四(後)
それから、その曲を浴びるように聴いていた。相変わらず、僕の心は沈みがちだったけれど、この曲を聴いている間だけは元気になれた。ただ、その曲に不満があるとすれば、田伏の歌声に歌詞がなく、ずっとラララとか、ウォウオウとかだったことだろうか。
そんな中、『剣と鞘』のニュー・アルバムは発売された。僕は当然フラゲ日にレコードショップに行き、大きく展開された新譜の陳列棚からCDを手に取った。目の前に、バンドメンバーと並んだ田伏の写真がある。それを見る僕のイヤホンで、田伏が歌詞のないあの歌を歌っている。
そういえば。
この曲は、いつか発売されるのだろうか。こんな風に、店頭に並ぶ日が。
僕はそうなるといいなと思う。この曲はとても良い。贔屓目なしにそう思う。この曲に田伏のあの躍動的な歌詞が乗れば、『剣と鞘』のファンならばたまらない一曲になるだろう。
だから、みんなにこの曲を聴いてもらいたい。
僕はCDをレジに持っていった。
ある日、野村さんから呼び出された僕は、待ち合わせ場所の喫茶店へと向かった。打ち合わせということだったが、僕は何を言われてもいいように心の準備をしていた。良い話が何か待っているとはとても思えなかった。単行本にならないとか、これ以上小説は雑誌に載せられないとか、そんな話くらいしかありえないと思えた。
「今回は、残念でしたね」
野村さんはそう話を切り出した。開幕早々の暗い話にジャブを喰らう。
「あ、まあ……、そうですね」
僕はなんとか答える。頭の中で悪い想像がむくむく膨らむ。こんなとき、僕は自分の想像力が憎くなる。
「それでですね、早速本題に入るんですけど」
僕はぎゅっときつく目を瞑った。南無三!
「……新しい仕事の依頼が来ていまして」
え?
僕はゆっくりと目を開けた。
「仕事の、依頼?」
「ええ。そうです」
見ると、野村さんはどことなく嬉しそうな顔だ。
「ど、どんな?」
「新しく発売するシングルの収録曲に、歌詞をつけてほしいという依頼です。クライアントは……言わなくてもわかりますよね?」
呆気にとられる僕の頭の中で、もうすでに聴きなれた『あの』曲が鳴り響く。
あの曲に、僕が歌詞をつける。いつか田伏が言っていた表現を思い出す。目を描き入れる、だったか。確か田伏は違う文脈で使っていたけれど、今の自分にはその表現がしっくり来た。
それは、この上なく魅力的な提案だった。あの曲に、自分の言葉を載せられる。自分の思いの丈をぶちまけられる。やってみたいと素直に思った。だけど同時にこう思った。
『剣と鞘』の曲に田伏以外の言葉が入り込むなんて。
それは、許されないことだ。
田伏の歌に説得力があるのは、田伏が、田伏自身の言葉で歌っているからだ。どこぞの誰とも分からないような男が作詞したのでは、魅力が半減してしまうだろう。
黙り込んだ僕に、野村さんが話しかける。
「どうしますか?」
僕は唾を飲み込み、
「そうですね、今回はちょっと」
「――断るなよ?」
後ろから、突然声が飛んできた。驚いて振り返ると、大きな体がそこにあった。田伏だった。
「えっなっなんでここに」
田伏は頬を人差し指でかきながら、
「なんでって……そりゃ、打ち合わせのためだろ」
「私が呼んだんです」
野村さんはなぜか得意げだ。
「直接話していただくのが一番だと思いまして」
田伏が僕の正面に座り、野村さんは席を立った。
「それでは、打ち合わせがどうなったか、あとで報告お願いしますね」
そんなことを言い、喫茶店から出ていってしまう。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
「なんで、……断ろうとすんだよ」
田伏は、ふてくされている。
「だって、『剣と鞘』は、田伏の歌詞も魅力のひとつじゃないか。そこに、僕みたいな部外者が割り込むわけにはいかないよ。それに、僕はあの曲に、田伏の歌詞が乗ったのを聴きたい」
その言葉は、思いのほか田伏の心に響いたようだった。しかし田伏は続ける。
「曲を作った俺が、お前の歌詞がふさわしいと思ってるんだ。だから、それでいいじゃないか」
「一度も作詞なんてしたことがない僕が? ふさわしい? そんなわけないじゃないか。いいか田伏」
僕は身を乗り出した。
「僕は売れない作家だ。それも、とびきり売れない作家だ。ネームバリューもまるでないし、ウィキペディアの項目だってろくに更新されてない。そんな作家だ。今売れに売れてる『剣と鞘』が作詞を任せる相手には、いかにも相応しくない」
「だけどあの曲は――お前の小説を読んで――」
僕は苛立った。
「あの小説だって! あの賞の候補にもならなかった。単行本にもしてもらえてない。なんでかわかるか? 売れないからだ! 僕はいけると思ったのに!」
僕は、次々溢れ出す言葉を止められなかった。
「僕は、田伏に取材をした。それは作品のためだったけど、僕には打算があった。田伏に取材をすれば、自分自身へのプレッシャーになって作品を書き上げることができるだろうって思いと、……あとは、もしかしたらそれで作品が話題になって売れるかもしれないって、感情だ。僕は、僕は! 君たちの実力に乗っかって、それで売れようとしたこすい男なんだよ。そんな男に、作詞なんてさせていいはずがないだろ?」
僕は、懇願するように田伏を見た。田伏は真っ直ぐな目で僕を見、そして言った。
「俺のことは、いくらでも利用してくれて構わないよ」
ぐっ、と喉が詰まりそうな感覚がした。
「それに、お前がどんな魂胆で小説を書こうと、小説が売れなかろうと、極論俺には関係ない。俺にとって大事なのは、あの小説を読んで感動したその気持ちだ」
田伏は続ける。
「みんな、お前の小説を読んで納得したんだ。お前に任せてみたいって。お前の詞が乗るのが、この曲にとって最善だって」
田伏はまっすぐ僕を見つめた。
「それは、お前の小説の力だ」
喫茶店の空気が、一瞬静まり返る感じがした。
僕は、何も言えなかった。しばらくして、絞り出すように答える。
「まあ、カップリングなら……」
そう言った僕に、田伏はきょとんとする。
「何言ってんだ、シングル全曲だよ」
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