第10話

「よし……できたわ」


 詩兎は達成感に満ちた声で呟く。

 

 研磨作業を始めてしばらく経ち、竜眼石全体の艶と輝きが均一になったところで詩兎は作業を終了した。

 

 輝きを放つ赤い炎の石は明日の昼にはここを発つ。

 王都の中心部にそびえる王城はここから馬車で半日ほどかかり、受け渡しが明後日であることを考えると明日の昼にはここを出発し、一泊して約束の時間に備えるのが普通だ。


「お疲れ様です、お嬢様。もう遅いですから、ご自宅までお送りしますよ」


 炎瑛は椅子から立ち上がり、詩兎に言った。


 詩兎が作業している間、炎瑛は黙って作業を見ているだけだった。

 詩兎も作業を始めてしまうとあまり周りが気にならなくなる質なので、多少の視線がくすぐったく感じるものの、問題なく作業を終えることができたので一安心だ。


 既に夜は更け、遅い時間だ。


 詩兎は急いで片付けを済ませ、石を入っていた箱に慎重に戻し、戸棚の中に仕舞って鍵をかける。


「お疲れ様です、お嬢様」


 二人しかいなかった空間に聞き馴染んだ声が響く。

 そこにいたのは天音だ。


「今日の見張りは天音だったわね。よろしくお願いね」


 竜眼石は採掘量が制限され、貴重で高価だ。

 過去にはこの工場に盗人が入ったこともあり、見張り役を置いている。


 信用のある日雇いを三人と若くて体力に自信があるという天音が志願してくれたので四人が日替わりで担当してくれているのだ。


「お嬢様は俺がお送りするのでご安心下さい」


「よろしくお願いします」


天音は炎瑛に深く頭を下げる。


詩兎は炎瑛と共に工場を離れ、緩さかな坂道を下りながら邸を目指す。


「お嬢様、足元に気を付けて下さい」


「大丈夫よ、明るいもの」


空には月が昇り、拓けた道を明るく照らしてくれているので足元ははっきりと見えていたので転ぶ心配はない。


「いえ、歩きながら寝てしまいそうな顔をされているので」


「確かに眠いけど」


 揶揄いめいた炎瑛の言葉に詩兎はイラっとする。

 純粋な心配からくる言葉じゃなく、詩兎を小馬鹿にして揶揄っているように感じるからだ。


「一瞬寝ながら歩いているのかと勘違いしてしまいました」

「そんな器用なことできないわよ」


 詩兎が炎瑛の冗談に反射的に言い返した時だ。


 ツンっと爪先が地面の窪みに引っ掛かり前のめりに身体が傾く。


「きゃあっ」


 身体が大きく傾き、そのままみっともなく地面に倒れる自分を予想して詩兎は手を前に突き出した。

 せめて顔から地面に突っ込むのは避けたい、その一心である。

 身体は小さな衝撃を受けて地面よりもずっと手前で止まった。

 

「ほら。気を付けて下さいと言ったばかりではありませんか」


 自分の顔の真上から声が降ってくる。

 身体がぶつかったのは硬くて冷たい地面ではなく、炎瑛の身体だった。

 意外にも逞しい腕に抱き留められ、詩兎は地面に転がることを避けられた。


 詩兎の身体を腕一本で難なく支えられるくらいには炎瑛の腕は逞しく、詩兎の身体を引き寄せたことで炎瑛の体温を衣類越しに感じてしい、詩兎はドギマギしてしまう。


 「お嬢様? 大丈夫ですか?」


「え……えぇ……あ、ありがとうございます」


 異性とこんなに密着したことのない詩兎は緊張してぎこちない返事になってしまった。

 

 離れないと……。


 詩兎は炎瑛から離れようと炎瑛の腕を解こうとするが、がっちりとしている炎瑛の腕はなかなか解くことができない。


「あの、ありがとうございました。ですが、もう大丈夫ですので……」


 詩兎は顔を上げて炎瑛に視線を向ける。

 すると思った以上に近い距離に炎瑛の整い過ぎた美貌があった。

 

「炎瑛殿……?」


 薄い黄色の瞳がじっとこちらを見下ろていて、詩兎の心臓が途端にうるさくなる。


 そしてその瞳が詩兎の視線を絡め取り、思考を奪おうとするのだ。

 

「そろそろ離して下さる?」


 思考が溶けそうになる前に詩兎は突き放すような声音で言った。


 すると炎瑛は口元に弧を描き、詩兎から身体を離した。


「あなたの言う通り、足元には気を付けなくてはね」


「えぇ。そうして下さい。転んだ拍子に道に穴が開いてはいけませんし」


「何が言いたいのでしょうか?」


 こめかみがヒクヒクと跳ねる詩兎に炎瑛は無言で輝く笑顔を向けてくる。

 

 だから嫌なのだ。

 何を考えているか分からない上に、親しくもないのに詩兎を揶揄ってくる。

 

 私はあなたにそこまで気を許してはいないわ。


 喉元まで出かかった言葉を詩兎は何とか飲み込んだ。

 

 これでもお得意様の遣いだ。

 相手がいくら失礼であっても寛大な心をもたなくてはならない。


「あなたこそお気を付け下さい。夜道は危険ですから。女性と間違われて襲われることがないように」


 皮肉を言う詩兎に、炎瑛はふっと笑んだ。


「そうですね。この美貌は蝶だけでなく不躾な輩まで引き寄せてしまうので」


怒るわけでも否定するわけでもなく、自分の顔の良さをさらりと肯定する。


確かに、炎瑛の顔立ちは中性的で美しく、国中を探してもこの美貌に打ち勝てる者がいないかもしれない。


自分の顔の良さをこうも自信たっぷりに言われるとそれなりに腹立たしいと感じるのは私だけかしら……?


「まぁ、平凡な容貌のお嬢様には理解出来ないかもしれませんが」


要らぬ一言である。

さすがに詩兎もカチンと来る。


「どうされました?」


「いえ、蝶も甘い蜜花かと思えば棘ばかりで食うにも食えず、不躾な輩も口の減らない男が相手では気の毒かと……同情していただけです」


「美しい花には棘があるものですよ」

「あなたの場合は棘だけでなく毒もありそうですね」


美しく甘い蜜のような微笑みの裏側で一体何を考えているのか分からない不気味さが炎瑛にはあるのだ。


底の知れぬ男だと詩兎は感じている。


詩兎の刺々しい言葉を浴びても炎瑛はにっこりと微笑み『お嬢様ほどではありませんよ』などと意味が分からないことを言ってくる。


そんなやり取りを繰り返しているうちに自宅が見えてきた。

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