第9話
12年前。聖飛は琥鉄の車に乗せてもらい、東区と北区の境にある漁港に向かっていた。
聖飛は車窓から景色をニコニコした笑顔で見ていた。
漁港に着くと、車が止まった。
「聖飛、降りな」琥鉄がシートベルトを外しながら、聖飛に言う。
「うん」聖飛はシートベルトを外して、ドアを開けて、外に出た。
琥鉄はエンジンを切り、ドアを開けて、外に出て、鍵を閉めた。そして、聖飛の手を握り、歩き始めた。
数分程歩くと、二人の視線の先に老人が立っていた。
「爺ちゃんー」聖飛は飛び跳ねながら、老人に手を振っている。琥鉄は軽く会釈をしている。老人の正体は、聖飛の祖父・海野克彰だった。
「お、来たか」克彰は笑顔で手を振り返す。
聖飛は克彰に駆け寄り、抱きついた。克彰は聖飛を抱きかかえた。
「琥鉄さんに送ってもらったんだ」
「そうか、そうか。聖飛、今日はお前にいいものをやろう」克彰は抱き抱えている聖飛を降ろした。
「いいもの?」
「そうだ。とびっきりいいものだ。欲しいだろ」
「うん!」
「それじゃ、俺はここで」
「すまんな」
「いえ。それじゃ」琥鉄はその場から立ち去って行った。
「じゃあ、行くか」克彰は聖飛の手を握った。
「うん」
二人は歩き始めた。聖飛は期待に胸を膨らませながら、克彰と手を繋ぎ合っている手を大きく振る。克彰もそれに答え、大きく手を振った。
五分程、歩くと木製の小屋が見えてきた。
「あそこにあるんじゃ」克彰は立ち止まり、屈み込み、小屋を指差した。
「そうなの?早く行こう」聖飛は克彰の手を引き、小屋に向かって走り出した。克彰は老体に鞭を打ちながら、聖飛と一緒に走った。小屋の前に着くと、二人は立ち止まった。克彰は手を膝に置き、何度も呼吸を繰り返し、息を整えようとしている。それに比べて、聖飛は息を一つも切らさずにいた。
「お爺ちゃん大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」克彰は苦しそうな表情を浮かべながら、聖飛にサムズアップをした。
息を整え終わった克彰は、ズボンのポケットから、鍵を取り出し、ドアの鍵穴に鍵を差して、ドアを開けた。
二人は小屋の中に入った。小屋内の中央にはテーブルが置かれていた。テーブルに下には絨毯が敷かれている。壁には、魚拓などが貼られている。そして、釣り道具などを壁にもたれかけさせている。
「何もないよ?」聖飛は不満げに言った。
「このままだったらな」
「このまま?」
「まぁ、ちょっとそこで見てなさい」克彰は聖飛に壁際に行くように指示した。聖飛は指示通りに壁際に行き、克彰を見ている。
克彰はテーブルを一人で動かし、敷かれている絨毯を剥がした。すると、隠し扉のようなものが現れた。
「なにそれ?」
「隠し扉だよ」
「映画みたい!」聖飛は克彰のもとへ駆け寄り、隠し扉を見つめている。
「お前に渡したいものはここにあるんだ」克彰は隠し扉をトントンと叩いた。
「開けて開けて」聖飛は興奮気味に克彰にドアを開けるように催促する。
「慌てるな、慌てるな」克彰は、隠し扉を開けた。すると、地下に通じるであろう階段が現れた。
「すげえ」
「降りるぞ」
「うん」
二人は階段を降り始めた。
階段を降り切ると、そこには地下室があった。
克彰は部屋の電源を点けた。
聖飛は部屋中を見渡した。部屋の中にはテーブルや本棚が置かれており、壁にはダイオウイカの魚拓などが飾られている。
「ひろーい。スパイのアジトみたい」
「凄いだろ」
「うんうん」聖飛は何度も頷いた。
「気に入ったか?」
「うん。それで、何をくれるの?」
「ここだ」
「ここって、どう言う事?」聖飛は不思議そうに訊ねた。
「この地下室。隠れ家をあげるって事だ」
「……本当に?」聖飛は疑いの目で、克彰を見つめた。
「あぁ、本当だ」克彰は優しく微笑んだ。
「やったー」聖飛は走り回り、時折、跳ねたりして、喜びを表現していた。
「でも、約束を守ってくれないとあげないぞ」
「……なに?」聖飛は立ち止まった。
「ちょっと来なさい」克彰は聖飛に手招きをした。聖飛はテクテクと歩きながら克彰に近づいた。
「約束を守るって約束できるか?」
「うん。まもる」聖飛は元気よく返事をした。
「それじゃ、約束を伝えよう。まず、一つ目はここを大人に教えてはならない。お母さんにもお父さんにも」
「なんで?」
「隠れ家にならないだろ」
「そっか」聖飛は簡単に納得した。
「二つ目は信頼した友人しかここには入れてはならない」
「……むちゃくちゃ仲のいい友達以外はいれちゃダメってこと?」聖飛は首を傾けながら訊ねた。
「そうだ。大勢の人が知ってたら、秘密ではなくなるだろ。どんな事でも」
「そう言う事か」
「どうだ?守れそうか?」
「……うん。絶対守る」聖飛は真剣な表情で宣言した。
「指切りげんまんをしようか」
「うん!」聖飛は小指を克彰に向けた。克彰も小指を出し、聖飛の小指と絡めた。そして、二人は「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲まーす。指切った」と言いながら、手を振った。
「よし、これで、今日からここはお前のものだ」
二人は絡めている小指を解いた。
「やった」聖飛は両手を何度も上げ下げしながら喜んだ。
「あと、ちょっとだけ爺ちゃんの話聞いてくれるか?」
「うん。いいよ」
「あぁ。今から言う言葉を覚えてほしいんだ。今は意味が分からなくてもいいから」
「頑張る」
「偉いぞ」克彰は聖飛の頭を撫でた。聖飛は、照れているのか顔が赤くなっている。
「それじゃ、言うぞ」
「うん。わかった」
「目に見えているものが全て真実とは限らない。提示されている情報が全て正しいとは限らない。自分で考え、調べ、感じて、正しいと思った事だけを信じろ」克彰はゆっくりと語った。
「長いなーでも、覚える」
「あぁ、いい子だ。それじゃ、また言うぞ」
「うん」
聖飛が克彰からあの場所を譲り受けてから数日が経った日の朝。
海野家親子はリビングで朝食を食べていた。すると、インターホンが鳴った。
卓が立ち上がろうとした。しかし、佳奈美は「私が行くから」と言いながら手で、卓が立ち上がるの制しながら、立ち上がった。そして、リビングから出ていった。
玄関の方から男の声が聞こえる。
聖飛と卓は食事を再開した。
玄関の方から、ドタンと何かが床に強く当たる音がした。
卓は立ち上がり、玄関に向かう。聖飛も立ち上がり、リビングのドアから玄関の様子を見つめている。
玄関では男が佳奈美に向かって、頭を深く下げていた。佳奈美は両手で顔を隠しながら崩れ落ちていた。卓は佳奈美の背中を摩っていた。
「……すみませんでした」
「……お父さん」佳奈美の背中は震えていた。
「お母さん、どうしたの?」聖飛は佳奈美に歩み寄り、訊ねた。
「……お爺ちゃんがね。遠い遠い所に行ったんだ」
卓は佳奈美の代わりに答えた。卓の涙腺は今にも崩壊しそうなほどに緩んでいる。
「……戻って来るんだよね」
「もう、戻って来ないんだ」卓の目から涙が頬に伝っていく。
「なんで?もう会えないの?」
「……当分の間ね」
「なんで?なんで?」聖飛は卓の言葉の真意が分からず、何度も、何度も、訊ねた。
「……大丈夫。いつか、きっと会えるから」卓は涙を流しながら、聖飛を優しく抱きしめた。
「……お父さん?」聖飛は卓の涙を手で拭った。
佳奈美に謝罪していた男は、轟丸の乗組員の一人だった。男は船が沖で転覆して、克彰が乗組員を全員助け、一人だけ海に沈んだのを報告しに来たのだった。
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