夜伽のつまみ

位用

第一話 少年の夢と夢の少女



 実は、が本当に夢かどうかは割と疑わしい。

 

 でも、それを言葉にするにあたり、最も近しいものが『夢』なのだ。九割の合理性と一割のロマン。対極の位置にいるそれらを理由として、僕はそれを『夢』と呼ぶ。





 例えば、放課後にこの教室にいるのはたった一人。僕は何となく残って、窓際で昨日買った小説を読んでいる。十枚程ページをめくったときだろうか、この教室の窓から見える入道雲が震えだし、その隙間から重厚感や威圧、敬意すら感じられる程に立派な両翼を携えたおーっきなドラゴンが、炎を吹きながら現れるのだ。

 僕は一度本を閉じて旋回しているそれを眺める。なんともあり得ない光景。しかし、誰もそれには驚かない。校庭をランニングしている運動部も、手を繋いで帰っているカップルも、蛇口の水を掛け合っている男子達も皆、そんなこともあるかといった風にそれを受け入れている。

 蝉や向日葵の如く、見慣れた夏の風景のレギュラーを装ったそいつは、ガラスみたいな虹色の鱗を輝かせ、時折サイダーみたいな色の空に熱を染め直しながら我が物顔で空を泳いでいるのだ。

 そして、そいつの起こした風が教室まで届いたとき、細めた視界の端に彼女を見つけた。

 今回も彼女は突然現れて、いつの間にか俺の前の席に座っている。風で靡いていた長い髪が振り向きざまに曲線を描いて、それは黒一色であるにも関わらず、世界に彩を追加しているようだった。



「綺麗だね」



 そうだね


 終わりを知らせる少女にその一言を返す前に、世界が端からぼやけ始める。そして今回も何も言えず、泡沫の夢は覚めるのだった。


 ☆

 

バン

 

 ……頭の右の方がジンジンする、この感じは出席簿か。

 「おい、そろそろ起きろー」

 「……くぁぁ……」

 七月一日の六時間目、教科は藤原の数Ⅰ。五時間目はプールだったので、健全な男子高校生が昼寝をするのに絶妙なタイミングだ。

 「おはようございます。……しかし思いっ切り殴ってくれましたね。目覚めが悪いです」

 「授業中毎回寝てる癖に成績のいいお前への八つ当たりだ。美人教師からのありがたい一撃だぞ、くれぐれも体罰と受け取るなよ」

 何て反応すればいいのだろう。一瞬考えた末、何も閃かなかったのでははは、と無難な受け流しをすることに決めて、形だけのノートを取り始める。

 だがしかし、寝起きなこと、もう黒板には途中式が半分しか残っていないこと、そもそも字が汚いこと、いくつもの要因が重なって俺のノートは解読困難な古文書と化す。……どうせだし、落書きでもしてるか。

 とりあえずドラえもんを描いてみたけど納得がいかない。七回目の書き直しの直後にチャイムがなるまで、そこそこ集中してドラえもんに向き合っていた。


 


 「あー、ねむ」

 「おやすみ、アラームは半世紀後でいいか?」

 「お前の中で睡眠=コールドスリープなの?」

 「だったとして寝てる期間が半端じゃね?」

 「それもそうだな、千世紀位寝るか!」

 「ゼロか百しか無いのかお前には」

 「小学生の数字でちゃったよ」

 「“せんせいき”って語呂よくね?」

 「黙れ」

 放課後。いつもの三人でいつもの教卓前で駄弁る。他に教室に残っている人はいなくて、三人だけの教室はなんだか知らない場所のようだった。

 「寝るといえば春歌、お前今日も熟睡だったな」

 「毎日毎日、よくも気持ちよさそうに寝るよな」

 春歌、とは僕の名前。夜伽春歌。可愛らしくて気に入っている。ちなみに教卓に座ってるバカが大輔で、机に座って足をぶらぶらさせてるバカが義臣だ。二人の風貌とかはどうでもいいことなので省略。割愛とかでもなく、省略。ここ大事ね。

 「どうしても寝やすい体質みたいでね」

 「これで成績いいから腹立つよな」

 「いっつもにやにやしてるけど、どんな夢見てんだ?」

 ……信じてもらえないよな。

 「僕が知りたいものだね」

 「どうせおっぱいの夢だろ、思い出すだけ無駄だぜ」

 「それもそうだ」

 「「わはははは」」

 「何なんだお前ら」

 いやしかし、当たらずしも遠からずか。

 「ん、今何か言ったか?」

 「いや、何も?」

 「そっか」

 「なんか暗くなってきたな、そろそろ駅行くか」

 「途中でファミマ寄ろうぜ」

 「今日も?」

 西日の当たらないこの教室は暗くなるのが少し早くて、それを見て感じる切なさは、きっとすぐに忘れてしまう、今だけのものだろう。僕達が出て誰もいなくなった教室は、皆が置き忘れていった静寂で溢れかえっていた。


 


 「んじゃ、またな」

 「あぁ、また明日」

 「明日ってなんか提出のものあったっけ」

 「いや、ないはず」

 「そっか、サンキュ」

 学校の最寄り駅はそこそこ大きくていくつかの電車が通っている。僕たちは皆乗る電車が違うので、いつもここでお別れ。どうでもいいことだけれど、全員が解散後すぐワイヤレスイヤホンをつけることに現代っ子を深く感じる。

 イヤホンを貫通して耳に届くアナウンスをうるさいと思ってしまうのは自分勝手だろうか。間もなく電車がやってきて、より強い騒音が入り込んできた。この時間に上りの電車に乗る人は少なくて、帰り道は毎回席に座れるのがいいところだ。今日はさらに運よく端っこに座れたため、いつもなら耳元のコンサートでひと時を過ごすところを、今日は夢の世界へ十五分間の小旅行と洒落込んでみる。電車の小刻みな揺れは一日疲れた体に心地いい。微睡むなんて過程を吹っ飛ばして、そこには思ったよりもすぐ辿り着いた。


 ☆


 暗くて、何の場所だかよく分からない。二メートルくらいの大きさのカプセルみたいなものが等間隔でどこまでも置かれていた。それぞれのカプセルの片側には文庫本四冊程度の大きさで四角く、青白く光っている部分があって、覗いてみると、なるほど。ここが何なのか分かった。

 「コールドスリープの保管庫か」

 ガラスの中には大輔の間抜けな寝顔があった。そのまま右にずれてみると、義臣、藤原、ドラえもんまでもがそれぞれのカプセルで眠っていた。他の場所にもやっぱりその中には誰かしら人が眠っていて、多分、それはさっきすれ違った人達の中の誰かなのだろう。はるか先に結構大きめの光源が見えて、あれがコールドスリープの動力源だったりするのかな、なんて考えてみる。

 ゆらゆらと光るそれがなんなのか確かめようと走り出した、そのとき


「もうそろそろ駅じゃないかな」


 相も変わらず突然に、少女が夢の終わりを知らせに来てくれた。ダボダボの白衣が最高にかわいい。しかしそっか、もう十五分も経ったのか。確かに、夢を見るには少々束の間が過ぎるか。まぁでも、彼女と会うための夢なのだからそのくらいで十分だろう。

 そして、これまた相も変わらず僕は


 「教えてくれてありがとう」


 「どういたしまして」


 何も言えず……?ってあれ、ぇ今……。

 少女がくすっと笑うと、その夢の世界は足元から崩れていって、動力源と見做した光は、気付いたら沈みかけの夕日になっていた。


 


 僕、夜伽春歌は好きな夢を見ることができる。やや語弊があるが、一旦そういうことにしてもらうと話が早い。

 初めて見たい夢を見たのは九年くらい前。その日は大好きだった遊園地が閉園する日で、そこに最後に行った日だった。小学一年生に大好きとの別れは少々酷で、僕はその夜、ずっと遊園地のことを考えていた。すると、その日見た夢の舞台はその遊園地だったのだ。きっと、遊園地が大好きだった自分に奇跡が起きたんだと思って、僕はずっとその夢で遊んでいた。ジェットコースター、観覧車、メリーゴーランド。好きなものに、好きなだけ!夢だから当たり前なのだが、夢見心地だった。そして、幼い僕は思いついた。夢の中でなら、入れなかった場所へ入れるかもしれない。コーラと期待を口に含んで、僕はお化け屋敷の前まで向かった。そこのお化け屋敷は年齢制限があって、禁止を疎ましく思う年頃だった僕は、なんとかそこに入ってみたいと思い続けていたものだった。結局最後まで入れなかった後悔を払拭するように、微かに訪れた背徳感をかき消すように、僕は早歩きで中に入った。

 そしてすぐに、僕はそのことを後悔することになる。

 理由は後に知ることになるのだが、入った建物の中にはただ暗がりが続くだけで、そこには何もなかった。引き返そうとしても入り口は消えていて、僕は一人で暗闇の中に閉じ込められてしまったのだ。あぁなんてひどい悪夢なんだろう、それまで勝手に信頼していた何かに裏切られたような気分だった。目尻に涙が溜まり、ただでさえ暗い視界がさらにぼやけ始めた、その時だった。


 「こっちだよ」


 初めて、僕は少女に話しかけられた。

 沈んだように真っ黒な黒目でこちらを上から覗く少女。その時は二人とも今よりかなり幼かった訳だが、貼り付けているようなのに温かみを感じる、そんな彼女の微笑みは初めて会った時から変わっていない。差し出された右手を見上げて、ようやく自分は膝をついて泣いていたんだと気づく。

 その後、僕はその少女に手を引かれてそこから脱出することができた。そして、感謝を伝えようとした瞬間に目が覚めたのだ。

 そこからはずっと同じ調子。前に寝た時から寝る前までに見たり、聞いたりしたものの中から特に関心を持ったものを夢に見ることができるようになって、その夢の終わりに少女に会って、何も言えず終わる。桜並木、古代の城、幻の大陸まで行っても、僕の精一杯は彼女に微笑みを返すことだけだった。いたちごっことはこんな意味だっただろうか。もし僕の人生が漫画であるなら、展開がだらだらとしててつまらないと酷評されてしまうだろう。だが、そんな打ち切り寸前の物語が今、少しだけ動き出した。


 彼女と話せた。


 そのことに驚いて、感動して、考えて。とりあえずしなければならないことを思い出したのは、降りるはずの駅から発車メロディーが聞こえたときだった。

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