ロンサム・ラビィ

松岡清志郎

ロンサム・ラビィ

 蝶の数が減っている。



 画面に表示されているデータをにらみつけながら、ごまかしようのない現実に思わずため息をついた。

 そもそも自分で観測しているのだからわかりきった話ではあるが、こうして整然とした数値で突きつけられると流石に心にくる。


 しかもデータ整理を依頼した優秀な同僚は、ご丁寧にこの先の減少予測値まで添付してくれやがっており、いっそうダメージが大きい。


 アオバヌマシジミ。

 全長20mmにも満たない小型の蝶だ。羽表面は暗い銀灰色。そこに星のように金の斑点がとんでいる。陽の光をほんのわずかに照り返して飛ぶ姿に、俺の心は一瞬にして奪われた。13歳の夏から今に至るまでずっと、この恋は続いている。


 標高2,000m以上の湿地帯という、限られた環境にしか住めない貴重な種。現存する個体数は500にも満たないだろう。

 そして俺が今いるこの場所が、世界で最後の彼らの生息地。広大なこの星にたった一カ所残された楽園だ。

 

 希少生物保護観察機構に勤めてから5年。念願叶ってこの蝶の担当に振り分けられた。

 一つの種の、文字通り存亡がかかっているのだから、もちろんプレッシャーは大きい。だが俺がこの仕事を選んだのは、滅びゆく彼らを静観することなどできなかったからだ。


「……ね~、マキノ~」


 緊張の毎日だし、プレッシャーもある。だが……これ以上なく、充実している。

 目下、一番の心配は気候の変動によるヒシイツリガネソウの減少だ。蝶が卵を産み付けるのにあの植物は必須の……。


「マ~キ~ノ~っ。無視するなよぉ……。……ね~ってばぁ~っ!」

「……はいはい、なんだよ」


 モニタから顔を上げて、ベッドに寝転びながら騒ぎ立てる同居人に返事を返す。


 俺の家……兼、アオバヌマシジミの観測小屋は、湿地のほとりに建てられた軽量環境機能建築だ。多数を効率的に住まわせるために、高く丈夫に建てることを目的とした都市部の住居システムとはコンセプトから全く違う。

 最新のバイオディグレーダブル素材を3Dプリンターでこねくり回して作った、おもちゃみたいな家。チョウと環境のストレスにならないよう、外見もよく言えばシンプル、率直に言えば灰色の箱だ。


 ここには現在、俺ともう一人で暮らしている。


「なにしてるのさぁ~。朝からずーっとモニタとにらめっこで」

「普通に仕事だけども……」


 ベッドの上でむくりと身を起こしたそいつ……ユイ・ポーリッシュの質問は、毎度の事ながらあきれ果てるようなものだ。

 だが、そんな風にダル絡みされても不思議とムカつかないのは、彼女の柔らかい雰囲気によるものだろうか。


 真っ白の髪に、同じく透き通るような白い肌。不機嫌を演出するように膨らませた頬に反して、ニコニコと楽しそうに細められている瞳は緋色。

 アルビノかと思いきやそうではなく、彼女の種はこれがデフォルトだ。


「ふーん。……あっ、マキノマキノっ! 見て見て!」

「なに」


 たーいへんっ! と口に手を当てて、大発見でもしたかのように目を丸くしてユイが言った。

 ふわふわした寝間着を身にまとって、芝居がかった動きとわざとらしいセリフ。

 己のツラの良さを自覚しているからこそできる真似だろうが、あいにくこちとら仕事中だ。ユイがどれだけあざとくても、希少な蝶の美しさには敵わない。

 その程度で俺の心は動かないのだ。


「ここに構って欲しそうな、可愛い可愛い兎人種ラビィがいるよ!?」 

「……そうね。いるね」


 前言撤回。若干ムカつく。

 目を輝かせて自身満々に自分を差しながら言う、ふわふわした兎人種ラビィ。残念ながらその姿は賢そうには見えないが……本人の思惑どおり可愛いのは確かだ。これまたムカつくことに。


 そのまま種族の一番の特徴である、長くふわふわの耳をぴょこぴょこと動かしながら、何かを期待するようにこちらを見るユイ。とはいえこちらも慣れているので、とりあえずまた仕事に戻る。


「構って! 欲しそうな! 可愛い! 兎人種ラビィが! い~ま~す~よ~っ!」


 ジタバタとベッドで暴れて猛烈にアピールする兎人種ラビィ。ホコリは舞うわ、使い古したベッドフレームからは異音が聞こえるわ、大騒ぎだ。


 だが俺の愛しのアオバヌマシジミには影響はない。軽量環境機能建築とはいえ、貴重な生育地のほとりに建てるのだ。防音と遮光--どちらも、家の中の刺激を外に漏らさないための設備--は万全だ。

 もともと支給された設備に、憧れの生育地に配属になってテンションおかしくなった俺が、さらに自費のDIYで防音材やらなんやら無茶苦茶に付けたからな。内装の見栄えは最悪だし狭くなったが、この女がいくら騒ごうが蝶には優しい……。


「わぁーっ! 構えーっ!」

「うるせええ! 仕事中なの! ちょっとは待ってるってことができないのか!」

「一秒も待てないから言ってんだよーっ! こっちだって仕事だろー! ちょーちょはいっぱいいるけど私は一人なんだぞーっ!」


 ええぃ、構え構えとうるさいやつだ。

 それに、蝶の500匹はいっぱいじゃねえ。


 仕事をしている時にこんなこと言われれば、なんて面倒なやつだと思ってしまうところだが、こいつの場合はそれだけでない事情もある。……いや、やっぱりその事情を踏まえたとしてもダルい。なんて面倒な奴だ。

 成人女性の所作じゃねえぞ。ツラの良さで全部許されると思うなよ。


 ……だが一応、ユイの名誉のために擁護するならば、彼女の言い分にも一理はあるのだ。

 なぜなら目の前で子どものようにわめく、あの白くてふわふわの同居人は確かに特別。



 彼女はユイ・ポーリッシュ。

 俺の愛しき同居人にして、新進気鋭のカリスマ詩人。


 そして、この星に残された唯一の純血の兎人種ラビィで、我が希少生物保護観察機構が重要観察対象でもある。

 つまりは。



 もはや種族絶滅を待つだけの、兎人種ラビィ最後の一個体だ。




**** 




 ユイ・ポーリッシュの名前は知っていた。聞き覚えがあったくらいだが。


 若者を中心に、爆発的……かは知らないが、少なくとも詩文を愛する層にはかなりの人気を誇り、たしか有名なドラマの主題歌に歌詞提供もしていたはずだ。


 そういう分野に全く触れていなかった俺も名前を聞いたことがあるくらいなのだから、界隈では結構な有名人のはず。

 だが、彼女が純血の兎人種ラビィだということは、極々限られた人間しか知らない。


『キミはなんの研究をしているの?』


 数年前。まだ駆け出しの時に、フィールドワークの合間に立寄った本部でたまたま彼女と出会った。

 白い肌、赤い瞳。大きなキャスケットを被っているせいで最大の特徴は隠れているが、恐らくこれが噂の兎人種ラビィだろうなとは想像が付いた。


『今はフィールドワーク研修で、先輩に付いてシマヒライチョウとツギメアザラシのデータ整理と観測助手をやってますが、専門は蝶です』


 希少生物保護観察機構では彼女と同世代の人間など殆どいないから、もの珍しさもあったのだろう。

 食堂でいきなり隣に座ってきたユイは、その赤い瞳でこちらを覗き込む様に話しかけてきた。


『チョウ? ちょうちょ? なんか、似合わないね?』

『……というと?』

『なんかサメとかライオンとか好きそうだから』


 はっきり言って、この時はいきなり現れたこの白くてふわふわした女が気に食わなかった。

 確かにこっちは種族も相まって目つきも悪いし、身体だってデカい。

 だが、そこまではっきりと言われればイラッとはする。……まぁ、言われ慣れてはいるが。


『……それで、あなたは?』


……今思えば紳士的な対応だな。この面倒くさい兎に対して。


『私? ……ふっふっふ、さて、誰でしょうか?』

『あ、大丈夫です』

『……大丈夫です? 大丈夫ですってなにが?』

『あ、いや普通に。一応聞いとかなきゃ失礼かなって思って聞いただけなので。ダルそうなんでもう大丈夫です。お疲れ様でした』


 仕事で喋らなければならないのならともかく、俺は知らん人との絡みが一番苦手なのだ。今でもこの対応になると思う。

 だが、かのユイ・ポーリッシュはそんなリアクションが気に入らなかったようで。


『……かっちーん。これだけ可愛い女の子に話しかけられて、その塩い反応はどうなのかな?』

『やばっ。口で「かっちーん」て言ったこの人。成人してますよね?』

『はぁ~? ダメなんですかぁ? 成人女性がコミック的にオノマトペ発声しちゃいけないんですかぁ? そんな法律あるんですかぁ?』


 ……いやダルいって。今思い返してもやっぱ初対面でこれは面倒だろ。


『……まぁいいや。私は寛大だから許してあげよう。感謝してね、マキノ・ダイドージ』

『ん? 何で俺のこと知ってんだ。あのユイ・ポーリッシュが』

『あっれぇ? やっぱり私のこと知ってたんじゃん!』


 今思えば、あの時が彼女の……ユイ・ポーリッシュのどや顔を見た最初だった。それ以降、何度も何度も見せられることになるその表情のまま、彼女は自分のキャスケットに手をかけて。


『それじゃ、もう自己紹介は不要だね。……それじゃ、これからはお友達ってことで。よろしくね、マキノっ』


 そう言いながら彼女が勢いよく帽子を脱ぐ。

 そこには今や世界に一対だけになってしまった、純血の兎人種のふわふわで長い耳が、ぴょこんと機嫌良さそうに揺れていた。




****




「えへへ、こっちこっち。マキノこっち来て?」


 しぶしぶ投影画面を落とした瞬間に、ユイが嬉しそうに手招きしてくる。

 ……まぁ、勤務時間なんて概念はそもそも俺たちの仕事にはない。

 完全成果主義と言ってしまえば厳しそうに思えるが、そもそもここで働いている奴なんて、仕事とプライベートの境が曖昧になっているような奴ばっかりだ。

 どいつもこいつも、寝ても覚めても自分の愛しの生物のことばかり考えている。俺も含め。


「ユイさんはさぁ、もういい大人なんだからさぁ……。あんまり甘えん坊なのもどうなんですかね?」

「はぁ~? 大人が甘えん坊じゃダメなんですかぁ? そういうのって古い価値観だから、アップデートしてかなきゃだめだと思いま~す。……ほら、ほらここっ! こ~こ~っ」


 ……ほこりが舞うからベッドを叩くな。

 という小言はぐっと我慢して、指示された場所……ユイの隣に座る。腰を落ち着けた瞬間に、白ウサギがぴょんと膝の中に収まった。


「まったくマキノは……。大事な大事なたった一人の兎人種ラビィが、寂しい思いしてるっていうのに……」

「寂しいったってねえ。ユイさん。俺、自分で言うのもなんだけど、結構頑張ってると思うんだけども」


 頬を膨らませながらニヨニヨ笑うという、なかなか器用なことをしながら、ユイは俺を背もたれにして、ふわふわの髪を胸板にグリグリと押しつけて来る。


「ふふん、これで良し」

「満足?」

「ん。……これで寂しくない」


 満足げに息をつくユイに後ろから手を回して抱きしめる。

 傍から見れば、ただいちゃついているようにしか見えない……いや事実、いちゃついてるのはそうなんだが。……そうなんだが。


 一応、これは必要なことなのだ。……本当だよ? まだエビデンス無いけど……。




 ソーシャルネットワークサービスの隆盛。短期間で爆発的に広まったそれは、社会の在り方を一変させた。

 その影響は当然、種族ごとに様々ではあったのだが……兎人種ラビィに対しての影響については当初、議論の訴状にも上がらなかったようだ。


 むしろ元々数も少なく、本能的に他の血と混ざることを避ける狼人種ウルフェンなんかへの悪影響が懸念されていたが……。どうにもこちらにはプラスに働いた様で、純血の狼人種ウルフェン同士が出会うためにかなり役に立っているらしい。


 そんなソーシャルネットワークサービスに連なる、『見知らぬ他人とスムーズに繋がるツール』が発展しつづけて数十年。

 蓋を開ければ、なぜか兎人種ラビィだけがこのざま。種族絶滅まっしぐらだ。


 原因は特定されていない。種族特定病でも自殺率の増加でもなく、気づけば若い兎人種ラビィの婚姻が減り、番った兎人種ラビィの出生率も著しく減った。


 兎人種ラビィの生態として、特定のストレスへの感受性が高く、その悪影響が顕著に生殖に影響する、というものがある。

 それは別種族にも理解出来る概念で言えば、『寂しさ』に近いようだ。


 なお、最後の兎人種ラビィかつ、言葉のプロたる詩人である、我らがユイ・ポーリッシュ曰く、『寂しさ』という言葉では完全に言い表せていないらしい。

 しかし『繋がってるように見えて、阻まれている』『大きな窓のある部屋に閉じ込められている』『身体がすり抜けるって言うか?』のような、いかにも詩人ならではの感覚的な言語で表現されても、俺のようなタイプにはさっぱりだ。


 なんにせよ。

 いつになるかわからないが、この先確実に俺が書かねばならないであろう『兎人種ラビィと社会 ―コミュニケーションの変質とストレス―』的な論文で、これらの表現はそのまま引用せざるを得まい。


「……マキノぉ? こんなに可愛い可愛い女の子抱っこしながら、上の空ですかぁ? ……なに考えてんのさ」

「……いや別に? 特になにも」

「ウワーッ!? 絶対浮気だっ! 絶対他の女のこと考えてた! 絶対そうだこいつ最悪っ! 許さんからな本当に! 今マキノが考えてた女連れてこいここに! どつき回すッ!」


 ……これが若者を中心に愛される詩人の姿か? この前組まれた雑誌の特集では『感情という糸を繊細に紡ぐ』とまで言われた奴の言葉か、これが?


「もう飽きたんだ! 美人は三日で飽きるって本当だったんだ! 私可愛い系だから一生飽きられないと思ったのに! ぜってぇ浮気相手の女より私の方が可愛いのに! マキノの目が腐っちゃったんだ!」


 じたばたと腕の中で暴れながら、ろくでもないことを言うこの女。

 彼女のこんな様子も相まって、普段から共に生活していると、彼女の置かれた環境のことを忘れそうになる。

 


 仲間は一人もおらず、世界にたった一人であるということを。

 生物として、最も孤独であるということを。



 そんなユイが共に暮らす相手が、本当に自分でいいのか。

 そしてユイは普段、そのこと気にしていないようにさえ思えるが、無理しているんじゃないか。

 以前そんな不安を、友人に相談したことがある。




****




『全くもって。本当にお前は、度しがたいほどにバカだな』

『……一応、博士号2つ持ってるんだが』

『そうか、私もだ。……そういうことを言いたいわけではない』


 蜥人種ウェルグの同僚は、細長く先の割れた舌をわずかに覗かせて、ため息を吐いた。



『……お前、蝶の美しさへの感受性なら誰よりも優れてるのに、どうしてそういう方面にはこう……。……好きな作家は? 最近感動した映画はなんだ? お気に入りの絵画でも写真でも、作品のタイトルは言えるか?』


 鋭い鋸歯でこちらを威嚇しながら、彼は言う。


『好きな作家はユイ・ポーリッシュだ。映画も絵画も観ないがお気に入りの写真はこれだ。見るか? ほら、この前の休みに撮ったのが最新で、こっちは去年海に行った時に二人で……』

『もういいもういいもういい』


 せっかくコレクションを披露しようとしたにもかかわらず、彼は大きく手を振って、うんざりした顔で俺を見る。


『いいかバカ。お前のパートナーは偉大なんだ。種としての希少性じゃないぞ。詩人としてだ。孤独や退屈をあれほど透明な言葉で表現できる才能を、私は他に知らない。境遇や諸々を抜きにしても、天性のセンスだアレは』


 未だにマテリアルの書籍にこだわるタイプのこの同僚は、詩人としてのユイの大ファンだ。

 ホームパーティに招いたときに本人を見て、詩のイメージが壊れそうだと頭を抱えていたが……。


『お前には分からんだろう。私にはわかるが……その天才の作風がある時期から変化している。根幹のテーマが前と全然違うんだ。今まで無かったような、赤面するくらい情熱的な歌詞を書いたかと思えば、こっちの胸がちぎれそうなくらい寂しい詩を詠んでもいる』

『そうか? 一緒に暮らしてるが、あまり変わったようには見えないけどな』


 ……マウントを取ったわけではないぞ。

 だからそのニヤついた顔をやめろ。いくら蜥人種ウェルグの無表情とはいえ、付き合い長いからわかるぞ。



『はっ、青いな。……まあいい。とにかく、お前の抱えているくだらない不安はわかるとも。最後の兎人種ラビィの隣にいるのが自分でいいのか。自分が彼女の孤独を癒せているのか……というか、そもそもそんなことを思うことさえ、傲慢ではないのか。そんなことを気にしているな』



 年上だからと言って、ここまではっきり言っていいのか?

 人がせっかく婉曲に伝えた意味を、こいつは理解していないのかと思いながら、自分でも赤くなっていることがわかる頬を隠すように触る。


『わからなくもない。だが、なんといえばいいのか……つまりは我々の仕事や専門性が問題なんだ。“結果から原因を探す”。こういう生き方しかしてこなかったから、“結果にはそれに見合った原因が必ずあるべきだ”としか考えられない。……だからお前は不安なんだ』


 ある意味で純粋すぎるんだよ。そう言って彼は俺では苦くて飲めない、深緑色の野菜ジュースを一口飲んだ。

 確かに二回の結婚歴があるこいつは、俺よりこの分野に詳しいんだろう。

 ……腹立たしさは依然あるが。


『だが、こういうものに関しては、その理屈は当てはまらないんだ。”結果は動かないが、原因を探る意味がない”なんてことがありうるんだよ。いいか? 見た目が好みというだけで、一生の絆を育んでもいい。逆に全ての条件が運命とさえ思えるのに、全く愛せない場合もあるだろうさ。きっかけだって目が合ったからでも、ピンチを救ったからでも、もしくは妥協だって構わない』

『わかってるさそんなことは。別に俺は……』


 わかっている。

 希少生物保護観察機構に勤めているから。交友関係が狭く、同族もいない彼女の視界に入った、数少ない同世代の異性だから。

 彼女が俺を選んでくれたのはそれだけではないはずだし、仮にそれだけだったとしても、別になにも問題は無い。それはわかっている。



『わかっているなら不安などないはずだろう? 実際、お前の不安など意味がない。だがそれを抱えるのが人生の醍醐味なんだ。あっはっは、全く以て不条理だろう?』

『うるさいな。結局のところ、気にしない以外、どうしようもないってことだろう』


『……不出来な生徒だなお前は。……じゃあ、何をすべきか具体的に教えてやるさ』


 やれやれ、と肩をすくめて友人は言う。

 そして俺でもわかるような、明確な指示をくれた。

 


『お前の中のくだらない不安を晴らしたかったら、最近のユイ・ポーリッシュの詩を、全て読むんだ。深くな。そして、それぞれの詩に対して、執筆時期とお前が長期のフィールドワークに出てる期間の相関を取ってみろ。お前の感性には期待していないが、統計は得意のはずだ』



 そう言って、少ない表情変化でもわかるくらい、ニヤニヤと笑いながら。

 友であり同僚であり……特定の分野ではかなりの先達であろう蜥人種ウェルグは、その立派な尻尾の先で俺の背中を励ますように叩いた。




****




「……結局。わかったようなわからないようなままだ」


 あの後、友人のご鞭撻通りにユイの詩をすべて読んで、俺のフィールドワーク時期と発表時期の相関を取ってグラフまで作った。

 だが、なんとなくすっきりしないままだ。

 友人にそれを話したら、きっとまたニヤニヤと笑うのだろう。

 

「おらっ! マキノ! さっさと吐けって言ってんだよ! 今ならまだ……マキノ?」


 俺の胸倉をつかんで揺らしていた手を止めて、ユイの緋色の瞳が俺をじっと見つめる。


「マキノ? どうしたの? ……何か、不安? たまにそういう目になるよね」


 ……全く、かなわない。

 何しろ相手は言葉と感情のプロフェッショナルだ。友人と同様、俺など未熟に見えて仕方ないんだろう。

 なら、気取る必要も無いのかもしれない。

 

「あー、あのさ。……今まで聞いたことなかったけど、ずっと気になってたことがあって……。その、どんな気分なのかなと。……自分が、なんていうか……」

「……兎人種ラビィの最後の一人、っていうことに対して?」


 言いよどみながらの質問を聞いて、彼女は小さく微笑むようにそう答えた。

 こちらが拍子抜けしてしまうほどいつも通りの様子に、俺はしばらく何も言えずに彼女の言葉を待った。



「よしよし。私のパートナーとしても研究者としても、本当は誰よりも興味があったはずなのに、大好きな私に遠慮して今の今までそれを聞けなかった、優しい優しいキミ。我が愛しのマキノ・ダイドージに免じて、このユイ・ポーリッシュがしっかり答えてあげよう」

「……ああ。知っておきたいと、ずっと思ってた。きっと他の人には何度も聞かれたと思うけど」


 ユイは俺の言葉に、小さく首を振る。

 何度も聞かれたことはあるけど、心の内をきちんと正直に話すのは初めてだと。


「……こんな状況種族最後の一人になったのは、記憶に残るような時代では、私が初めてなんだろうけど。でも、これまでもきっとこういう人はいたし、これからも私みたいな人は出てくるじゃない? 純血にこだわるのなんて、時代遅れだもんね。……最後の一人は、この先何人も生まれると思う」


 かつて存在されたとされる水人種セイレーンや、100年前の生物学者のノートにのみ記録が残る、翼人種ガルディア

 種族絶滅はきっとあった。だが、俺たちがきちんと目にするのは、兎人種ラビィが初めてだ。


「だから、愛しいキミのために。……それに加えて、可哀相で愛おしい私の後輩達のためにも。この質問には正直に、ちゃんと答えるよ。……でもこれ、マキノだから話すんだからね? あと、後々公表しても良いけど、恥ずかしいから適当にディティールは誤魔化しといてね?」


 そして彼女はわずかに考え込むように目を伏せ、静かに言葉を拾うように言う。



「……そりゃあ私も、全く思うところが無いわけじゃないよ。なぜか変なプレッシャーみたいなものもあるし。それになにより……世界には、こんなにいろんな人がいるのに、私と全く同じ種族は一人もいないなんて、ちょっとは思うところあるよ。……でもね?」



 そこまで言ってから、彼女は真っ直ぐにこちらを向いた。

 いつもとは違う真剣なまなざし。真っ赤な瞳が俺を射貫いた。

 そこに、まるで種の歴史、それと同じ重さの孤独が込められている気がして……。思わず、息が詰まりそうになった瞬間。


 彼女の瞳が柔らかく、優しく緩められた。



「……まぁ、でもね。実はみんなが思っているほど、寂しくないんだよ?」



 そして、ユイ・ポーリッシュは。

 最後の兎人種ラビィ、種族絶滅を待つしかない、たった一人の彼女は笑う。

 技術の進歩で広い世界が狭くなり、人々の距離が近くなり……そんな理想的な社会でなのにもかかわらず、街にあふれる群衆の中で、たった一人になった彼女は。


 当たり前のことを言うように自然に。だが、最も大事なことを伝えるようにはっきりと。

 孤独など感じさせないような、明るい微笑みと共に、彼女は言った。


 それは、たった一言。

 そして、俺の不安など一瞬で晴らしてしまう一言だ。




「キミがいるからね」

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ロンサム・ラビィ 松岡清志郎 @kouhai

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