閑話2 花が再び咲くころに 〜相沢 涼子〜

 第一印象はパッとしない静かな大人の人、だった。


 仲良くなったメンツで五月の連休に尾道で1泊旅行をしようということになり、一応の保護者としてその人は来た。

 実はかなり反対だったけれど、直接話してみて、兄という存在の定義を疑ったのを覚えている。


 今考えれば保護者というのは名目で、陽向が離れたくなかっただけなのだろうけど。

 とはいえちゃんと保護者の役割は果たしてくれたし、居なかったらマジで帰れなかった気はする。旅館はちゃんと別部屋だった。


 暫くして二歳しか離れていないと知り、これまた大層驚いた。いや良く考えたらやっぱり保護者には普通なり得ないと思う。


 その後何度か鈴木家に遊びに行ったときもそう。

 共働きの両親に代わってお茶やらお菓子やらが出てくるかとおもえば、文句の一つも言わずにゴミやらを片付けてくれる。ママかよ。


 女子校という環境も相まって、彼女等・・・が彼に対して特別な感情を抱くのにそう時間は掛からなかった。今でこそ皆ある程度控えているようだけど、当時はかなりの割合で本気だった。そして私にはそれが不気味だった。


 確かにうちの精神年齢小学生以下の愚兄クソ兄貴と全く違う存在なのは理解できる。でもそれはそれとして、あまりにも出来過ぎている・・・・・・・

 周りの熱が高まれば高まるほど、どうにかして化けの皮を剥いでやろうと思うようになっていった。

 今思えば、半分は嫉妬で半分は未知のものに対する恐怖だった。


 中ニの春のある日、意を決して二人きりで会う時間を作ってもらった。メンバーの予定を完全に把握し、お兄さんにも口止めをして、不自然にならない動線を考えて、段原のサティのタリーズで会う約束を作った。

 絶対に逆の誤解を生みたくなかった。唯一誤解しかねない本人にも、直接身の丈を伝えるため、問題は生じない。


 ガチガチに緊張しながら店内を見回すと、さっと顔を上げこちらに向かってくる人を見つける。エスパーかなにかだろうか。


 なんでもない世間話(をしたと思う)をしながら列に並ぶ。彼の番が来てエスプレッソを頼むのを横目にみていたら、今の会話で私が話していたカフェラテを併せて頼んでいた。自然な奢り方に呆気に取られたのを覚えている。サイドはミルクレープでいい? と訊かれ、うなずくしかなかった。


 ふと、店員さんからみたら只のカップルにしか見えないのに気付き、慌てて席を取りに行く。


 暫く待っていると、彼が全てを持ってやって来た。

 唯一の危惧だった陽向のいない、二人きりの空間。

 別に他のお客さんは居たけど、それでもそこは二人の空間だった。


 単なる愛の告白なぞより遥かにとんでもないことをしている自覚はあった。それでも、何故か私は自分を止められなかった。


『わたしの友達を誑かすのはやめてください』


 一字一句たがわず、その時確かに私はこの文章を言った。


 彼は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、しかし苦笑い等で誤魔化すことなく真剣に耳を傾けてくれた。

 それが逆に私を焦らせ、何かに駆り立てられるようにあることないことを話した。


 一頻ひとしきり私が捲し立てた後、少し考えてから彼は喩え話を始めた。


『ペルソナっていう概念は、知ってるかな』


 彼の説に完全に同意する訳ではない、と前置きをした上でわかりやすくかみ砕いて説明してくれた。


 曰く、個人が世界に見せる社会的な顔であり。

 曰く、他者に明確な印象を与えるものであり。

 曰く、人の本質を隠すために作られた一種の仮面であり。


 おおよそ普通の中学二年生の少女にするべきものとは思えない、講義とも呼ぶべき代物を、しかし私の理解力に合わせて開陳してくれたわけだ。

 やっぱりコイツなんなんだろう。当時高校一年生だよな?


 ともあれその話は、非常に私にとって腑に落ちた。

 自分は仮にこの人の仮面を剥いだところで何ができるんだろう。彼女たちに伝えて、はいそうですかと彼女たちは信じるだろうか。仮に、じゃあ信じたからとて何がどうなるのだろうか。


 今更ながらに自分の浅はかさに気付く。そして、それを直接指摘するのではなく私の理解力によって気付かせる、相手への理解力。


 正直ゾッとした。


 この人はどこまで見透かしているのだろう。

 何を見据えて話をしているのだろう。

 私は今、何と話しているのだろう。


 でも。

 逆に、ここまで出来るなら、私に不信感を抱かせないくらいの言いくるめも出来るのではないか。

 そうしなかったのは、一つの彼の誠実さなのではないか。


 こう考えるのも、彼の思う壺なのかもしれない。

 でも、もういいやと。

 少なくとも私の手に負えないことがわかった。

 なら騙されてみようじゃないか。


 悪い鼠かもしれない。

 ハーメルンの笛吹男のようにみんな連れて行かれるのかもしれない。

 でも、子供達が行った先を誰も知らないのと同じように、人の隠された内面など誰もわかりはしないのだと。



 あれから3年。

 育ちきった私達・・の恋心は、未だ月の光を見ぬままここにある。

 咲いた時の鮮やかさに心踊らせながら、私は再び籠を被せた。

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