプセルかどうかを確かめる為に地面から金属の箱を取り出し、蓋を開けて、

中身を確認する。

 箱の中には手紙と大きな茶封筒が入っていた。

 僕は茶封筒を取り出し、ひっくり返して裏を見る。

 茶封筒の裏には「50年後の稔さんへ」と消えかけの字があった。

「間違いない。これで間違いないです」

「よかったですね」

 女性は微笑んだ。

 僕はどこかでこの女性と同じような笑顔を見た事がある気がする。

「はい。手伝ってもらってありがとうございます」

「いえいえ」

「何かお礼させてください」

「大丈夫ですよ。私が手伝いたいってわがまま言ったんですし」

「……でも」

「お気になさらず。あ、よかったら、これ使ってください」

 女性はズボンのポケットからハンカチを取り出し、僕に手渡した。

「ありがとうございます」

「土を戻すのも手伝った方がいいですか?」

「いえ、それは僕がしますので」

「そうですか。それじゃ、私はこれで失礼させていただきます」

「……はい」

「それじゃ、失礼します」

「ありがとうございました」

「また、チャチャで会えるといいですね」

「……チャチャ?」

 女性は微笑んで、山を降りて行った。

「チャチャ……あ!」

 思い出した。眼鏡と髪の毛を束ねていたので気づかなかったが、きっと、女性はこの前コーヒー豆屋「チャチャ」に居た女性だ。

 女性の正体に気づいた途端、なぜか僕の心臓の鼓動は速くなった。


 茜色の空。もうすっかり夕方だ。

 僕は山を降り、立花さんが待っているデパートタカミヤに向かっていた。

 足取りが重い。どんどん歩く速度が遅くなっているのが自分で感じられる。けれど、足に力を込めて、鉛の様に重い足に鞭を打ち、歩く速度を速めようとする。速く、速く、立花さんにタイムカプセルを届けたいから。立花さんの喜ぶ笑顔が見たいから。

 ようやく、視界の先にタカミヤが見えた。

 僕は残りの体力を振り絞り、走る。

 足がもつれそうになってこけそうになる。足の痛みがひしひしと僕を襲う。だけど、そんな事どうでもいい。速く、速く。このタイムカプセルを立花さんのもとへ。その一心が僕の身体を突き動かす。

 タカミヤに入り、立花さんが居るであろう休憩場に向かった。

 立花さんは休憩場のベンチで座っていた。

「立花さん。見つけましたよ」

 立花さんが僕の方を向く。

 僕はタイムカプセルを見えやすいように掲げた。

「ほ、本物かい?」

 立花さんの涙腺は今にも崩れそうになっている。

「はい。間違いないです」

「あ……あぁ」

 立花さんは立ち上がり、杖をつくのも忘れて、僕のもとへ向かって来る。

「どうぞ」

 タイムカプセルを立花さんに渡した。

「……あ……ありが……とう」

 立花さんはタイムカプセルを抱き締めながら、人目もはばからず、涙を流した。

「その言葉はまだですよ。中身を確認してからですよ。車に戻りましょう」

「……あ、あぁ」

 僕はベンチに置いてある立花さんの杖を取り、立花さんと一緒に駐車場に停めてある車へ向かった。


 ズボンのポケットから車の鍵を取り出し、車のドアを開けた。

 僕と立花さんは車の中に入り、座席に座る。

 座席に座った途端、足の疲れが引いていく。

「立花さん。中身を確認してください」

 立花さんは頷き、タイムカプセルの蓋を開け、中に入っている手紙と大きい茶封筒を取り出した。

「……これで間違いない」

「よかったです」

 立花さんは、茶封筒の封を開けて、中に入っている物を取り出す。

「……これは」

「それは何ですか?」

「私が書いた漫画。妻に初めて見せた漫画だよ」

 茶封筒に入っていたのは、漫画の原稿だった。

 立花さんは原稿を捲っていく。すると、原稿の間から二つ折りの紙がポツリと床に落ちた。

 僕は紙を拾い、立花さんに渡した。

「ありがとう」

 立花さんは二つ折りの紙を広げた。

「……こ、これは」

 立花さんは、紙に書かれている事を読みながら涙を流している。

「何が書いてあったんですか?」と訊ねる。すると、立花さんは紙を手渡してきた。

「読んでいいんですか?」

 立花さんは首を縦に振る。

「ありがとうございます」

 僕は手渡された紙を読み始めた。

「稔さんへ

 貴方は私と結婚する為に夢を諦め、全てを捨てました。この作品も。けれど、どうしてもこれだけは失いたくないから、ずっと隠し持っていました。だって、私が貴方を好きになったきっかけだから。私は貴方と一緒に居れて本当に幸せ者です。ありがとう。貴方の妻であり、世界一の貴方の作品の愛好者より」

 今まで体験した事のない感情が涙腺を刺激し、止めどなく涙がこぼれる。

 人が人を想う気持ち。人が人の為に何かを犠牲にする決意。想い出を無くさないように

隠し抜く健気さ。全てが胸を打つ。そして、その行為達が思いやりなのかもしれない。

 僕は涙を流す立花さんと、奥さんの書いたメッセージを見て、そう思った。

「ありがとう」

 立花さんは涙でぐしゃぐしゃの顔で、優しく微笑んだ。

「……はい。喜んでもらえて嬉しいです」

 僕は涙を拭い、笑い返した。


「着きましたよ」

 僕はそう言って、立花さんの家の前で車を停めた。

「ありがとう」

 車のドアを開けて、外に出て、助手席の方に行き、ドアを開けた。

「どうぞ」

「すまないね」

「いえいえ」

 僕は立花さんの腕を掴み、車からゆっくり降ろした。

 立花さんは、助手席に置いたタイムカプセルを手に取った。

 僕は両方のドアを閉め、立花さんと一緒に家の玄関前へ向かった。

「それではこれで依頼終了です。お手数なんですけど、本だけ返してもらえませんか」

「あぁ。ちょっと待ってくれ」

「はい」

 立花さんはズボンのポケットから、鍵を取り出し、玄関のドアを開けて中に入った。

 僕はふと、空を見上げた。

 空はいつの間にか黄昏色に変わっていた。

 今日一日、とても濃い一日だった気がする。きっと、忘れられない一日になるだろう。

 僕は色々な感情を吸い込み、大きく息を吐いた。

 ドアが開き、家の中から立花さんが現れた。

「本当に君にはお世話になったよ」

「そうですかね?」

「そうだよ。これを」

 立花さんから「  」を受け取る。

「はい。確かに受け取りました」

「あと、これも」

 立花さんは何かが入った紙袋を僕に手渡した。

「え、何ですか?」

 僕は手渡された紙袋の中に入っている物を取り出し確認する。

「……これって」

 紙袋に入っていたのは、タイムカプセルに入っていた漫画の原稿だった。

「君が見つけてくれた物だよ」

「こ、こんな大切なもの受け取れませんよ」

「受け取ってくれないか」

「でも」

「頼む。君に読んでほしいんだ」

「……いいんですか?」

「いいんだ。私には手紙がある。私はこれだけで充分なんだ」

 立花さんはズボンのポケットから原稿に挟まれていた紙を取り出して、その紙を見つめながら言った。

「それに漫画は読んでもらうものだから」

「……本当にいいんですか?」

「あぁ」

 立花さんはニコッと笑った。

「それじゃ、読ませていただきます」

 僕は原稿を受け取った。

「本当に今日はありがとう」

「はい」

「また店に行くよ」

「是非来てください」

「それじゃ」

 立花さんは、家の中に入って行った。

 僕はドアが閉まりきるまで、深くお辞儀をした。

 お金では絶対買えない宝物をもらった。

 僕は思う。いくら高価な物を手にしたとしても、その物に「想い出」がなければ宝物にならない。そして、逆に他人から見たらガラクタに見える物でもその物に「想い出」があれば宝物になる。「想い出」こそが重要なのだ。それをこの漫画が教えてくれた。

 僕は顔を上げて、車に戻り、助手席に紙袋を置き、ハンドルを握り、アクセルを踏み、

車を発進させた。

 車窓から見える外の風景は、普段と少し違うように見えた。


車を泉丸書店に返し、自転車で家に帰宅し、ベタベタな汗をシャワーで洗い落とし、ふらつく足で階段を上り、自分の部屋のベットに倒れ込んだ。

 疲れが襲って来る。身体中のいたる所が痛い。普段、運動をしていないツケが周ってきた気がした。

 身体を起こし、机の上に置いてある紙袋から、立花さんの漫画を手に取り、壁を背もたれにして、読み始めた。

 漫画の内容はタイムトラベルものだった。

 主人公が未来に行き、ヒロインの病気を治す特効薬を手に入れる話。

 はっきり言って、お世辞でも上手いとは言えない。けれど、味があり、胸を打つものが

あった。

 立花さんの奥さんが立花さんに惚れたのもなんとなく理解が出来る。それに優越感もあった。この作品を現在読めるのは僕だけなのだと。

 僕は紙袋に漫画を入れて、立ち上がり、勉強机の棚に閉まった。誰にも捨てられないように。そして、ベットに戻り、目を閉じた。

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