#4
「えぇー?僕のピアノをタダ聴きするなんて贅沢だよー」
一瞬の沈黙の後、柳田はヘラヘラと笑ってキーボードの椅子に座ると、「これどうやるの?」と機材をガタガタと動かした。
「ここを押すと色んな音が出るよ」
意外にも柳田に声をかけたのは螢だった。螢は少し柳田の自信に怯えている様にも思えたが、それでも丁寧に説明する。
「ふーん……じゃあ教えてくれた御礼に、卑屈ニキが演奏曲選びなよ」
「あんまりクラシックは詳しく無いんだよね……」
「ふーん」
苦笑いする螢の言葉につまらなさそうな表情の柳田は、鍵盤の上に静かに手を置くと、ポロロン……と切なそうな音を鳴らす。
「じゃあショパンのエチュード、10-2で」
そう宣言して動き出した指先が白黒の鍵盤の上を流れると、柳田の顔つきが変わった。その表情は見たことの無い真剣さで、あの人懐っこい瞳に浮かんでいるのはいつもの冗談ぽさでは無く、哀愁と仄暗い光を含んだ妖艶な色である。
物悲しげでありながらとてつもない速さで動く指に弾かれた鍵盤は、一糸乱れずそのメロディーを奏でており、俺の喉はほぼ無意識にゴクリと鳴った。
柳田の一癖も二癖もあるあの自信は、単純な慢心ではない。
──こいつは、自分の才能を正当に評価し、並々ならぬ努力をしている──。
本能的にそう悟った俺は、手だけでなく全身でピアノに向き合う柳田を見つめた。
手元を見ているだけで目まぐるしいはずなのに、柳田は曲が持った侘しい情景を丁寧に紡ぐ。
──凄い。
嘘もお世辞も抜きで、心の底から感心する。
あっという間の演奏に度肝を抜かれた俺は、柳田の演奏が終わっても暫くどこか上の空だった。
それは昴や螢も同様で、柳田が椅子から立ち上がって仰々しくお辞儀をするまで金縛りのように動かない。
「あれー……お気に召さなかった感じー?」
それでも微塵も意に介さない柳田は、ケタケタと笑って冗談を言う。
「……いや、凄かった」
本来ならもっと最適な言葉を探すべきだろうが、何処を探しても俺の脳内にはこの言葉しか見当たらない。
「そうですね……」
「だな」
新井兄弟もやっと我に返ったのか、子供のように目を輝かせて笑う。
「はははっ!でしょー?……てか、この曲、青少年コンクールの優勝曲だしねー」
「青少年コンクールって、全国?」
「いや、もっとワールドワイド」
昴の問いにニンマリと口の端を釣り上げた柳田は、「だから音楽部はおままごとだって言ってるじゃん」と自慢げに胸を張った。
「さぁ先輩、これで僕をこのバンド……って、そう言えばバンド名なんですか?」
「……去年までは『オカバヤシホタル』だったが、まだ昴が入ってからは決まってない」
「『オカバヤシホタル』っ!!何それ、センスの欠片も無いバンド名」
俺の返答に腹を抱えて笑い転げる柳田を見て、俺はさっきほんの少しでもこいつを尊敬しかけた自分を悔やんだ。
「柳田くん、笑いすぎ。でも確かに……林先輩は卒業しましたし……バンド名、変えなきゃですね」
子供を宥めるように笑った螢は、楽しげな表情で俺を見る。
「そうだな……良い機会だし、考えるか」
「俺もバンド名に入って無いですしね」
「じゃあ『顔面偽善者卑屈ピアニスト』はー?」
「「センス悪っ!!」」
楽しそうにはしゃぐ3人を見て、俺は今年が高校生活最後なのを恨む。
もう少し遅く生まれていれば、少なくとももう1年は一緒に居られただろうに──と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます