第二章 ホタルと花火とひまわりと②

 唸りながらPCと向き合っていれば、玄関ドアの前で足音が止まる気配がする。安いアパートだから通路の音がよく響くのだ。


(諫早いさはやくんかな……?)


 諫早は、彼の春告鳥はるつげどりとなることを告げてからというもの、度々螢の部屋を訪れていた。

 祓い屋はいち早く葉脈憑きを見つけるために日夜巡回をしているらしく、春告鳥である螢にも付き合えという。断り切れずに渋々街に繰り出してはひたすらにふらつき回る日々が続いていた。

 夏も盛り。気温は例年以上の右肩上がりで、螢の体力を順調に奪っていった。


(早まったよなぁ……)


 何が、と問われれば、春告鳥になると了承したことをだ。

 相変わらず螢には春告鳥の自覚もないし、巡回はシンプルに面倒くさい。葉脈憑きを鎮めたというのもやはり諫早の勘違いの可能性が高いと思っている。あの夜は、螢も完全に空気にのまれていた。

 魔が差して一度居留守を使ったことがあるが──螢がいなくても雫久しずくたまきと巡回に行くだろうと──数時間後に買い出しに外に出ようと玄関ドアを開けてみれば、ころりと転がってきたのは──諫早だった。どうやら、ドアを背に座り込んでいたらしい。


「あ! センセーようやく起きた」


 てっきり責められるかと身構えたが、諫早は眉を下げてふにゃりと笑った。

 まるで、迷子が親を見つけた時のような。はぐれた子犬が飼い主を見つけた時のような。


「ごめんね……」


 向けられた笑顔に、胸を押さえる。激しい罪悪感に苛まれた螢は二度と居留守は使うまいと誓った。

 螢は重い腰を上げ立ち上がったが──しかし、がちゃがちゃと鍵の刺さる音にすぐに諫早ではないと悟る。この部屋の鍵を持っているのは、螢を除けばひとりしかいない。


「息災か」

「──父さん」


 視線の先、螢の父である小鳥遊たかなし日々季ひびきがいた。全身が黒一色で統一された服装の上、この時期に不釣り合いな長袖を着ているからよく目立つ。悪い意味で。


(不審者扱いで通報されてないといいけど……)


 スーパーに寄ってきたのか、その両手には中身の詰まったビニール袋が握られていた。駆け寄った螢は荷物を受け取りながらも、唇を尖らせてみせる。


「もー、来るなら来るって一言連絡してよ」

「少し痩せたか? どうせそうめんだの豆腐だのばかり食べてるんだろう。倒れるぞ」


 螢の小言を肩を竦めて流し、日々季は勝手知ったるといったていでテレビ脇に畳まれていた座椅子を取り出して座った。冷蔵庫にしまう必要がある食材を見繕う螢を眺め、あごをしゃくる。


「ほら、それで何か作れ」

「材料買ってくるだけで作るのは俺だもんなぁ。たまには父さんがなんか作ってよ」

「わかった、任せろ」

「ごめん嘘だよやめて? 家事になったら住むとこなくなる」

「なぜ火が出る前提なんだ?」

「実際に火を出すからだよ!」


 立ち上がり狭いキッチンへ足を向けようとする日々季の前に注いだ麦茶を差し出してそれを制す。

 日々季の不器用さは目を瞠るものがあり、キッチンに立たせればまず間違いなく火が出る。実家と違い部屋に消火器の類いはないのだから勘弁してほしい。しかしそのおかげで螢の家事能力は劇的な進歩を遂げたのだから、人生どう転がるかわからないものだ。


「ねぇ、暑いでしょ? 脱げば?」

「いらん」


 服貸すよ。そう言ったが、日々季は首を横に振った。

 日々季は身体や腕に火傷のような痕があり、夏場であろうと肌を出すことを嫌う。息子の自分しかいないのだからいいだろうと思うのだが、本人が望まないのだから仕方ない。代わりに冷房の温度設定を下げてからキッチンに戻り、頭の中で食材と相談しながら昼食の献立を組み立て始めた。


        ***


 久方ぶりに父に会えた嬉しさはあるが、夏バテの気怠さは変わらない。なるべく簡単に、それでもって日々季が納得するボリュームの献立を考えた結果、卓上には豚しゃぶと夏野菜をたっぷり乗せた冷やしうどんと、アボカドにキムチを合わせた和え物。砂糖がたっぷり入った甘い玉子焼き──小鳥遊親子の好物だ──が並べられた。


「仕事はどうだ?」

「……ぼちぼちです」


 どういったツテかは未だにわからないが、今の出版社を紹介してくれたのは日々季だ。だからこそ、早くヒット作のひとつでも日々季に報告して胸を張りたいところだが、現実はなかなかに厳しい。


「ところで、毎度のことながらもう少しセキュリティのいいマンションに住めないか? せめてオートロックのあるマンションにしろ」

「俺の収入じゃあこれが限界なんだよ……」


 唇を尖らせるが、葉脈憑きに襲われた経験を思うと、日々季の言葉にも一理ある。だが、悲しいことに金がない。


「金なら出してやると言ってるだろう。何度も言わせるな」

「やだって言ってるじゃん、何度も言わせないで。この年で親にお金出してもらうとかないよ」


 螢の正論に、日々季は小首を傾げた。そしてやおら立ち上がると、冷蔵庫を開け放つ。


「酒を買う金はあるのにか?」

「やめて俺の酒を捨てようとしないで! 人生の楽しみが!」


 ずらりと並ぶ缶ビールにワイン、地酒の類いに手を伸ばす日々季を宥め止めながら、螢は眉を下げた。


「心配……してくれてるのはわかってる、から……もう少し、頑張らせて?」


 その言葉にかすかに口角を上げた日々季は螢の頭をぶっきらぼうに撫でると、冷蔵庫を閉めて席に戻り再び腰を下ろした。おもむろに食事を再開し出す日々季の姿に胸を撫で下ろした螢は気づかない。


『──この夏、夏凪流いけばな展の開催が決定しました!

天才華道家と誉れ高い家元の夏凪なつなぎ雪彦ゆきひこさんの大作を中心に、若き華道家たちの作品が展示されるということです。

家元は現在二十歳、なんと十二歳の時に夏凪流家元になった経歴を持ち──』


 つけっぱなしにしていたテレビから流れるニュースに、日々季がわずかばかりに瞳を眇めたことには。


        ***


「──あれ、帰るの?」


 このまま泊まっていくのかと思っていたが、食後しばらくして日々季は帰り支度を始めた。


「近いうちにまた来る。次はうなぎでも買ってこよう」


 と言い残し、現金の入った封筒を螢に押しつけて。玄関先での一悶着は日々季が勝利し、螢の手の中には分厚い茶封筒が残された。


(今度日傘でもプレゼントするか……使わないかな、帽子の方がいいかな?)


 いまさら返金しても受け取ってくれるはずもなく、何かしら検索するかー……と頭を掻きながら部屋へ戻ろうとした螢だったが、玄関ドアをノックされ動きを止める。


「父さん? なんか忘れ物──……」


 確認もせず解錠すれば、そこにいたのは諫早だった。何やら顔をしかめている。


「……センセー、ソッコーでドア開けんのあぶねぇって」

「あ、はい。ごもっともです……」


 招き入れられた諫早は、春告鳥は葉脈憑きに狙われやすいのだから云々と口うるさく、肩をすくめて聞いていた螢だったが、長く続くそれにわずかばかり嫌気が差して話を逸らそうとする。


「気をつけるってば……ねぇ、ところできみ、ちゃんと学校行ってる?」

「うん? もう夏休みになったけど」

「あー……もうそんな時期なの? 学生はいいなぁ」

「センセーだっていつも家にいるじゃん」

「悪かったな、引きこもりで」

「んなこと言ってねぇって。つーか話逸らすなよ。心配してんだから」


 手を取られ、まっすぐな視線に晒される。


「あ、ぅ……ごめんなさい……」


 思わず口ごもりうつむいた螢の姿にようやっと溜飲を下げたらしい諫早が、室内を見回した。


「……? ん、誰か来てた?」

「え? あぁ、さっきまで父さんがいたけど。よくわかるね」

「なんかうまそうな匂いする……」


 ぐるぐると腹を鳴らす諫早に苦笑して、螢はキッチンへ向かった。

 サラダうどんと焼き肉だったらどっちがいいかと聞いてみれば、間髪入れずに「焼き肉!」と応えが返る。


「好き嫌いある? アレルギーとか」

「んー? アレルギーはわかんねぇけどたぶんないんじゃねぇかな? 好き嫌いもないし」


 さすが食べ盛りだなと妙な感心をしながらも、よその子どもに手作りの食事を振る舞うのだからと最低限の質問をすれば、ずいぶんと曖昧な返事だった。

──まぁ高校生だし、大丈夫だろう。

 焼き肉に野菜を添えて、残っていたアボカドのキムチ和えと玉子焼き、諫早の胃袋事情がわからずにわかめの中華スープもついでに追加してやる。


「うまそう! これおれの!? やった、いただきまーす!」

「どうぞー」


 促してやれば、割り箸を手にした諫早はうれしそうに口元を緩ませた。大きな口を開けて濃いめに味がつけられた肉を放り込み、白米を掻き込んでいく。


「ねぇ、きみ、結構お金持ちだよね? こんな庶民染みた食事、口に合う?」


 紙銛院かみもりいん高校はお金持ちの通う進学校、との認識がある螢が小さく笑いながら問えば、諫早は首を傾けた。


「親の手作りとか食べた記憶ほとんどねぇもん。センセーの飯めっちゃ美味い」

「……そっか、ありがと」


 からりと笑う諫早とは対照的に、ひくと、螢が口元をひきつらせた。出会ってまだ日の浅い諫早の家庭事情を聞いたことはないが、あまり深くはつっこまない方がよさそうだ。


「つーかおれ落ちこぼれだから、あんま稼げねぇしさ。雫久とか環さんのおこぼれもらってるだけだし」


 そういえば、諫早はたしか祓えないと言っていたか。それは果たして祓い屋と呼べるのだろうか。


「ガキの頃は祓えたんだけどなー。まぁまた急に祓えるようになるかもしれないし。今はセンセーもいるし」


 ごくごくと麦茶を飲み干す諫早に、悲壮感は感じられない。

 けれど、──そんなことがあるのだろうか。

 同世代の雫久や環が祓い屋としての実績を着実に積む傍らで、できるのはフォローばかりで。今しがた螢が思ったようなことを、言葉にして直接ぶつける輩も、おそらくはいたはずだ。


「俺が頑張れば、きみは落ちこぼれじゃなくなるの……?」


 その言葉にしばし瞠目した諫早は、歯を見せて笑った。


「あったりまえじゃん! 春告鳥が相棒の祓い屋だぜ? 誰も文句なんか言わねぇよ」

「……うん、じゃあ、頑張るね」


 まだ、自信はないけれど。

 見ず知らずの葉脈憑きすべてを救いたいと思えるほど綺麗な心は持っていないけれど、自分の頑張りが諫早の評価につながるというのならば、少しは奮起できる気がした。


「……! センセーありがと!」


 瞳を輝かせて破顔する諫早に、可愛らしい子どもだなと思う。感情の発露がストレートで、螢には眩いばかりだ。


「ね、センセーってあれ作れる? オムライスにハンバーグとかエビフライとかナポリタン乗ってるやつ」

「……? お子様ランチのこと?」

「かな? おれ今度それ食いたい」

「いいよ、作ったげる」


 葉脈憑きが現れれば、恐怖で諫早の背に隠れるばかりの螢だけれど、いつか胸を張って春告鳥を名乗れる日がくるだろうか。

 穏やかな空気が流れる中、風に乗り、かすかな祭り囃子の笛の音が響いていた。





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