第3話 転生したらモブだった


  今日は、シシガルド・レオニル・クロウの五歳の誕生日であり、祝福の儀を行う日でもある。


 祝福の儀――それは、人々に神の加護を授け、才ある者には<スキル>を贈る神聖な儀式だ。


 スキルを授かるとは、すなわち神に才能を認められるということ。


 貴族は代々、スキルを得られる“血”を継いできた者たちだ。

 だからこそ、貴族の子がスキルを得るのは当然のこととされ、実際これまで例外はなかった。


 だが、彼らはそれを“信仰の結果”とも捉えている。

 血と才に恵まれていても、神への祈りを怠ればスキルは授からない――そう信じているのだ。


 貴族の生まれならスキルを得るのは当然のことだが、慢心せずに神に祈れ。……両親に何度も言われた言葉だ。


(……スキル?……ゲーム、か?……)


 そして今、祝福の儀が始まろうとしている。


 

 礼拝堂の天井は高く、石造りの壁には古びたタペストリーが掛かっていた。

 中央には、大理石でできた祭壇。

 その奥に、天を包むように両手を広げた女神像が静かに佇んでいる。


 ステンドグラス越しの光が床に色を落とし、堂内の空気はぴんと張りつめていた。


 僕は、その真ん中にひとりでひざまずいていた。


 膝をつき、うつむき、目を閉じる。

 そして言われたとおりに、祈る。


 神官の低い祈りの声が、礼拝堂に反響する。


 やがて、その声が一度すっとむ――それが合図だった。

 僕は顔を上げる。

 天井から、淡い光が降りてきた。


(……まるで……シャワーみたいだ……)


 光は、すうっと肌を通り抜けていく。

 何かが体中に染み込んでいくような、微かな感覚だけが残った。

 

 ……だが、それだけだった。


 女神像が輝くこともなければ、脳内に力の使い方が刻まれることもない。

 祈りの中で、ただ時間だけが過ぎていく。

 

 ――聞いていた話と随分ずいぶん違った。


 しばらくして、祈りの声が止む。

 

 礼拝堂が静まり返る。

 神官は顔を青くしながら沈黙し、両親も言葉を失っている。


 誰も何も言わない。


(……お通夜みたい……だな……)


 そんな重苦しい沈黙の中、父が前に出てきて、しゃがみこむ。

 

「気分転換に、町の外へ出てみよう」


 そう提案され、黙ってうなずく。


 差し伸べられた手を取ると、少し震えているのが伝わって来た。顔色も少し悪い。だが、目の光はまだ失っていかった。


 僕が町の外に出るのはこれが初めてになる。外は危険だからと、覗き見る事すら禁止されていた。


 外に出て、何かが変わるのだろうか?

 

 疑問に思いつつ、父についていく。


 そして門が開き、外の世界が視界いっぱいに広がる。


 風に揺れる草。耕された畑。町を囲うように置かれた柵。

 ――その遥か向こうに広がる、濃い影を落とす不気味な森。

 

 奥から、何かが、こちらを見ていた。


 まとわりつく黒い毛並み。逆立つたてがみ

 鋭く光る双眸そうぼうが、柵の向こうから僕を射抜いた。


 動けない。

 心臓が冷たく握り潰されるような錯覚。

 大気が震え、呼吸が止まる。


(……あれは、まさか……)


 死そのものが獅子ライオンの姿となり、喉元を食いちぎろうと襲いかかってくる光景を幻視し――意識を失った。





 


「――ッッ!! うっ、ごほっ、ごほっ……! はあっ、はあっ……」


 締めつけられていた心臓が、今にも破れそうなほど激しく脈を打つ。


 脳に直接叩き込まれた“死”の感覚。

 恐怖という感情が駆け巡り、体が震えて止まらない。


 ……いや、そんなはずがない。俺は、あの魔王ですら倒したんだぞ……? それに俺にはアイツが……。


 頭では理解している。分かっているはずなのに――体が言うことを聞いてくれない。

 文字通り、体が自分のものじゃないような、曖昧あいまいな感覚だけがあった。


 「はあ、はあっ……ふう……」


 呼吸に意識を向けると、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 だが、震えだけはまだ止まりそうにない。


 ……まずは、今の状況を整理しよう。


 たしか俺は――そう、事故にあったんだ。

 トラックに轢かれて意識を失って――


 気づけば、この体だった。

 

 ……転生か。それとも憑依ってやつか?

 

 戸惑いながらも視線をゆっくり巡らせる。

 

 俺が寝ているベッドのほかには、石の机と椅子、縦に積まれた収納用の箱。どれも無骨な造りで、飾り気はまったくない。


 壁も天井も、灰色がかった石材で統一されていた。隙間ひとつ見当たらないその造りは、冷たく、そしてやけに堅牢だ。


 電球は見当たらず、窓の隙間から差し込む自然光だけが、室内をうっすら照らしている。


 日本じゃまず見ないタイプの建物だ。けれど何故か、ここが“自分の部屋”という感覚はある。


 そして――俺の体。


 ……小さいな。手が、こんなにも小さくなってる。


 恐る恐る触れて確かめる。

 柔らかく、頼りない、子どもの手だ。


 それに……この体には、がある。俺がとして生きていた、そんな記憶が、はっきりと存在している。


 ……これはもう転生で確定、かなぁ。


 一体何でこんなことになっちまったんだろう。

 まぁ、明らかにあの時油断してた俺が悪いんだけどさぁ。


 はぁぁぁ~~……。


 深く、長いため息をついた。


 そのときだった。ドアの向こうから、誰かの声がした。


「……クロウちゃん。もう起きてる……か、な……?」


 戸が開き、声の主と視線が合う。


 長いホワイトブロンドの髪、やわらかな目元、そして二つの大きなふくらみが特徴的で――って、それは今はどうでもいい。

 俺の母さん、シシガルド・レオニル・フェリア、だ。


 記憶が少し曖昧だけど、間違いないはず。


 それに、彼女の後ろには――


「うっ、ううっ、よかったよぉーーっ!!」


 次の瞬間、涙目の母さんが勢いよく胸に飛び込んできた。

 いや、むしろ胸を押し付けられてるというか――ちょっ、く、苦しい!


「あーもう、こらこら。落ち着いてってば。強く抱きしめすぎたらまた倒れちゃうだろ」


 そう言いながら、母さんの背をなだめるように撫でる男がひとり。


 メガネ越しの理知的な黒い瞳。ダークブラウンの髪。

 俺の父さん――シシガルド・レオニル・シェルヴァン、だな。


 その手がやさしく母さんを落ち着かせ、やがて、拘束は緩まっていく。


 た、助かった……。


 そして父さんも、母さんごと俺をそっと抱きしめる。腕から伝わる二人の想いが、じんわりと心まで染みていく。

 

 ――ああ。あったかいな。


 気づけば、さっきまで震えていた体はすっかり落ち着いていた。


 そのまま温もりに包まれて――俺はもう一度、眠りへと落ちていった。


 



 ◇◇◇


 夜。

 俺はふと目を覚ました。


 部屋の灯りはなく外も真っ暗。けれど、微かに声が聞こえる。


 ……こんな時間に何を話してるんだ?


 布団を抜け出し、そっとドアの前へ。

 感覚を鋭く尖らせ、耳を澄ませる。


「……クロウちゃんが祝福の儀で、スキルが現れなかったのって……」


「……やはり、貴族の子としては異例か……」


「……体が弱いのかしら。外に出た途端に倒れたって聞いて。……もう、心配で、心配で……」


「……あの子には、もう無理はさせたくない。家の中で静かに過ごしてもらおう。……“病弱”ということにしても、いいかもしれないね」


 ――その言葉が、胸に刺さった。


 俺を守るために、外の世界から遠ざける。

 つまり、鳥籠の中に閉じ込めておくって話なんだろう。


 正直、怒ってもいい内容だ。

 だが、不思議と腹は立たなかった。むしろ、納得している。


 二人両親にしてみれば、それが最善だったんだろう。


 ……この世界は残酷で、危険に満ち溢れているからな。

 


 クロウとして過ごした時間、記憶。蓄えられた知識。

 そして、あの黒いライオンの正体。


 それら全てを繋ぎ合わせたとき、浮かび上がるのはたったひとつの真実。


 ここは〈ユニファン〉

 ――俺が何百時間も遊んだ、あのゲームのだ。


 そして、ここ“レオニルの町”。

 地図の端に位置する辺境の街で、ゲームの後半にようやく訪れる高難度エリアのひとつだ。

 

 しかも、そばに存在するのは最難関ダンジョン――<獣王の黒牢森>。

 黒きライオンが徘徊し、高レベルの魔物がうようよいる森だ。


 もし魔王の復活に合わせて、最難関ダンジョンでスタンピード魔物の狂乱が起こってしまえば、近隣の街は例外なく壊滅する。


 もちろん、必ず起こるとは限らない。だが、ひとたび発生すれば、まず助からない。

 

 つまり――この町ごと、みんな全滅してしまう可能性が高いってことだ。


 ……でも、今の俺にはどうすることもできない。


 この体――シシガルド・レオニル・クロウ、か。 

 もちろん、“シシガルド家”という貴族名には覚えがある。

 だけど、こんな名前のキャラなんて聞いたこともない。


 ゲーム的に言えば、完全なモブキャラだ。


 ……今の、クロウじゃ……誰も助けられない。


 かつて、俺は世界を救った。

 剣を振るい、敵を殺し、魔王を討った。

 ――でも今は? スキルすら持たない、ただの子どもだ。


 拳を握る。けれど、力は入らない。


 ……俺は、一体どうすればいいんだ?


 答えの出ない苦悩が、いつまでも頭の中で反響していた。

 

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異世界帰りの勇者、RPG世界でモブ転生 ヒカリ @hikari1023214

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