第四十五話

 散々な目に遭って日本に帰って来て、更に散々な目に遭う。書類作成だ。

「メキシコとコロンビア行ってきました~」で終わればまだ楽なんだがそういうわけにはいかない。俺たちの仕事は、実は書類作成がほとんどだと言っても過言ではない(※俺個人のイメージです)ってくらい、作成する書類が多い。

 しかも仕事は待ってくれない。前の書類が終わらなくても次の事件は起こると相場が決まっている。なーんで俺、警察なんか選んじゃったかなぁ、国土交通省とか農林水産省にしときゃよかった。そっち行っても結局同じこと言ってるような気もするけど。

 なんて思っていたら一番聞きたくない声が俺目がけて飛んで来た。

「おい。友永」

「げ。なんですか」

「『げ』ってなんだ、『げ』って。香港ホンコン行きたくないか?」

「行きたくないです」

「ゴチャゴチャぬかすな、行け」

「朝倉さんが聞いたんじゃないすかー」

「友永くん上意下達って言葉知ってる?」

 朝倉さんの笑顔が怖い。とても怖い。

「香港行ってきまーす」

「あ、ケータイ変えていけ」

「はーい」

 ま、ね。国家公務員なんて公僕ですからね。シモベだよシモベ。その道選んだの俺だしね。泥舟乗っちゃったから仕方ないね。乗る舟はちゃんと選ばないとね。

 廊下へ出るとちょうどトーゴが向こうからやって来た。

 こないだ小学校ぶりに再会してから、やたらと遭遇する。今までどれだけすれ違ってたんだか。

「よ、トーゴ。生きてたね」

「うん、これからまた香港に行かなくちゃならないんだけどね」

「え、香港? 行こ行こ一緒に行こ」

「友永も香港なの?」

「そーゆーこと」

「僕、羽田十五時半のやつで行こうと思ってるんだけど」

 そうだこいつは超軽装備だったんだ。

「俺もそれで行く、こないだのお前見て、軽装備でも行けるってわかったからな」

「パスポートがあればなんにも要らないよ。先に行ってるから、準備できたらおいで。じゃね」

 またもやトーゴはさっさと行ってしまった。あいつってあんなにクールだったっけ?


 羽田に着くと、この間の場所でミルクココアを片手にトーゴが手を振っていた。……ぶっちゃけ彼氏を待ってた彼女みたいな感じで「俺彼氏かよ」ってツッコミを入れたくなったが、あいつは身長も低いし仕草が昔から乙女系だったんで腰に手を回しても違和感なさそうだ。

「ごめん、待たせたな」

「全然待ってないよ。あのままここへ直行してお昼食べて、のんびりウィンドゥショッピングして、ついでにそこでチョコパフェ食べて、コンビニで三種の神器おにぎり買ってきた。友永の分も買っといたよ」

「そりゃどーも」

 俺たちは搭乗手続きを済ませて飛行機に乗り込んだ。トーゴに言わせりゃ大体五時間半くらいのフライトになるらしい。

 彼はさっそく鮭マヨおにぎりを頬張りながら、スマホを操作している。

「何してんの?」

「ホテルだよ。僕は今日中に深圳シンセンに入らなきゃならない。友永は香港だからホテルいっぱいありそうだね。もうとったの?」

「いや、めっちゃ忘れてた」

 慌てて俺がホテルの予約をしていると、「中国語大丈夫?」と聞いて来た。

「うん、一応向こうで常駐してる公安のやつがいるからそいつに頼む。トーゴは?」

「僕は中国語話せるから」

 そう言えばトーゴは中国語と英語とイタリア語とアラビア語とロシア語はペラペラだったはずだ。理系の大学出てたと思うんだが、努力したんだろうな。

「それにしても二度もトーゴとこうして一緒に飛行機乗るなんてな」

「公安と外事が一緒にいるとかありえないよね」

「同じ警備局なのにな。考えてもみろよ、俺たちウエからの指示で組んでんだぜ。前代未聞過ぎて天と地がひっくり返って韋駄天も走れば棒に当たるぜ」

「なにそれ」

 グーに握った手を口元に持ってって笑うトーゴがなんかカワイイ。

「そもそも外事と公安のバディなんて聞いたことねえよ。最後まで非公式なんだろうな」

「うん。ウエも必死だけど表に出すわけにはいかないからね。僕たちで試してるんじゃないかな」

「俺とトーゴが三年一組の隣同士の席で『父と子と聖霊の御名においてアーメン』って一緒にやってた仲だなんて知らんだろうしな」

 笑っていたトーゴが一瞬真面目な顔になった。

「でもきっとバディなのは情報共有だけなんだろうね」


「映像見た?」

 フジワラのことを言ってる。

「ああ、見たけどちょっと遠い監視カメラで分かりにくかったな。でも大体身長百六十センチ体重六十キロ。サングラスにひげはなし。中国系の武術を習得してるな。トーゴに似ててちょっと笑った」

「じゃ、今日からフジワラトーゴってことでよろしく」

「拳法も習えよ。ジャッキー・チェンの映画はいいぞ。なにしろ強いし面白い。ちゃんと視聴者が笑う部分を作ってるんだよな」

「僕がそれやるの?」

 トーゴが肩を竦めた。

「うん、ますますフジワラトーゴになれるじゃん。まー無理だわな。パズル検定1級じゃあなぁ。それより、フジワラからのメールが来たところはないのか」

「あったって警察になんか頼らないでしょ」

「そうだよな。それでロス・チェレスだっけ、ああなっちゃったわけだし。せっかくフジワラ自ら警察に通報したってのに」

「フジワラにやられる前に僕たち警察がまとめてしょっ引けたらいいのにね」

「それができりゃ苦労はしねえや」

 しばらく静かに考え込んでいたトーゴが突然口を開いた。

「ねえ、トロッコ問題ってあるじゃん。トロッコが進もうとしているレールには一人の善良な市民がいる。伏線のレールには世界中のマフィアのボスがいる。分岐器のところには友永が立っている。トロッコには重い鉄鉱石が積んであって、確実にトロッコが通った方は全員死ぬ。友永はその分岐器を切り替える?」

「え? 今善良な市民の方に向いてんの?」

「そう。操作すればマフィアのボスが大勢死ぬ。触らなければ善良な市民が一人死ぬ。見て見ぬふりをしても同じ結果だけど、自分の中には『見て見ぬふりをした』というのが一生残る」

「えー、俺そういうの苦手なんだよな」

「どっち?」

 他の公安のやつが言ってた。

 『外事の中野ってやつは普段あまりしゃべらないけど、ディベートになるとバカみたいに強い。徹底的に相手がぐうの音も出ないところまで追いつめて論破する。しかも広範囲にわたって物知りだから、迂闊なことを言うとガッツリ反論される』

 外事の中野ってトーゴのことじゃん。これはちゃんと答えるまで延々と聞かれる運命だ。

「うーん。俺が運命を左右することはできないから」

「いや、左右するんだよ。これは分岐点だ。友永が彼らの運命を選択する」

「うーん。わかってはいるけど。やっぱり触れないかな」

「見て見ぬふりをするんだね」

「まあ……見逃すことになるかな」

「見逃すんだね」

「トーゴは?」

「迷わずマフィアの方に切り替える」

 俺はちょっと驚いた。トーゴが「迷わず」と言ったから。

「なんで?」

「善良な市民は善良だから。マフィアは善良じゃない。死んでもいいと言うつもりでマフィアやってる。覚悟が違うでしょ。逆に聞くけど友永はどうして見て見ぬふりをするの?」

「ごめん、わかんなかったから」

「わかんなかったら見て見ぬふりをして自分は責任を負わないんだ」

 確かに俺は何も考えてなかったし、責任も負いたくなかった、でもそれを言語化されると耳が痛い。

 ジキル……じゃないよね? トーゴ?

 だが、次の言葉で俺は完全に毒気を抜かれた。

「それが警察っていう組織なんだよね」

 メキシコでガブリエラに言われたな。——警察は事が起こってからでないと動かない。

 やっぱりトーゴはトーゴだった。

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