第2話
がばっ、と目を覚ました時、【私】はベッドの中に居た。
妙に赤く血走った眼をぱちぱち瞬きさせながら辺りを見回すと、そこはアイボリーやベージュといった優しい色合いで統一され、ヨーロッパを思わせるアンティーク調の家具や小さなシャンデリア、天然素材のバスケットなどが目につくいつもの自室。下に視線を落とせば、同じく優しい色の布団がかけられており、若干だが汗ばんでいる。
背後からは寝起きで煙たい頭を殴りつけるようなけたたましい目覚ましの音がジリリリリリ、と私の心を現実にひっぱり出すべくしつこく響く。
間違いない。私が「大人っぽい可愛さ」を追求する為に──という設定の為に、インテリアをそこそこ考え抜いて、あとはデザイナーさんに丸投げした、私の自室だ。
そこに、眼を射すような殆ど原色寄りの鮮やかな赤色など、介入の余地もない。
……あれは、夢だったのかな?
だけど、夢と言うには余りに感覚が鮮明で、五感がひっくり返って狂う気色悪さも、情報量でアタマがおかしくなりそうな景色も、身体が全部記憶している。
でも、よくよく考えてみると、どこか他人事のような、俯瞰した目線でいた気がして。
……やっぱり、それが夢って事なのかなぁ?
「…………はぁ」
私は、深い溜息を吐いて──これがアニメならきっと焦げた煙みたいに黒かったと思う──尚も戻ってこいと五月蝿く急かす目覚まし時計の文字盤を眺める。
針は今日も変わらず一日の始めを示しており、見ているうちに気を抜くと片っぽしかない私の闇色の瞳がブラックホールみたいに吸い込まれそうになる。
じりりりん。
じりりりりりりりりりりん。
じりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
──今日はいつもより戻るのに時間を要した。
嫌に根気強く鳴り続ける目覚ましの音を軽くはたいて止め、ぶるるんと首を振ってアタマに残っている霞を振り払う。
……正直、少し期待してしまった自分がいたんだ。
ある日突然不思議な事が起こって、何もかも変わってしまわないかなって。
でも、仕方ないよね。これって現実だし、ファンタジーですらそういうのって待ってて来るもんじゃないし。あったとしても、多分向いてないんだ、私には。
早く、朝のやる事を済ませて学校行かなきゃ。
私はいつものように、洗濯して、テキトーに作った朝食を食べて、カバンを用意して、それから身支度を整ると全身鏡の前に立って、口角を上げてぱかっと笑う。
白のワイシャツの上に黒ブレザー。下は黒のミニスカートに白のニーソックス。やたらと白黒の多い制服だから、その分色とりどりの可愛い小物を沢山付けたらいい感じ。
やっぱり、こう見ると前髪ちょっと長いかなぁ……まぁ、いつもこんな感じだしいっか。中途半端に長いと前が見えなくなっちゃうから、逆に伸ばしきった方がいい説?
膝や指先の絆創膏も、ちょっぴりお茶目さあって逆にアリかも。
髪にも勿論色んな種類のピンをつけて、トレードマークの白いニット帽を被る。それから明るくニコニコの笑みを作れば、いつもの私──黒川 虹湖の完成。
うん、今日も完璧!とりあえず笑顔でいれば、大抵上手くいくもんね!
学校行くのにニット帽?制服にそんな色々付けていいの?って思うかもしれないけれど、あの〝病気〟の影響もあってか、最近その辺緩いんだ。お陰で色々出来てサイコー!
毎日思うけど、左目の白い眼帯だけ邪魔だなぁ……なんか厨二病みたい。生まれつきの糸目の方は、それはそれでご愛嬌って感じだけどね。あ、あの病気って厨二病の事じゃないよ。
それで、今日も完璧に登校の支度ができた訳なんだけど……あれ、胸ポッケに何か入ってる?
私が違和感を覚えてポッケを探ると……何やら、小さな棒状のものが入ってるみたい。取り出して、目の前に掲げてみた。
それは、鮮血のような赤色に染まった小さな絵筆──というより、スパッタリングに使うブラシ的なやつ。
……え、何で⁇
赤、という部分が嫌でも今朝の夢を想起させる……って、こんなまじまじと見つめてる場合じゃない!私はばっと我に返って時計を見た。今すぐ行かないと遅刻しちゃう。
私は急いで玄関へ出て、ローファーを履いて、カバンと鍵を持つ。
それからきぃと音を立ててドアを開け、思わず目を瞑ってしまいそうなくらいに眩しい陽光が差し込む中、私はその光に気圧されないように負けじとにっこり笑うと、誰もいない伽藍堂な玄関に向けて、今日も元気よく手を振った。
「──行ってきます!」
それから、私は特に何事もなくチャイム前に学校へと着く事が出来た。
「ふぃ〜〜……よかったーー」
私はひとまず胸を撫で下ろして教室へと向かった。遅刻しちゃうのもそれはそれで「黒川 虹湖」っぽいけど、あんまりやり過ぎると割と本気で叱られちゃうもんね。
「「あっ、ニコちゃんおはよー!」」
「おっはよーーまめっちにめめろん!あれ、めめろんマニキュア変えたーー?」
「えへ、気づいちゃった⁇実はね!最近近くでオープンしたプレシャスアクマシンコーアップルトゥルー教えちゃう教団って店で買ったんだ〜!なんか凄いパワーあるんだって!どんなパワーなんだろ〜〜」
「へー!いいなぁ可愛い!……え、大丈夫なのそれ⁇」
「多分大丈夫〜!それより、この前はほんとありがとね!」
「へへ〜、だってトモダチでしょ⁇困った時は、このニコちゃんに任せてよ!」
てな感じで、いつものようにキラキラにっこり笑顔を浮かべて行き交う同級生の子達と概ね当たり障りない会話をしながら、教室の前に立つ。
それから勢いよくガララッとドアを開け、弾むように左手をあげて元気よく挨拶しようとして──
「みんな、おっっはよぉーーーーー……んぁギャスっっ⁉︎」
ドアの下の隙間──くつずりって言うらしい──に、つま先を引っ掛けて変な声を漏らしながらどてんっと音を立てて、前に滑り込むようにして転んでしまった。
途端に、クラス中にどっと笑いが巻き起こる。
「あはは、ニコちゃんおはよー!今日も元気有り余ってるね!w」
「フム、僕のスパコンに匹敵する正確な分析力によるとこのパターンは7度目ですね。その内、このように前方に転倒するお手本の様な美しいフォームは3度目です。クリティカルスリップとでも名付けましょうか」
「無駄にカッコイイ名前付けないの!あと13度目だし!相変わらずお茶目だねー、ニコちゃん可愛い!」
今日もクラスは賑やかで、皆の反応も予想通り。
「えへへ……またやっちゃったぁ♪」
そして、それに合わせて頬をかき、舌を出して照れ笑いする私もまた想定通り。
──よし、この分なら今日も上手くやれそう!
朝のホームルームが始まるまで、私はクラスメイト達とたわいのない会話をする。それから、時々皆の相談に乗ってあげたりもする。
私はクラスの中で、〝明るく優しくてお茶目な可愛い子〟として有名だ。クラスの中だけでなく、この学校の大抵の人間は、私の〝おトモダチ〟だ。
「おっはよー、ニコちゃん!」
ふと、後ろから快活な声と共に、どんと軽く背中を押された。
「あ……。……えへへ、おはよーイッチャ!なんか、また新しい小物増えてない⁇最近流行ってるやつでしょソレ!」
「あ、ワカル〜〜?流石ニコちゃんだねー!さすニコ!」
そう言って私に負けず劣らず明るく笑って話しかけてきたのは、最早ギャル越えて不良なんじゃないかってくらい制服を派手派手に改造した茶髪の女の子、一筆 茶々。語呂がいいから『イッチャ』って呼んでる。結構前から特に仲が良くて、よく話してたんだけど──私の返事は、一瞬歯切れが悪くなる。
……ちょっと最近、気になる事があるんだ。
「ところでさ〜〜……〝アレ〟こっち見てない⁇ニコちゃん大丈夫そ⁇」
茶々が口角だけ上げたままキラキラに染めた眉を顰めて、遠くの、隅っこの席を指差す。そこには、1人の女の子がいた。
その子の眼は──赤かった。
まるで、今朝見た夢に出てきたような、鮮血のような原色寄りの赤色。
それから、カメレオンみたい……ってのは言い過ぎかもしれないけど、黒い眼鏡の下の彼女の眼はギョロッとした不気味な目付きをしていて、彼女を口元を隠すうっすら赤ばんだ白いスカーフマスクは、まるで他人を寄せ付けぬ防波堤みたい。黒髪をおろしているが、お世辞にも余り整っているとはいえない。鮮やかな赤色のメッシュが数束垂れているが、どうやら地毛らしい。
その日本人としては有り得ない瞳と髪の色からして、どうやらあの子も、最近流行りの『感度異常症』ってやつにかかってるみたい。
感度異常病は最近全国で多発しだした病気で、一部の感覚が暴走して幻覚や幻聴が起こったり、突然心じゃなく姿まで別人みたいになったり、瞳や髪とかの身体の一部の色が変わっちゃったりと人によって症状は様々で、特に感染したりする訳じゃなく発症する原因とか症状の共通点とかはまだ解明されてないんだって。
このクラスにも感度異常症の子はまあまあいて、あんまりにも流行ってるものだから、今学校の風紀は制御不可能の状態なんだ。
あの子──赤目朱李ちゃんもその1人。
最近転校してきたんだけど、いつも気怠げな感じで独り隅っこで座っていて、時々画材を取り出しては一心不乱に眼を血走らせて何かを描いている子。大抵人形みたいに呆けていて、ぎょろぎょろとした赤い双眸は何処を向いてるのか分からない。話かけても殆ど反応しないし、覗いても何を描いているのか絶対に見せてくれないから、その気味の悪い見た目や猫背も相まって皆からは怪異みたいに扱われ、避けられている。時々姿を消したと思ったら次の瞬間当たり前のように後ろにいるのも理由のひとつ。
ただ、ひとつだけ分かっているのは、彼女が何かを描く時、赤色しか使わない事。
そんな彼女をふと見やると──あれ。確かにその赤い視線が、真っ直ぐこっちを向いている気がする。というか、元々目付きが悪いから分かりにくいけど……何だか、睨まれてる⁇
え、私なにかあの子を怒らせるような事したかな⁇
私、またなにか間違えた⁇だとしたら、どうしよう……
今朝の夢のせいか、彼女のジトッとした赤い目を見ると、謎の後ろめたさというか居心地の悪さを感じてしまう。
私がオロオロしていると、茶々が言った。
「何アレ、ちょーブキミなんですけど。言いたい事あるならはっきり言えばいいのに」
「う?う、うん……そうだね……」
ニコの返事は、また少し、歯切れが悪かった。
かく言う茶々も、少し前まではもっと内気で大人しめな性格だったはずだ。決して、気軽に人の陰口を言うような子ではなかった。
それが今は、見違える程に派手でギャルっぽい性格になり、ぱっつんで両目が覆い隠される程に前髪の長かった髪型も、バッチリ整えてお洒落している。
私がわざわざこれまで時間をかけて知って、プロファイリングしてきた茶々とは、別人みたいだ。
……正直なところ、気味が悪い。
それどころか最近、今まで親しかった人達のキャラが急に変わって、彼彼女らとトモダチになる為に必死で集めた私のプロファイリング像と、次第に合わなくなってきたと感じる事が増えた気がする。
まるで、お面でも被ったかのように。
もしかして、これも一瞬の感度異常症みたいなものなのかな?今はそういった人達とも仲良く話せているけれど……いつか、何もかも私の想定と違った皆が私を嫌ってしまわないか、それが何より恐ろしい。
今はちゃんとやれているけれど、もし、化けの皮が剥がれて、伽藍堂な真っ暗闇が皆に知られてしまったら──
………ーンコーーン。
キーーンコーーンカーーンコーーン。
チャイムの音が響き渡り、深い意識の底に沈んでいきそうだった私ははっと我に返って現実に引き戻される。
気付けば皆席に座っており、私も机の角にぶつかって横腹を痛めながらも慌てて席に着く。因みにこういうドジは半分、いやそのまた半分くらい計算で、残りは天然。
昔からこういう事って多くて、そのせいで傷ばっかり作っちゃうんだけど……
それでも、どっちにしたって私が笑顔でいれば皆も笑ってくれるんだから、悪くはない。
だって笑顔でいれば、大抵何だって上手くいくんだ。凄いよね。
教室は概ね静かで、あちこちからコソコソと囁い声が聴こえる中──茶々、ひょっとしてインスタ開いてる?──ゆっくりと教室の前扉が開いたと思うと、妙に間延びした低めの女性の声が、生徒たちの耳を這うようにして聴こえてきた。
「……おァーーい、皆さんせェ〜しゅくにィーー。とっととホームルーム始めちゃうんでェーー。ァーーそこォ、スマホ触ってる奴次から時間見とけよ〜〜」
そう気怠げな口調で言い、眠そうに目を擦りながら教室に入ってきたのは、このクラスの担任で、剣道部顧問の板緑 透花先生。
姿勢は今にも倒れそうなくらいフラフラで、左眼が前髪に覆われている。教卓で生徒達を見回す左眼も、まるで布団から引っ張り出された子供みたいにどろんとしていて、今にも閉じてしまいそうだ。
クラスメイトの誰かが言った。
「せんせー、トイレー」
「先生ェはトイレじゃァ、ありませェーーん……」
「先生はトイレです〜、鏡見てきて下さい〜」
「オシちょっと来ォい顔面沈めてやるからァ…」
こんな感じで、見た目は口調はテキトーなものの、やるべき事はキッチリとこなすし、親しみの持ちやすい癖の強いトークで皆から人気なんだ。
イタロク先生は幾つかクラスメイト達と似たような応酬を繰り広げ、軽く今日の予定を説明すると、欠伸をもう一つして、最後にこんな事を言った。
「ァ〜〜、後なんかあったかな……ァそーーそーー、なんか最近巷で?っつーかこの辺で?まァどっちでもいーけど……『神隠し』とか言われる原因不明の人間失踪事件が多発してるんだと。ウチの生徒に行方不明なったヤツはまだいねェーーけど、気付いたら突然道端で気絶してて、そン前の事なァーーんも覚えてね〜ってヤツは何故かけっこ〜いる訳。つ〜訳で寄り道とかしね〜で帰れよお前ら〜〜」
……その日のお昼休み。
決して自慢って訳じゃないんだけど、私は交友関係がとてつもなく広くて、学校には老若男女問わずノート一冊に収まりきらないくらいのおトモダチがいる。
でも、そういうのってずーっと放置してたら自然と消えてっちゃう。
だから、こういう時間を使ってあんまり普段会えないトモダチとお話ししたり、お願いとか相談を聞いてあげたりしている。たまーにドジっちゃう事もあるけど……
だって、その方が皆、私の事をずーーっと必要としてくれるから、生きてて良いんだって思えるよ!
それで、今日も私はいつもみたいに、茶々と一緒に皆の手伝いをしてあげた。ちょっとヘマしちゃったりする事もあったけど、やっぱり良い事をすると皆が笑顔でお礼を言ってくれるから、気分がいい。
間違えた事をしっかりノートに纏めてから教室に戻ろうとしている時。
何かを見つけた茶々が、目を大きく輝かせて嬉しそうに跳ねながら、声を張り上げぶんぶん手を振った。
「あ〜〜!アレモモ君じゃ〜〜ん⁉︎モモ君何してるん〜〜⁇」
彼女の視線の先に居たのは、1人の男の子。見た感じもう一人の誰かと何やら込み入った話をしていたみたいだけど、恐らく茶々の夢見る少女といった曇りなき瞳には、あの男の子しか映っていない。
その子は非常に整った童顔寄りの顔立ちをしていて、キチッとした立ち振る舞いや清潔感からは好青年オーラがとめどなく溢れ出ている。身体付きは華奢寄りだが、身長は177センチと意外と低くない。
艶のある髪は何処となく上品な印象を醸し出す銀色で、双眸はピンクスピネルの様な煌びやかな赤寄りの桃色──彼も、『感度異常症』発症者の一人らしい。
隣のクラスの桃ノ瀬 天君だ。皆からはよくモモ君って呼ばれている。
生徒会長をしていて、皆の為の公約を沢山考えて実際に実践してくれるから、同性、異性問わず人気なんだ。
「あ!茶々さん、こんにちは!最近、何だか明るくなりましたね!」
モモ君は茶々に気付くと、すぐに振り返って晴れ渡る春の青空の様に爽やかな笑みをこちらに向けた。寸分の曇りもない、純粋無垢な笑顔。
たちまち、茶々は銃で撃ち抜かれたみたいに胸を抑え、赤面して悶え始める。
「……ッ、うへ、でしょでしょ〜⁉︎ウチ、明るくなったっしょお〜⁉︎」
「はい!明るめの色合いの小物がキラキラしていて、眩しいです!」
「「…………」」
モモ君は、屈託のない清々しい笑顔で爽やかに言った。
その場にコンマ数秒程度の沈黙が流れ、私はその空気感に耐えられず思わず視線を横に逸らして言葉に詰まる。そして、茶々は──
「……んへぇ、良かったぁ」
あ、照れてる。良かったね。よくわかんないけど。
それも、心の底から安堵し、喜びを噛み締めたみたいに、表情を綻ばせ目を見開きながら呟きを漏らしていて。
まぁ、茶々はモモ君の事が好きで、それは彼女の様子がおかしくなる前からだったから、ようやく私の知る茶々らしさが見れて逆に安心……?
「それに、ニコさんも相変わらずお元気そうで!」
「ん!ところで、モモ君は何をしてたの?なんか困ってるなら言ってよ!」
「あ……っ、な、ならウチもっ!」
私がぱかっと笑ってそう言うと、表情こそ笑ってはいるものの少し焦った様に茶々も続く。なんかごめん。
「おお!そう言って下さって、とても嬉しいです!ですが……」
「ですが?」
モモ君は、一瞬嬉しそうに笑いかけてくれたが、途端に難しい顔になって、私は菱形にした口元に人差し指を当てながら首を傾げる。
「……所謂、怪事件、というやつです」
「……ふぇ?怪事件……?って、ただのトラブルとかじゃないって事?」
深刻な表情をするモモ君の口から突如フィクションみたいな単語が飛び出し、私はびっくりして思わず聞き返した。
「……詳しい事は、当事者の方から説明願いましょう」
モモ君は声を落とし、目線を後ろへやった。すると、先程まで彼と話してたもう一人が、おずおずとこちらに顔を出す。確か、モモ君と同じクラスの男の子のリョウ君だ。
その子は、はやる心を落ち着けるように乾燥した唇を舌で湿らせると、ゆっくりと話し始めた。
「……エト、人が増える事は、とても有り難い、です。ケド──
──これから俺のする話は、まるで支離滅裂で、普通ならとても信じられないかもしれない。それでも、笑わずに聞いてくれますか⁇」
そんな事を、所謂覚悟決めた人、みたいな、ギラリとした真剣な目付きで言ってきた。瞳は陰りを帯びてはいるものの、その奥には消えぬ灯火がしっかりと熱を帯びている。
瞬間、何だか辺りの空気が一段くらい、まるで重力が増したみたいに重くなった様に感じる。
正直、展開が余りにも急すぎて、全然着いて行けてない。いきなり怪事件とか笑わずに聞いてとか言われても、訳が分からない。
……だけど、とりあえず、一個だけ分かる事がある。
伊達に私も、これまで沢山のトモダチと関わってきてる訳じゃない。
それが、大した取り柄のない私の存在価値だから。
私は、ピンと張られた糸みたいな右眼を更に細めると両の人差し指で頬を差し、なるべく周りを照らせる太陽みたいに、にぱっと明るく笑いかけた。
「へへ、安心してよ!君が嘘吐いてないって事くらい、顔見れば分かるから!私で良ければ、力になるからね!こうやって一緒に話した時点で、もう君もトモダチだし!
……それに、何だかスッゴイ事が始まりそうで、私ワクワクするんだ!」
私がそうにこやかに言い切ると、男の子は、若干面食らったように私を見て言った。
「……エ、自分で言うのも何ですけど、マジで言ってます⁇実際コレ以外に前置きのしようがないんで仕方なかったんすケド、モモ君より前に話した人らの全員、口を揃えて『安っぽい怪談の語り出しじゃねーか』『一流はな、そういえばコレ怪談って言えるのか分かんないけど〜とかあえて曖昧にして言うんだよ』とか言いたい放題でしたよ」
「ええ……えと、大変だったね……?あ、でも、笑いはさせて貰うよ〜〜?だって笑顔な方が、絶対上手くいくもんね!」
「そりゃ笑顔なのはケッコーな事だとは思うんすケド、なんすかね、心優しい人を募ったら陽キャしか集まって来ないんすね。協力してくれるのは嬉しーんすケド1人ならまだしも3人だと光すぎてキッツイので自重して下さい」
「あれぇ⁉︎私今から相談乗るんだよね⁉︎逆じゃないよね⁉︎」
そんな私達のやりとりを見て、モモ君が仏みたいな朗らかな笑みをニコニコと終始こっちに向けたまま言った。
「流石はニコさんですね!皆さんの幸せの為に奮闘する姿勢、感激です!」
モモ君は、皆の「幸せ」ってのをとても大切に思っていて、この学校に通う全員の幸せを護ろうと息巻いている。
だから、皆の幸せの為に生徒会長としてずっと忙しそうにしているし、時間がある時もこうやって個人的に皆の相談に乗って生徒達の声を聞き逃さんと集めている。
それに、私と違って頭もいいから、モモ君の関わった事は、大体良い方に進んでくんだ。
なんというか本当に、透き通った水晶みたいな人。
正直、羨ましいなぁ……。
……って思ったけど、案外そういう感情って誰の胸の内にも渦巻いているもので、本当はあんまり気にするものでもないのかもしれない。
だって、今のモモ君の一言から、後ろの茶々の私への物言いたげな視線がスッッゴイ。
表情こそ笑みを貼り付けてはいるけれど、多分、いや絶対怒ってる。ヤバイ、後で機嫌直さしてあげなきゃ……!
背中に突き刺さるジリジリと痺れるような視線に戦慄しながらも、私はフゥと一息置いて真っ直ぐ事件のトージシャらしいリョウ君に向き直ると、ぐっと両の拳を握って気を引き締める。茶々も、それも見て髪を軽く整え直し、姿勢を正す。話を信じる信じないはともかく、モモ君の為なら何でもやるって感じだ。
「……話を聞く準備は出来たようですね。では」
男の子は、私達が聞きとげる構えをとった事を悟ると、ぽつりぽつりと話し始めた。
窓から差す日光の向きが変わって、辺りに薄暗い影がさす。
「……あれは、五日前の事でした。皆さん、裏山の神社の事はご存知ですか?」
「神社?あーー、え⁇それって、井護魂神社の事?」
「そうです」
私は、いきなり細く張られた糸みたいな右目を丸くした。
守井魂神社とは、裏山に古くからあるこの辺じゃそこそこ有名な神社の事だ。そこで祈ると、望んだ理想の自分に近づく事が出来るんだそう。
──私は今朝、夢でその神社に参拝しに行った。
どうしてそうしようと思ったのかはちっとも思い出せないけれど……
余りにタイムリー過ぎる話題に、私は何だか無関係に思えなくなって、言葉に詰まる。
「夜分、その神社に参拝しに行った父と妹が、神隠しに逢いました」
「──!」
私は思わず手で口元を抑え、いよいよ闇色の目を見開いた。
茶々が手を挙げて口を挟んだ。
「うぇ、行方不明って事ぉ?何で神隠しだって分かるワケ⁇」
「まぁ、とりま順を追って聞いて下さい。父達とはスマホを通じてGPSで繋がっているので、何か他の事件に巻き込まれたのであれば、すぐに分かります。妹がまだ小さいのもあって、そうしていたんです。しかし、いま現在通信は途絶えている。それに、途絶える瞬間が妙でした」
「妙ってぇ?ってゆ〜か、途絶える瞬間とかそんな分かるもん⁇」
「通信が途絶える直前、俺のスマホに原因不明のノイズが流れ込んだんです。ガガガーー…ってクソ五月蝿いのが。それで、壊れたのかと慌ててスマホを確認すると、ノイズが止んだと同時にGPSの通信が途絶えてたんすよ……それ以降、2人共未だに帰ってきてはいません……捜索を頼んだ方々も、一向に連絡が付かず……」
「ナンソレ…ヤバ…」
「え……サラッと言ってるけど、結構ホラーじゃない⁇それ……」
恐る恐る、人差し指を立てて訊ねる。
「で、でも、神隠しが神社を中心に起きてるとは限らないよね……?ホラ、だって、被害が出てるのはあくまでこの街のどこかだし、神隠しに遭った人の全員が神社に行こうとしてたとは限らないし、君のお父さん達だって、ひょっとしたら神社に行くまでのどっかで消えたかもしれないから……」
「イエ、僕は、神隠し事件の手掛かりはあの神社にあると思ってます。最近、この学校の生徒が付近で気絶したまま発見されて、数日、悪ければ数週間は寝たきりになっている事件が多発し始めているのはご存知ですね?」
「うん……それとなにか関係があるの?」
「目覚めた生徒達に話を聞いたところ、気絶していた生徒達は皆前後の記憶を失っていますが、その3分の2が、『神社に行こうとしていたところまでは覚えてる』と言ったんです」
「!確かに、それって確かに、なんか関係あるかも…!
……あれっ⁇」
そこまで聞いて、私ははっと息を止め、自分の額を右手で鷲掴みにする様にして抑えた。
何だか、自分の中にかかったモヤが晴れかかっている様な、ドロドロのインクに塗れた頭の中に一滴の水がピチョンと垂れて、波紋となっていくような──
脳にアドレナリンが駆け巡り、活性化した細胞は夢の記憶を急ピッチで再構築する。
確か、あの時私は、神社に参拝する為に来ていて。五感がめまぐるしく狂って暴走し、脳天からつま先まで、外から芯まで気色の悪い情報の渦が這うように駆け巡ったあの時の感覚は鮮明にある。だけど、その時の意識は、まるで自分じゃないみたいにどこか他人事
──いわゆる三人称、みたいな感じで。
……そもそも、なんで神社に参拝しに行こうと思ったんだっけ⁇
皆と違って、私は目覚めた時はちゃんとベッドの上だったし、何日間も昏睡する事は無かったけれど、もしあの夢が、なにかのヒントになるのだとしたら──確か、空が血溜まりの様に赤黒く染まった、あの時の時刻は。
「えちなさぁ、それって皆いつ行こうと思ってたん⁇何時?高校生そんな遅くに1人で出歩かないっしょ」
「夕方っすね。多分、学校帰りに行こうとしてたんだと思いますよ」
「……ねぇ、待って。もしかして、時間じゃない⁇神隠しで、消えるのと気絶して記憶だけなくなってるのの差って」
私は、考える事に夢中で止めていた息をフゥーーッと一気に吐き出すと、瞳孔の開いた右眼を細い指で覆い隠しながら、そう呟いた。
それを聞いた三人は、驚いたように一斉に目を見開いた。
「確かに、それな⁇家族とならまだしも、んな夜遅くに1人で行ったら補導待ったなしだし」
「だとしたら、この学校に神隠しによる行方不明者がまだ居ない事にも納得っすけど……一体どうして」
「やはりニコさんもそう思われますか。元がそもそも摩訶不思議な事件です、僕もニコさんの言った可能性は考えていたのですが……現状他に手掛かりがない以上、What?の部分は無視して考えるしかないですかね……」
ふふん、どうだどうだこの気付き。
私は糸状の右目を左斜め上に傾け、腰に手をあててドヤァと勝ち誇り──
「えっ⁇モモ君、なんて⁇」
「僕も先にリョウ君から話を聞いて考察した結果、その答えに行き着いたのですが……それにしても謎な部分が多すぎて一旦保留としていたんです。図書室の、井護魂神社に関する文献も一通り調べてみたのですが……しかし、ここまで手掛かりがないと最早これ以上の情報を得る事は不可能かもしれませんね……」
私はあんぐりと口を開けた。
えっっ⁇私、自分の見た夢から連想してようやく気付いたんだけど。
ノーヒントで思いついたってホント⁉︎⁉︎
っていうか普通そーゆーの思っても黙っとくのが優しさじゃない⁉︎こんの正直者っ!
「……ま、待って、待t、うん、いや待ってまだあるよ!その気絶してた人達って、記憶なくなってるんだよね⁇」
「ハイ。しばらく何が現実か分からず朦朧としてましたケド。……ナニ焦ってんです?」
「あああ焦ってないし悔しくもないですけどぉーー⁉︎……まぁいいや、それより!手掛かりになるか分かんないけど、気絶した人達って記憶曖昧なんだよね⁇だから、もしかしたらって感じで……」
私は、今朝見た夢の事を話した。
リョウ君が真っ先に言った。
「……プッ。なんすか、手の怪物とか、仮面とか。ホラゲーのし過ぎじゃないっすか。その左目の眼帯、よく似合ってますよ」
「⁉︎きききき君が最初に笑うなって言った癖にぃぃーー!あんまり調子乗ると痛い目見るぞぉぉーー⁉︎」
肩をすくめ、憎たらしくえくぼを作って吹き出すリョウ君に、私は思わず叫んだ声が裏返り、飛び上がって掴みかかる。頬に熱がこもって少し熱い。
ギャーギャーと騒ぐ私達をよそに、茶々とモモ君が話を続ける。
「よーするに、ニコちゃんは気絶した人達の記憶が曖昧なら、ワンチャンその夢も実は夢じゃなかった説?って事ぉ?」
「予知夢、のようなものでしょうか……どちらにせよ、神社に接触しない限りはこれ以上の手掛かりは得られなそうですね……電子機器はダメになる可能性が高いので、それ以外での準備を整えるとしましょう」
そのモモ君の言葉に、小競り合い中だった私達はピタリと動きを止め、姿勢だけそちらに流す。
「えっ、私達だけで大丈夫かなぁ⁇だって、先に捜索頼んでた人も、まだ帰って来てないんでしょ?」
「元より、話を信じる人間を集めてのこのメンバーですし……それに、今までの情報から考えるなら、夕方ならまだ比較的安全ですし、最悪全員の身に何かあったとしても、数日寝込む程度で済みます。……しかし、保証はありません」
モモ君は、彼の可愛いげのある目付きをキッと鋭くした真剣な表情で私達を見据えた。その褪紅色の双眸は、私達の心を確かめるような真っ直ぐな光を秘めている。
私は、ニコッと口角を上げると、くるりとつま先を軸に一回転し、ヨタヨタと倒れそうになりながらもぐっと拳を作ってそれっぽいポーズを決め、出来るだけエネルギッシュに、勇ましく笑った。
「勿論、私は行くよっ!行方不明になった人達にも、その人達の家族にも、リョウ君にも、笑顔になってほしいから!」
……それに、誰かに必要とされながら消えるのも、悪くないしね。
「、ウチも!…な、なんて〜か、モモ君だけじゃヤバそーな事も、ウチら居たら何とかなるかもしんないしね!」
はっとした様にモモ君の前に立って、茶々も続く。
遠慮がちにリョウ君が言った。
「俺は頼んでる身なんで当然行くんすケド。あの、マジでいーんすか、2人共……?」
「へへーー、さっきも言ったでしょ?トモダチだもん!」
尚もにまーと笑いかけ、両の人差し指を自分の頬に押し当てた。
だって、必要としてくれたから。
トモダチってだけで、助けてあげたくなるんだ。
その一連のやり取りを見ていたモモ君は、胸を打たれた様に感激して言った。
顔を手で抑え、頬は恍惚として赤い。
「──素晴らしいッッ!誰かの幸せを護る為に一致団結!そうしてひとつになる事で、新たな幸せが生まれ、更には分かち合う事が出来るッ!嗚呼なんて素敵なのでしょう!さぁ皆さん!協力して、人々の幸せを取り戻しましょう‼︎」
……よくわかんないけど、今のやり取りは、モモ君的にクリティカルヒットだったらしい。
熱のこもった視線を此方に注ぐ彼のピンクスピネルの瞳の輝きは、最早キラキラを通り越して若干うるんでいる。
「……よーし、頑張ろ!」
私達は決意を胸に、夕方、あの神社に向かう事にした。
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