第17話

「ほら、風菜! そんなちんたら走ってたら日が暮れますよ!」

「ぶえぇ。なんで休みの日にランニングなんてしないといけないの?」


 とある休日。私は風菜と一緒に近所の土手を走っていた。近所の学校がよくランニングに使っているこの土手は、一周の長さがちょうど良くて重宝するのだ。


「これが風菜の本気になれることかもしれないじゃないですか! ほら、文句言わないで走ってください!」

「こんなの全然楽しくないよー。ふうな汗かくのきらーい」

「たまには汗かいた方が健康にいいですよ」

「ふうなまだ10代だもん。健康に気ぃ遣わなくても健康でいられるし」

「そんなこと言ってるとあっという間に病気になりますよ」

「その時はりんねがお医者さんになってふうなのこと治してね」

「要求が高すぎません?」


 軽やかに走る私とは対照的に、彼女はぜえぜえと息をしながらゆっくりと走っている。


 もっと体力あると思ったんだけど。昔から色んなスポーツに手を出してはあっという間にうまくなっていたのに。最近はあんまり運動していない様子だったし、衰えてしまったのかもしれない。


 どうしたものか、と思う。

 ランニングをしているところはあまり見たことがないし、もしかしたらこれが本気になれることなのでは? なんて思ったりしたけれど。この様子だと、全然そんなことはなさそうだ。


 彼女がまだあんまりしたことなくて、本気になれそうなこと。

 考えれば考えるほどよくわからなくなってくる。


 結局あの後手芸を勧めてみたのだけど、いまいちな反応だったし。一応布とか綿は買っていたものの、本気になれることではなさそうだ。手芸もいいと思ったんだけどなぁ。


「ほらほら、風菜! もっと頑張ってください!」

「りんね、いつから体育会系になっちゃったの? ふうなそういう熱いノリ好きじゃないなー」

「うるさいです」


 私は彼女の後ろに回り込んで、思い切りお尻を叩いた。ぱん、と軽い音が響く。


 よし。

 今日の私は絶好調だ。間違ってもこの前みたいに急に抱きしめちゃうとか、キスの刑ですから♡ なんて馬鹿げたことを言ったりしない。


 ……うむむ。思い返すだけで顔が熱くなってきそうだ。一体なんなんだキスの刑って。恋人ができたばかりで浮かれている子だって、あんなわけのわからないことは言わないだろうに。


 ていうかなんで私はあんな平然とキスしてしまったのか。

 そもそも風菜に不意打ちでキスされちゃったけど、私ファーストキスもまだだったのに。段々むかついてきた。この品行方正で真面目で皆の憧れである天笠りんねのファーストキスは、あんなサラッと奪われていいものじゃないと思うのだ。

 風菜のばか。あほ風菜。


「お尻触んないでよ、変態」

「愛の鞭です」

「だったら風菜も愛の鞭!」


 風菜は私のお尻に軽く触れてくる。

 なんか触り方がやらしいんだけど。痴漢ですか?


「それ全然愛の鞭じゃないと思うんですけど。やめてください、通報しますよ」

「りんねごはんちゃんと食べてる? お尻薄すぎるんだけど」

「余計なお世話です。セクハラ罪で死刑にしますよ」

「罪重すぎでしょ」


 けらけらと、風菜は笑う。私はため息をついた。


「そんなに心配なら、私のごはん、風菜が管理してみます?」

「うん?」

「毎日私のために、お弁当作ってきてもいいですよ」

「えー、めんどくさい」

「言うと思いました」


 私はくすくす笑った。半分冗談だけど、本当に毎日彼女の作るお弁当が食べられたら幸せだろうな。風菜って料理上手だし。


 私は彼女と肩を並べて走った。

 その横顔は、少なくとも退屈そうではない。汗で前髪がおでこに張り付いて、ちょっといつもと違った感じになっている。どうしてかその横顔を見ていると、幸せだなぁって思ってしまう。そして、微かに胸が高鳴る。


 変だって自分でもわかっているけれど、感情は止められないものだ。

 ずっとこうしていられたらな。

 ……なんて。


「お弁当、毎日作ってあげてもいいよ」

「え。ふ、風菜。土手に生えてる草は食べちゃダメって言ったじゃないですか!」

「言われてないし、食べてないよ?」

「じゃあなんでそんならしくないことを……」

「りんねが条件を飲んでくれるなら、いいかなって」

「条件って?」


 風菜のことだから、碌なことを言わなそうだけど。彼女は私の方を見て、ふわりと笑った。


「敬語、やめてよ」


 その言葉に、私は目を丸くした。


「年長さんまではタメ口だったじゃん。いきなり敬語になっちゃってびっくりした覚えあるし。そろそろまたタメ口になってもいいんじゃないかなーってふうな思うんだけど」

「んー……」


 敬語をやめれば、毎日風菜にお弁当を作ってきてもらえる。それはとても魅力的だと思うけれど。

 私はかぶりを振った。


「やめておきます」

「……なんで。そんなに敬語使いたいの?」

「はい。ずっと昔に、そう決めたんです」


 私が皆に敬語を使い始めたのは、すごくすごく小さい頃。もういつ頃かも思い出せないけれど、あの頃から私は、口にはしなかったけど風菜を本気にさせようって頑張ってきた。でも何をどうしても風菜は本気になってくれなくて、その時初めて自分の未熟さを実感したのだ。


 そして、いつか風菜が本気を出してくれるその日まで、敬語を使おうって決意した。彼女を本気にさせられて初めて、私は成熟できるって思ったのだ。


 なんだか不思議な理論というか、子供っぽいというか。

 何かの漫画に影響されたとかもあるのかな。


 でも、私は決めたことは覆さない主義だ。だからあの日から、ずっと敬語を使い続けている。風菜を本気にさせられなかったら、ずーっとこのままだ。両親にも友達にも、これからできるかもしれない家族にも、敬語で接し続けることになる。


 だけどそれも悪くないんじゃないかなって思う。

 私にとって敬語というのは、風菜と積み重ねてきた思い出そのものでもあるのだ。


「やだ」

「風菜?」

「敬語って距離あるじゃん。いい加減我慢の限界なんだけど」

「そう言われましても……」


 敬語の方がキャラが立っていていいじゃないかと思う。

 実際同い年の子にも敬語使うのって珍しいってことで、色んな人が声かけてくれたりするし。


 私はこれからも敬語キャラで売っていくからそこのところよろしくって感じである。


 ていうか敬語がデフォルトになっているから、今更やめるのは違和感がすごいし。


「じゃあ、こうしよう。今だけでいいから、敬語やめて。やめてくれないと、走るのやめちゃうから」

「え、えぇー……」


 もしかしたら走り続けた先に本気が待っているかもしれないし、ここでやめられると困る。


 風菜はぴたりと立ち止まって、草の上に腰をかけようとしている。

 まずい。このまま座らせてしまったら、そのままランニング終了になってしまいそうだ。でも、もうタメ口だった期間より敬語を使っている期間の方が長いわけで。今更キャラ変するのは、パパママ呼びをお父さんお母さん呼びに変更するくらい恥ずかしいといいますか。


 む、むむ。

 ……はぁ。


「風菜。敬語やめるから、ちゃんと走ってくれると嬉しい……な?」

「うーん。もう一声」

「な、なんですかそれ!」

「敬語。……走るのやめちゃおっと」

「もー! もー、もおぉ! わがままです!」

「牛さんは一人で走ってれば?」

「風菜のばか! いいじゃないですか、敬語くらい! これが私のキュートなキャラなんです!」

「自分で言う?」


 私が可愛いのは周知の事実ですし。

 いや、それはいいんだけど。


「じゃあふうなもりんねに敬語使おうかな。りんねさん、ご機嫌麗しゅう」

「それ、なんか違いません?」

「あら、そんなことありませんことよ」

「うぇ、鳥肌が……」


 変なキャラになるのはやめてほしい。

 風菜はすでに座ってしまっている。

 私は仕方なく、彼女の隣に座った。


「わがまま風菜。ばか風菜。最悪です」

「りんねもわがままじゃん。敬語使うのやめないの、ずるだよ」

「ずるくないです」

「ずるい!」

「どこがですか!」

「敬語のままじゃ、ずっと……」


 ツインテールが風に揺れる。

 それに目を奪われていると、彼女の顔が近づいてきた。反射的に目を瞑ると、柔らかいものが唇に触れる。三度目にもなると、さすがにその感触にも慣れてくる。キスだろうとなんだろうと、今の私を動じさせるには弱すぎる。


 風菜破れたり。

 そう思っていると、何かぬるりとしたものが私の口内に入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る