第22話


         ※


 マズい。マズいマズいマズいマズい!

 この期に及んで、僕はようやく自分たちが法に触れる破壊活動を行っていたことに気づかされた。

 崩落したトンネル、周辺の血痕、数名の負傷者、謎の時間遡行現象。

 これだけ異常現象が発生しているのだ。警察が動かないわけがない。


 きっとこの家も、何らかの原因で調査対象になっていたのだろう。もしかしたら跡をつけられていたのかもしれない。


 ドンドンドンドン、と乱暴なノック音がする。合間には『開けなさい!』だの『その場を動かないで!』だのと、穏やかならざる怒声が挟まっている。

 インターフォンは切ったものの、そのせいでなにか邪なことをやっているのでは、という疑いに拍車をかけてしまったかもしれない。


「皆、裏口へ――」


 と言い切る前に、裏口に別動隊が到着したことが分かった。家庭菜園(という名の雑草畑)を踏みにじって、刑事たちが息を潜めている。


 これではやられる。だが四方八方を包囲されて、どうやって逃げろというんだ。

 僕が半ば自棄になった時、白亜と黒木が緊張で張り詰めた顔をしながら頷き合うのが見えた。


「白亜、黒木、君たちの力で何とかならないか?」

(ああ、ちょうど話がまとまったところだぜ。碧、取り敢えず西浦を担げ)

「え? 黒木、それはどういう……?」

(嬢ちゃんは俺が連れて行く)

(あとはわたくしが道を開きます。場合によっては負傷者が出るかもしれませんが、よほどの非常時でもなければ気絶で済ませられます。よろしいですね、碧?)


 頷きかけた僕は、はっとして顔を上げた。


「まさか、刑事さんたちを殺しちゃうような……」

(不殺について、最善は尽くします。それよりも、ひとまず人間であるお三方には、一旦天国にまで退避していただきます)

(俺がエスコートする)


 言うが早いか、黒木は僕の足元に向かって光弾を発射した。床に当たって魔法陣が展開される。


「うわっ!?」

(そうビビるなよ。ひとまずここの天井を破って、俺が樹凛、碧が西浦を天国へ退避させる。その間、白亜には非殺傷魔法弾による牽制任務を任せる。お前らを届け終わったら、俺は白亜の援護のためここに戻る。俺と白亜が無事逃げ切ったら、今後のことを考える。それでいいか?)

「了解!」

(よし)


 黒木は厳しくも満足げな表情を浮かべた。僕にも少しは度胸がついた、ということだろうか。

 すると、足元が大きく波打った。黒木が先ほど僕の足元に撃ち込んだ魔弾が、魔法陣のように展開したのだ。円盤のようにふわり、と浮き上がる。


(そいつに乗りな。碧はデカい方だ。小さい方には俺が乗って、先行・誘導する。いいな?)

「りょ、了解!」

(そんじゃ、一発やりますか)


 言うが早いか、黒木は右腕を高く掲げた。呪文の詠唱はなし。そのまま右の掌に緑色の光球が形作られていく。


(ふっ!)


 黒木が大きく息をつく。すると光球は真っ直ぐに昇っていき、この家の天井を打ち破った。

 静音仕様なのか、音は聞こえない。完璧な通路確保だった。


(ほら、行くぞ碧! お前だって天国に一時的にいたんだから、いつも以上の力は出せるだろう?)

「ああ、甘く見ないでくれ! それより、早く出発してくれよ!」

(はっはぁ! 言うようになったじゃねえか! 多少荒っぽい操縦になるが、勘弁なっ!)


 うむ。黒木にはそう来てもらわなければ困る。

 形としては、黒木の乗る小さい魔法陣から糸が何本も発せられていて、その一本一本が大きい魔法陣、すなわち僕と他二名の足場となるわけだ。


(黒木! 碧! 任せましたわよッ!)

(おう、任せとけ、白亜!)


 そんな意志疎通があってから、僕は眼下を見つめ続けた。

 天井から屋上に出た白亜が、原理不明の飛行技術で刑事たちを翻弄しつつ、両手を前に突き出す。

 その掌からは、まるで小さな、しかし確かな質量を持った緑色の手裏剣のようなものが発せられている。

 手裏剣一つ一つが、それぞれ別な警官の眉間めがけて飛翔していく。


 あたりはあっという間に血の海となった。理由は単純で、人間の身体構造上、眉間を負傷した時の出血量が多いからだ。大した負傷ではない。

 それでも自らの負傷原因が分からない、というのは大きなストレス、プレッシャーになる。お陰で刑事たちは混乱、指揮系統は滅茶苦茶。こうして今回、僕たちは無事脱出することができた。


         ※


 そこから先は味気のない展開だった。

 僕は少しばかり、どうやって地上界から天国へ行くのか気になっていたのだが、それが期待したほどのものではなかった。


「こ、この輪っかをくぐればいいのか?」

(だからそう言ってるじゃんか! ほら、さっさと行きな)


 僕たちの眼前には、大きな輪っかがドドン、と佇んでいた。風や天気、重力などの外部の環境を見事に無視して、微動だにせずに浮いている。輪っかの反対側には、宇宙を背景にオーロラが映り込んだかのような、美麗な映像が流れている。


 僕がぽかんとしていると、後ろからいきなり吹っ飛ばされた。


(さっさと行きなよ! すぐに扉の下に着くから)

「わ、分かったよ!」


 僕が足を差し出すのに合わせて、足元の魔法陣も移動する。ほっとした。

 それでも僕は『急がば回れ』を体現するように輪っかを通過した。一輪の風がそっと僕の頬を撫でていく。

 そんな僕を出迎えてくれたのは、大きな神々しい扉だった。最初に天国を訪れた時に通ったものだ。


「おっと!」


 踏んで歩くことのできる雲に到達した僕の足元からは、既に魔法陣は消滅していた。

 西浦をぶちのめすために地上界に降下した時、僕は暴走状態だった。そこで魔法陣やらなにやらを考える必要がなかった、と。要は気力ということか。


 それは後から聞いた話で、僕はとにかく黒木が白亜を連れて無事帰ってくることを祈っていた。そして一瞬で、その願いは達せられた。


(ああっ、たくもう! 人間相手に手加減してる場合か、馬鹿!)

(申し訳ございませんわ……。まさか人間があんな兵器を開発していたなんて……)


 ゲホゲホと咳き込む白亜。黒木と違い、だいぶダメージを受けてしまったように見える。


「あの、白亜、大丈夫……?」


 しかし、語り出したのは黒木だった。


(対魔術弾頭。早い話、あたいらの結界を破ったり、魔弾の軌道を歪ませたり、治癒能力を無効化したりする特注品だ。人間ってのは、こういうあたいらの模倣は上手いんだよな……)


 白亜をゆっくりと横たえながら、黒木は淡々と語った。


(去年まではロンドンとパリとニューヨークの特殊部隊にしか配備されてなかった。それがいつの間にやら、日本でも配備が進んでいたとはねえ……)


 この分だと、東京や大阪、名古屋に北九州も怪しいな――。

 そう呟いた黒木の横顔を見て、僕は自分の頭から血の気が引いていくのを感じた。


(なあ、ちょっといいか?)


 黒木は立ち上がり、そばにいた小柄な天使の手を引いた。それから額を寄せ合うような動作をする。この動作は確か、何かを伝え合っている時のものだ。

 今まであったことを伝えるのに、口頭で述べるよりこうやって念じる方が手っ取り早いのだろう。


(それじゃ、白亜の面倒、頼んだぜ)

(了解です!)


 黒木が勢いよく腕を伸ばすと、その先に円形の物体が展開された。さっき使った輪っかだ。


(ちょっくら出てくる。今、そこの佐藤ってやつに世話頼んだから、不都合があったら言ってやってくれ)

(よろしくお願い致します)

「あ、ああ、よろしく……」


         ※


 佐藤の協力を仰ぎつつ、気を失っている人間二人・天使一人の面倒を看ることしばし。


(ちーーーっす)

「あっ、黒木! よく戻ってくれた、皆が――」

(なあんだ、元気そうじゃねえか。佐藤、世話かけちまったな。あとは俺と碧でなんとかするぜ)

(了解です! また手伝えることがあれば、いつでも呼んでください!)

(おう、サンキュ)

(ではでは)


 僕は佐藤の背中を見送り、はっとして黒木に向き直った。


「黒木! 遅かったじゃないか、僕一人で心細かったっていうのに……」

(いやあ、悪い悪い。いろいろ思うところがあってよ)

「思うところ?」

(ああ。対魔術弾頭の配備先を調べてきた)


 僕は胃の奥底が、ぎゅるりと捻じられるような感覚に陥った。自分のことではないというのに。


「状況はどうなんだ? マズいのか?」

(ふーむ、ま、次回の活動報告会で、一言言っといた方がいいだろうなあ。本当は人間に参加権はないんだが、そのへんで聞き耳立ててるくらいなら構いやしねぇだろう。その前に――)

「そ、その前に?」

(あの野郎、お目覚めだぜ)

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