私の魔法使い③

 お義母さんの言葉は、驚くほどスムーズに私の胸に浸透していく。私は一度手を止めて、彼女の顔を見た。りんねに少し似ている、優しい顔。私は何を言えばいいのかわからなくなりながらも、静かに口を開いた。


「……頑張ってみます。これ以上、りんねのことを傷つけないように」

「そ。これからも、りんねのことよろしくね」

「はい」


 私はまとまった生地をラップで包んだ。冷蔵庫で生地を寝かせたら、一旦作業は一区切りつく。冷蔵庫の扉を閉めると、途端に気まずさが顔を出す。


「さて。お昼ごはんも今のうちに作っちゃうけど、風菜ちゃんも食べてくよね?」

「あ、いえ。さっき家で朝ごはんを……」

「はい、決定! 今日はお父さん仕事だから、三人分だね。よーし、作るぞー!」

「え、えぇー……」


 話を聞いてほしい。

 こういうところ、りんねのお母さんなんだなぁって実感する。彼女も割と強引なところがあるからなぁ。


「はい、風菜ちゃん。ネギ切っといてね」

「は、はい」

「いやー、暑い夏ほどあったかいものが食べたくなるのってなんなんだろうね。あ、今日のお昼はそばね。きつねそば! 豪華でしょ」


 きつねそばは豪華だろうか。

 いや、おあげが入っているから豪華なのかな。


 私はなんとも言えない心地になりながら、彼女に言われた通りネギを刻んでいく。


「親としてはちょっと聞きたいんだけどさ。……りんねのどこが好きなの?」


 お蕎麦を袋から取り出しながら、お義母さんは言う。


「えっ」

「や、ほら。昔から風菜ちゃん、りんねに付き合ってくれてるじゃん? あの子のどういうところが気に入ってるのか、聞きたいなって思ってたんだよね」

「なるほど……」


 恋愛的な意味ではないらしい。私は少し安堵した。

 でも、りんねの好きなところか。いざという時は優しいところとか、私に色んな景色を見せてくれるところとか、からかったら面白いところとか?


 あとはちっちゃくて可愛いところ、ちょっと面倒くさいところ……。

 好きなところを挙げたらキリがないけれど、あえて言うなら。


「隣にいてくれるところ、です」


 ひどく小さな声だった。


「昔から変わらず私の隣で、笑ったり怒ったり泣いたり。そういうところが、好きだなぁって思います」

「そっかー。りんねも風菜ちゃんみたいな可愛い子が傍にいてくれたら幸せだろうねぇ、うんうん」


 ネギを切り終えた時、玄関の扉が開く音が聞こえてくる。

 私はびくりと体を跳ねさせた。


「りんねのお帰りだ。迎えに行ってあげて」

「……はい」


 私は手を洗ってから、足早に玄関に向かった。

 話さなくなってから一週間くらいしか経っていないから当たり前だけど、りんねは前と変わっていない。私は彼女の姿を見て、一瞬胸が苦しくなった。でも、ここで黙っていても仕方がない。

 大きく深呼吸をしてから、私は言った。


「おかえり」


 りんねは顔を上げて、目を見開いた。


「……なんで、ここにいるんですか」


 冷たい声だった。


「本、返しに来たの」

「そうですか」

「あのね、りんね……!」


 りんねは私の横を通り抜けて、廊下を歩いていく。

 何を言えばいいんだろう。どう言えば、許してもらえるんだろう。わからないけれど、今ここで彼女を見送ってしまったら、もう関係を元に戻すことなんてできなくなる。私は意を決して、彼女の手を掴んだ。


「ごめんなさい!」


 彼女はゆっくりと、私を振り返ってくる。その瞳はひどく揺れていた。


「何が、ですか」

「りんねが私を本気にさせるために頑張ってたのに、ずっと本気だったのを隠して一緒にいたこと」

「別に、いいです。それは風菜の自由ですし、もう終わったことですから」

「まだ終わってないよ!」

「終わってます!」


 りんねは私の手を振り解いた。


「今までどんな気持ちで、私と一緒にいたんですか。とっくに本気になれることは見つかってるのに、何頑張って探そうとしてるんだって、馬鹿にしてたんですか?」

「違う。違うよ……!」

「一緒にいるのが辛いって、言ったじゃないですか。こうなっちゃうんです。めんどくさくなっちゃうんです。私が私でいられなくなるんです。……これ以上私を、惨めにさせないでください。風菜の中で、いい思い出として生きさせてください」

「やだ」


 本当の心を口にするのは怖い。だけどこの怖さは、私がこれまで嘘をついていたからこそ生まれた怖さだ。最初から、あなたを独り占めするために本気を出していますって言っていれば。こんなことにはなっていなかったのに。


「風菜の本気になれることは……!」

「聞きたくない! 聞きたくないです!」

「りんねの目を、私だけに向けさせることだよ……」

「……え?」


 言った。言ってしまった。

 もう戻ることはできない。口にしてしまった言葉は、心の奥底に戻すことなんてできないのだ。私はそのまま、彼女の手を引っ張った。彼女の瞳には確かな困惑が浮かんでいる。それが怖くて、俯いてしまう。


「ずっと、昔から。ふうなはりんねのことが好きなの。好きで、大好きだったから、怖くて」

「なんですか、怖いって」

「だって、りんねはふうなに本気を出させるためにいつも頑張ってた。だから、もう本気になれることを見つけてるって知られたら、りんねはふうなに興味をなくしちゃうんじゃないかって、ずっと怖かったの」

「ずるいです、そんなの……! 私に責任を押し付けないでください!」

「わかってるよ! わかってるけど、でも! ……ごめんなさい」

「……風菜」

「だから、嘘ついたの。まだ何にも興味ないですってふりをして、りんねが私から離れて行かないように、私だけを見て、私のことだけ考えてくれるようにしたの。……りんねを、独り占めしたかったから」


 それが私の、今までの全てだ。私はりんねを独り占めして、他の子のことを考えないようにするために本気を出してきた。そして、彼女に嘘をついてきた。それは酷いことで、彼女を傷つけることで、するべきじゃなかったってわかっている。


 だから私は、もう彼女の言葉を待つことしかできない。

 糾弾されても、拒絶されても、文句は言えない。

 りんねがため息をついたのがわかる。


「風菜。好きって言ってください。ちゃんと、目を見て」


 彼女の言葉に促されて、私は顔を上げた。りんねは私のことをじっと見つめている。その瞳には不安の色があるけれど、まっすぐだった。


「好き……」

「はい」

「ふうなは、りんねのことが好き! ずっと昔から、大好き……!」

「私もです。私も、風菜のことが好きです」


 私はぎゅっと彼女を抱きしめた。小さくて、柔らかい。変わったようで変わっていなくて、やっぱり変わっている。そんな不思議な感覚が、胸いっぱいに広がる。


「……ごめんなさい。色々、めんどくさいことを言ってしまって。私、最近感情が全然制御できてませんでした」

「それはふうなもだよ。ふうなもずっと、めんどくさかった」

「なんか、馬鹿みたいですね。二人して空回って」

「ほんとにね。……ごめんね、りんね」

「いいです。もう、いいですから」


 彼女は私の背中に腕を回して、きゅっと抱きしめてくれる。


「ねえ、りんね。なんでりんねはふうなが本気になったら一緒にいてくれないの?」


 それは、前も聞いたことだ。私が本気になった日に教えてくれるって言っていたけれど、今なら教えてくれるのではないだろうか。


 あの言葉が、ずっと引っかかっていた。

 そして、余計に本気であることは隠さないといけないって決意することになったのだ。


「それは、その。……風菜が、すごいから」

「……うん?」

「風菜はちょっと頑張ればなんでもすぐできるようになるじゃないですか。そんな風菜が本気になったら、あっという間に私じゃ届かないくらいすごい人になって、色んな人に囲まれて、遠い人になっちゃうと思って……」


 彼女の言葉は尻すぼみになっていく。

 何それ。

 そんな可愛いこと思ってたの?


 胸に色んな感情が渦巻く。安堵とか愛おしさとか恥ずかしさとか、本当に色々。この気持ちを全部口にすることができたらって思うけど、心も気持ちも、全て伝えるのは難しすぎる。

 だから私は、笑った。


「ふうなのこと、過大評価しすぎ」

「でも……」

「ふうなはりんねとずっと一緒にいたい。どんなことがあっても」

「私も、です」

「りんね。……キスしてもいい?」

「……ダメです」

「なんで」

「お母さんに、見られちゃいます」

「確かに、そっか。じゃあ、また後で」

「はい」


 私たちはどちらからともなく離れて、手を繋いで歩き出した。すでにキッチンの方からは、お出汁の香りが漂ってきている。


「風菜。ちょっと屈んでください。……お仕置き、しますから」

「えっ。な、なんで!」

「今までずっと、私のこと騙してましたよね? だから、お仕置きです」

「さっき許してくれたじゃん!」

「いいから、早く」


 私は仕方なく、彼女の言う通りに少し屈んだ。

 彼女は私の頬を引っ張ってくる。鈍い痛みに眉を顰めていると、彼女はそのまま顔を近づけてきた。

 そして、よく知る感触が唇に降ってきた。

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