第35話【エピローグ】
【エピローグ】
突然の衝撃を受けて、僕はバチリと瞼を開いた。
眼前に何かがある。それが僕の顔に影を落としているのは分かるのだが、その正体が分からない。
「な……ん……」
「ひゃあぁあ!」
悲鳴が響き渡るのを聞いて、僕まで跳び上がりそうになった。そばにあった丸椅子が、がたん、といって倒れ込む。
事ここに至り、僕は大方の状況を理解した。
父に背中を撃たれて気を失った僕の代わりに、樹凛が二発を父に発砲。オッドアイを発動して、怪力で僕を回収し、あの地下空間から離脱したのだ。
僕は緊急手術を受けて、絶対安静の状況でベッドに寝かされた。そんな僕を、樹凛がそばで看病してくれていた。……ってことなんだろうな。
もちろん、それは有難いし感謝すべきことだ。僕がこうして意識を取り戻すまで、ずっとそばにいてくれたということもあるし。
だが、樹凛にはもう少し考えてほしかった。あまりにもリアクションが派手じゃないか。
じっと顔を覗き込んでいた相手が突然覚醒したら驚くだろう。それは分かる。
でも、僕だって情報を一気に叩き込まれて脳内大わらわなのだ。一方的に悲鳴を上げられても、正直困る。
「樹凛、大丈夫……?」
「だっ、大丈夫じゃない! いきなり目を開けないでよ!」
きゃんきゃんと騒ぐ樹凛は、反対側の壁に背をつけて拳を振り回した。
ああ、そうか。ここは建物の中、病院か。自分が快適に横たえられていることと、薬品臭がすることから、僕はそう判断した。
個室待遇とは有り難いが、誰の差し金なのだろう? 見当がつかない。というか、それよりも――。
「ここは安全なのか?」
「ったくもう! 大丈夫だよ、さっき警察の人が来てくれたし、神様も挨拶していったから」
「神様が?」
僕はぞっとした。僕や樹凛を殺傷しようとしたあいつが?
「ああ、ごめんごめん! 碧くんは知らないんだよね。東アジア担当の神様は交代になったの。今このあたりの安全保障は、女神様が担当してる」
「へえ。じゃあ僕にも面識のあった彼は?」
「別な星に左遷だって」
「ふぅん……」
ざまあみろと思わないでもないが、根っからの悪人(悪神?)ってわけでもなさそうだったしなあ。まあ、精々頑張りたまえとしか言えない。
ひとまず僕は、自分の身体に異常がないことを確かめてから頬をつねってみた。
痛い。夢ではない。
入院していることも、魔眼を使う戦いに巻き込まれたことも。
「じゃあ、今のあたしたちの状況を説明しようと思うんだけど」
仕切り直しに、ベッドわきの丸椅子に腰を下ろす樹凛。コホン、と空咳をして、落ち着いた調子で語り始めた。
※
白亜と黒木は、独断専行が過ぎたということで天国で叱責された。しかし悪い神様に対して反旗を翻したことは評価された。よって、立場は現状維持。賞罰なし。
それに前後して、僕らの戦闘を目撃してしまった地上界の人々の記憶は、女神様がきっちり改竄してくれたという。
とはいえ、怪我人の傷が一瞬で治癒されたわけではないし、死者が戻ってくることもない。
エルフたちに死者はなし。だが、地上界では決定的な死者が出てしまった。
一人目は、葉桜浩一。日本総合技術研究所の関東支部長。
父がそんな地位に上りつめていたとは、俄かには信じがたい。いや、研究第一という姿勢を貫いたのだとすれば、まだ想像がつくか。
問題は二人目だ。これは早々に樹凛に伝えるべきだと思うのだが……。
「……ねえ樹凛。よく聞いてほしいんだけど」
「うん?」
「その……。亡くなった人間はもう一人いるんだ。警察官でも自衛官でもなくて……。彼の、名前は――」
喉の奥が酸っぱくなって、僕はさっと胸元に手を当てた。
言わなければ。誰かが伝えなければならないというなら、僕が。
「西浦剛、だよ」
一瞬、奇妙な沈黙が病室に満ちた。
少しばかり驚いた表情で、樹凛は僕を見返している。
「ああ、そう……。そんなことだろうと思ったけど」
身体がゴーレムになってしまっているんだから、そりゃあ破壊されるしかないよね。
それだけ言って、樹凛は腰に手を当てた。やれやれとかぶりを振っている。
自分の感情を押さえ込もうとしているのだろうか?
「あいつは、純粋に君のことが好きだったみたいだ」
ぽつりと呟くと、樹凛は余計に顎を引いて固まってしまった。
驚きや混乱ではなく、落胆。または絶望。
僕には彼女が、自分でもどうしたらいいのか分からない状態に見える。
キッと目だけを上げて、樹凛は僕を見た。
「まさかとは思ってたけど……。あたしの写真がどうこうっていうのは、やっぱり西浦の嘘だったの?」
「うん。君の気を引きたくて、わざわざ大袈裟な嘘をついたらしい」
これが、ゴーレムにされてまともな思考回路も持てない西浦が、最期に僕にだけ明かした真実だ。
いくら僕たちがいじめっ子といじめられっ子の関係だったからといって、軽々しく扱っていい事柄ではない。
僕がすっと一瞥すると、樹凛は窓の外に目を遣っていた。夕日が眩しく、美しいけれど目にはよくないんじゃないだろうか。
そんな僕の心配をよそに、樹凛は顎に手を当てて、何かについて考えこんでいる様子。
「あのさ、樹凛」
「……何?」
「いや、ごめん、なんでもないよ」
「碧くんが気にすることじゃないよ。あたしだって、ずっと頭の中がね、回ってる、っていうか、その……。怖くて」
僕は軽く身を乗り出した。怖い? どういう意味だ?
僕の疑問を綺麗に掬い取り、樹凛はこう言った。
「あたしも碧くんも、いわゆる優等生って扱われてきたけど、実際、少なくともあたしは優秀でも何でもないんだな、って。こんな暴力を振るっちゃうんだから、人間ってわけが分からないよね」
「うん……。でも、僕たちの場合は仕方なかったんだよ。戦わなかったら、今頃撃たれたり、悪い魔法をかけられたり、ゴーレムに押し潰されたりしていたかもしれない」
まあね、と言いながら、樹凛は肩を竦めた。
「碧くんのそうやって悩むところ、あたしは好きだけど?」
突然の言葉に、僕は急に血圧が上がったように感じた。
何の脈絡もなく、いったい何を言い出すんだ、樹凛は。
そんな幼馴染がいてくれることに感謝しつつ、僕も眼鏡をかけ直し、しばし夕焼雲を眺めることにした。
THE END
僕と魔眼の危ない話 岩井喬 @i1g37310
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